
なるたけ
東京へはゆかないようにしているので
この日は一日に
なるたけ目的をぎゅっと
いっぺんにつめこんだ。
朝
一本の映画をみて
同時に
夕方の映画上映の整理券をもらう。
この日は監督舞台挨拶があるため
朝からその整理券を求める人の長蛇の列。
5月24日
国会のまわりをぐるり
手をつないで立つ。
辺野古に
想いを馳せながら
ともに
感じよう
考えよう
と
祈る。
この日
呼んでいただいたステージで
丘
を唄わせてもらった。
その輪のなかに、
敬愛する
地域の仲間たち
父母の姿もある。
辺野古で出会った
女性たち、
若者たちの姿もある。
そののち駆け足で
「ポレポレ東中野」
へゆく。
いよいよ先行上映となったばかりの
三上千恵 監督の最新作
「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」を
観た。
三上監督は、
「標的の村」を撮った人。
昨夏、辺野古へ行ったときに初めてお会いした。
カメラを回しながら、
相手の話を聞きながら、
大きな瞳に涙をいっぱいためている姿が
強烈に印象に残っている。
まっすぐで、
勇敢で
聡明、
ものごとやひとびとを
丁寧に深々とみつめ、掬い上げる
ひとつひとつに心を動かし、
それを大事に作品に込める。
それは三上さんの佇まいや話す姿勢、
文章、
映画の中に
丁寧にあらわれている。
一方方向だけでない
ぐるりをみつめる丁寧さとやわらかさ。
だからこそ、
強烈に胸につきささる。
わたしは、
まだまだ本気がだせる
だせるんだ
そう
空を見上げてかみしめる
胸に、ひとすじの誇りと、勇気のひかりもって
立つ。
そういう
すばらしい映画でした。
今、
心の底から全面的におすすめしたい作品。
どうぞ、
ぜひ
ご覧になってください。
・・・・・・・
「戦場ぬ止み (いくさばぬとぅどぅみ)」
監督 三上千恵
音楽 小室 等
ナレーション Cocco
www.ikusaba.com
・・・・・・・
うちなーぬうむい
しけにかたら
祈りは
想いは
きっと届く
届いていく
届いている

月、中ごろのこと。
娘と映画をみにいった。
河瀬直美・監督
「玄牝(げんぴん)」
すばらしくよくて号泣した。
愛知県にある、自然分娩をおこなう「吉村医院」
ここへ通う妊婦たち、
いのちのうまれるところ、
院長の吉村正先生、そのまわりを
映したドキュメンタリー。
なるたけ薬や医療機器介入をせずに、
ひと本来のもつ力を、自然なかたちで引き出す。
フィルムのなかの妊婦たちは、
薪を割り、畑を耕し、よく動き歩き、ぴかぴかとして
まるで縮こまったところがない。
おんなのひとの体はほんとうにうつくしいとおもうし、
魔法のような奇跡を生む場所を潜めている。
それもごく、自然に。
おそれず、
ありのままを受け、迎い入れる。
痛みも、生も、死さえも。
そうしていのちはめぐり、めぐるのだ。
身体に子を宿しているひと、
宿したことのあるひと、
いつか宿すひと、
それをいまささえるひと、
いつかそれをささえるひと、
それぞれがれぞれに、つよく受け取るものがあるのでは、と。
おんなは、うつくしい。
いのちがうまれくるということの、ちからづよさ。
いのちがおわるということの、ひつぜん。
あたりまえで、あたりまえでないことの
うつくしさ。
生も、死も
むろん、おとこもうつくしい。
よい映画です。
河瀬監督、さすが。
ぜひともいつか、よろしかったら。
娘にはまだちょっと早かったみたいだけど
いつか、こころのなかで
きっと息をするとおもう。

先日、気になっていた映画をみました。
「100,000年後の安全」
マイケル・マドセン 監督
10万年。
というと
今からさかのぼればネアンデルタール人などが
地球上にいた頃にあたるのだという。
ではいまから10万年後
この地球はどんなふうだか。
たとえば人間はいるのかしら、ということさえ
まったくだれにもわからない
未知のこと。
さて今、こうしている間にも
稼動している原子力発電所からは刻々と日々
高レベル放射性廃棄物がうまれ続けている
大量に。
それらが危険でなくなるのは
10万年先。
「地層深くに埋めるからだいじょうぶ」
なんていうお気楽なCMや広告をみたことがあるけれど
実際のとこ
だいじょうぶだなんてだれも本気で思えないから
いまだ埋め場所も決まらず
行き着く先を宙ぶらりんにしたまま
この国は
原発をつくり、動き、増え続けてきた。
お金をあげるからどう?と地方にちらつかせて
候補地を募り続けている。
この事故をうけてもなお
原発は必要だと言い張る人々もいらっしゃる。
そんな仕組みを長々と作ってきたのはどちらの政党だったかということも
忘れないでいただきたい。
さて映画は世界で初めて
その永久地層処理場の建設が決定し
現在も建設中
フィンランド・オルキルオトの
ドキュメンタリー。
ここでは施設が完成した後、
遠い未来
10万年先まで
ここは危険だから絶対に触れないように
掘り返さないように、
どうやって伝えればよいのか、という現実に向き合う。
言語は通じるのか?
好奇心を刺激しないか?
誰も答えを持ち得ず
まるで賭けでしかない。
だって私たちは古代の遺跡を発掘し
その意味を解明できずにいるのだから。
こんな無責任でこわいことを、
私たちはしているのだと知る。
一体何と引き換えに、
私たちは原子力を使うのかをみる。
原子力にはしりだしてしまった人間
は
くるってましたね
とわたしはおもう。
事故後の応対の悪さはあったにしろ
ようやく目が覚めたように
浜岡の原発を止め、
自然エネルギー推進や
発送電線分離などを声高に唱えだした途端、
首相を引きづりおろそうと躍起になっている大人たちをみていると
かなしくなってきて、
まかせてはおけない。
この国はどこへゆくのか
全員に訊いて見たらいい
イタリアのように。
この映画、よければ
ぜひみてみてください。

海辺のあちこちの町で
連続上映会がひらかれました。
『ミツバチの羽音と地球の回転』
この映画をみたときのことは以前
ここでもかいたけれど、
娘にも一度みてもらいたかったのと
UAが歌いにきてくれるときいて
先週、葉山に出かけてきました。
間際に
UAのおうちが全焼したとのニュースがとびこんできて、
なにより皆ご無事だったことはほんとうに救いで
それでも、さぞやたいへんな最中で
きっと今はそれどころじゃない
こられなくて当然だな、と
ひそかにおもっていたのです。
だって
今回は手弁当でかけつけ、歌ってくれるという話。
上映とライブ、祝島の山戸さんを交えたトーク、という濃密な3本柱ながらも
入場料もわずか、こどもは無料という
かわいらしいイベントなのです。
なんだけれど彼女は
そこへきて、
歌って、くれました。
火事のことにはひとことも触れずに。
ただまっすぐにすとんとそこに立って。
ここへきて歌うことの、意味。
こめた想い、祈りが
音と、声、ふるえる振動と呼吸
すべてで会場を満たして、ゆきました。
言葉や理屈だけじゃさわれないひとの領域を
音楽は軽々と超えることができる
お金じゃなく、
むつかしいことでもなく、
ただ
想いだけで、歌う。
それは並大抵のことではないでしょう。
やさしい場所に、居合わせてもらったわたしは
大きな音をたてて拍手をして
胸をいっぱいにして
かえって、きました。
生きる指針は、
シンプルなこと
それはなによりまっすぐと、
確かなことであるように。
森森したにおいのする町からまた
電車にのって、
窓からみえた夕日の姿に声をあげて、
むすめといえに
かえりました。

土曜日。
鎌仲ひとみ監督の最新作
『ミツバチの羽音と地球の回転』
を観にゆきました。
http://888earth.net/
今月のComo、「日々ぐらし」でも
書かせていただいたけれども
鎌仲さんを知ったのは
『六ヶ所村ラプソディ』
というドキュメンタリー作品だった。
彼女の作品をみていると、
内側がかきまわされる。
スクリーンに映る
目の前に立ちはだかるものへの
憤り、こみあげるやるせなさはすべて
自分自身にはねかえってくるからであり、
その明暗を分ける太い糸がいくつもいくつも自分とつながって
この瞬間も、自分の行動が問われている
と、はげしく感じる。
わたしは何をすればいいのか
以来ずっと、考えている。
さて、
祝島は山口県
瀬戸内海に浮かぶ小さな島。
その真正面に原発建設が計画されたのが27年前。
島に、国が突然ぽんと振り込んできた5億を超えるお金を
「わたしたちの代で海は売れない」
と、島のひとはすぐに全額はね返した。
建設をゆるせば
今ある多様な生物と、豊かな漁場が失われる。
そうして二度と戻らない。
島のひとはいう。
「わたしたちは海と山さえあれば、生きてゆける」
この国はあちこちで
こんなやり方をする。
アメとムチ。
ちらつかせた多額のお金を握らせ
その犠牲を飲み込ませる。
けれどもここ、祝島の人々は30年近く
一度もひるまず、壁となり続けている。
それでも、刻々と迫る危機的現状を伝え
カメラはぶんとスウェーデンへも飛ぶ。
なんと国民投票で脱原発・石油を決めて以来、
持続可能な自然エネルギーへ着々と動いている国。
「日本にもできる。なぜやらないんだ?」
スウェーデンのひとはいう。
あちこちに、ひかり
希望がある。
上映の前後、
鎌仲さんのお話も伺えた。
「反対を唱えるだけではなく
ひとりひとりが選択権を持っている
それこそが現状を、変えうる」と
朗らかに、力をこめていった。
何を受け取り、
何を感じ、
何を内側でぐるぐるとかきまわし、
何をするのか、は
ひとりひとりにゆだねられている。
多くのひとにみてほしい
つよく
そうおもいます。

映画をみた。
妹カップルが昨年夏の終わりごろ、
「さとみちゃんが絶対すきだとおもって」
と 映画のチラシをくれた。
『大丈夫であるように』
www.http://dai-job.jp
監督・是枝裕和さんが Cocco の旅を追った
ドキュメンタリーである。
大好きなひとが撮る
大好きなひと。
公開をずっと楽しみにしていた
のを
先日やっと みにいってこられました。
ご存じの方は多いと思われますが
Cocco は沖縄のひとで
歌うたい です。
沖縄が背負わされてきたもの
失ったもの、
受け入れざるをえなかったこと、
かなしみ、痛み、
失われる
目の前のもの。
そんなものがこの世界には耳をすませば
すますだけ無数に存在する。
その苦しみを取り除くことはできないかもしれないけど、
なにもできないかもしれないけど、
大丈夫じゃないかもしれないけど、
大丈夫であるように と彼女はうたう。
始まって5分もせんうちから
涙がどわどわ溢れ
100分ちょっとの間、
号泣を何度も繰り返した。
映画館は闇に包まれるから
思いきり泣けていい。
この作品のすばらしさだとか中身だとか
私には上手く伝えきることが
ぜったいできんから、
せめて
私が受け取ったものだけ
ここにかくことにします。
とてもとてもとても恥ずかしい話だけれど。
私は正直言ってこれをみるまで
ここ数ヶ月
自分が自分であり続けることに飽き飽きしていた。
絶とうなんて大それたことは
思わないにしても、
いつ終わってくれてもいい
むしろ
泡みたいに消えてくれていいのに
なんてことをぼんやり思っていた。
バチ当たりで、
母親失格なんじゃと分かっていても
どうにもこうにも 動かせなかった。
光が見えず、世界も変えられず、
私なんぞ役立たずで
生きていて結局 なんになるんだってんだと
おもっていた。
同時に
そんな自分は心底嫌いだった。
そんなんじゃいけないことだけはわかっている。
泣いたりした。
ちぎれるかとおもった。
ぼーっとしたりした。
しかしCocco、
Coccoを映す是枝さんの映像を目の前に
このバチあたり女は、
心震わせ生きたいとおもえた。
目の前の
ゆく先々の 途方もないことを
ひらりとびこえ、
笑ってしまうチカラを、
イメージする
可能性を みせてくれた。
彼女のことを深く知りはしないけれど、
私なんぞが抱えるものなんかへでもない位
沢山の、深い痛みを
彼女が知り、抱きしめているのは明らか。
だというに
彼女のあまりののびやかさや
あまりのキラキラしたものをみて、
私も立てる気がした。
できることは
したいことは
この世界にまだまだある
そうおもえた。
小さな殻の中に閉じこもり、
くさくさと生きていたのではあまりに
人生はつまらなく、
もったいなく、
かなしずぎる。
この世界を知った気にならず、
もっともっと耳をすまし、
足を伸ばし、
肌にふれて吸い込んで
生きようと思いました。
のびやかに、のびのびと恐れずに
ましゅの隣りにいたいと。
すぐにちぢこまり 身を守ろうとする
ハリネズミ山田、身にしみました。
素晴らしい映画です。
渋谷では ライズX で2月27日まで、
全国でも続々上映中です。
心の奥底より
おすすめいたします。
是枝監督とCoccoに
こころよりこころより感謝して。

おやおや、もう10月である。
数日前、
ほんのり漂いはじめた金木犀の匂いが
日に日に増して、
もう結構な濃密さで町中にある。
ぼやぼやしているうちに、
とっとことっとこ次の季節。
早っ。
先々々週くらいの日曜日。
重たい腰をあげてようやく
一本の映画を観てきました。
『闇の子供たち』
坂本順治 :監督・脚本
劇場で随分前にチラシを手にして以来、
ずっと気にはなっていたけれど
ここのところ、
どうも心の塩梅が芳しくなかった私は
なかなかどうしても、
観ることができなかった。
早々に観てきた父母、妹に
「あんたも観たほうがいい」
とさんざんゆわれても、です。
ところがころり。
新聞広告を見て
明日舞台挨拶でブッキー
(むろん妻夫木聡 氏のことであります)
出るらしいから
あんた行ってきなはれと、父が言い出し
そうそう、と母もゆう。
ましゅまろは預かってあげるから。
どうせ観るんなら、
そらブッキーみれたほうがよかろう
だからほいほいと
毎度のことながら、寛大な父母よ…。
蛇みたいに長い列に並び、
有難いことに前から3列目!
浮かれましたがこの作品。
ご存知の方も多いかとおもわれますが
タイでの
子供たちの売買春や臓器移植のための人身売買
というかなり深刻なテーマを扱った
作品であります。
こう文字で書くと、
さらりとなんだか分かったような気がするけれども
この作品は、
一度は耳にしたことのあるこの言葉が
現実として
一体どういうことであるのか?
っていうところを
生々しく突きつけています。
詳しい内容については、
ここではこれ以上言いませんけども
わたしも心底
なるたけ多くの人にみてもらいたいとおもいました。
しばらく頭から離れなくて、
寝ても寝てもその夢ばかりみたけど。
あまりの酷さに力が抜けようとも、
怒りや悔しさで呆然としようとも、
目をそらさずめつめるため、
この作品はつくられたのだとおもいます。
想像を超える苦しみの上に
この映画を完成させたであろう坂本監督に
目の前で拍手できたことに
感謝しつつ。
へなちょこ我輩にきっかけをくれた妻夫木氏は。
この事実を知ったとき、
僕にできるのはただ
役者として演じることだとおもった
と語り、
この現実をなんとかしたいと感じた皆さんも、
ひとりひとり、
ご自分にしかできないことをすればいいんだとおもいます、と
まっすぐにいいました。
とりあえず、
まずわたしにできることは
ここで皆さんにお薦めすることかしらと
載せてみた次第です。
ずいぶん遅くなってしまったけれど。
坂本監督はこの作品に取りかかるとき、
今の時代に、こんな重たい映画を一体誰がみるんだ??
と、ゆわれたといいます。
全国でたった7館で封切られたこの作品が
話題を呼び、
100館までに上映が広がったというのは
それだけ多くの人が観ているということ。
この時代、この日本も
まだまだ捨てたもんじゃないやんけとおもいました。
ぜひぜひ、劇場に足を運んでみてください。
久方ぶりで
おやおやちょっと長くなりました。