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  日々、ミカンのこと                 

satomi yamada

北へ、 

散策と旅 |

湿原


9月に入り、
窓を開けたまま眠ると
朝、鼻水がでる、のどもいたい。
秋なのである。

ときおり、バケツといわず空をひっくりかえしたような
雨が降る。
バラバラ、ざざーざー、どーどどー、
雨の音の中では
水に包まれているようで
(少々荒々しくはあるけれど)
ようく眠れる。


ふりかえって夏休み、
北海道へ行きました。

北の大地は青々と、どこまでも広くて
空港から外へとびだした瞬間、
すきとおった空気の匂いがする。

車ではしると、牛の匂い、森の匂い、
夕暮れにはシカの群れ、クマ注意の立て看板、
娘は木の根っこにエゾネズミもみたという。

真っ白な霧に包まれると、
「はーりーねーずーみーくーーーん!」
と、叫ばずにはおれない。
(ぴんと来ない方、絵本「きりのなかのはりねずみ」をご参照)

味噌ラーメン、ジンギスカン、
と呪文のように唱えていた食物たちは
広い北の大地のなか、それらはほんの限られた地域で盛んなのに過ぎないということも
知る。

釧路湿原、
娘の名によく似た響きの摩周湖、
(これはむろん娘の強いリクエスト)
マリモの生息する阿寒湖、をまわる。

今回特筆したいのは
阿寒湖、アイヌコタンで観たアイヌの古式舞踊。
女性たちの声と手拍子、
踊りの見事に胸が高鳴る。

髪の長い女性たちが頭をふって、
髪を上手に宙に踊らせる
フッタレチュイ(黒髪の踊り)を観たときは
なぜ私の髪は長くないんだろうとおもった。

娘の髪は長いので、
すぐに真似することができる。
いいなあー


神からの頂き物として
天や大地、すべての生き物たちに祈りをささげ
捕ったものを余さず使い、
つつましく生きたアイヌの文化は
ネイティブアメリカンたちのグレートスピリットにも通じ、
また日本の古く古くの神話、
やおよろずの神にも似ている。

かつて、根源的なところで
大切なものをにぎりしめていた人類たちは、
いつだかその精神を置き去りにして暴走してしまった。

その境目が
堰を切ったような変化だったのか
じわじわとしたものだったか
わたしは知らぬけれども、
原発、核兵器、遺伝子組み換え…
人間が自然を操れるなんていう思い違いは
ここで、
もうおひらきにしてはどうかとおもう。

かつての人々、その精神から学ぶことは多い。

強いもの、
力や富あるもの、
による支配ではなく
やわらかなもの、つつましい生命たちの自由な世界を
わたしは切望する。



それから、
わたしは髪をのばそうとおもう。








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グットトリップ 

散策と旅 |

木々


妹はアメリカに住んでいて、
そこで結婚式を挙げるというバブリーな案内が来て
先日、赴いた。

わたしはほとほとにほんを好んでいるため、
腰はいたって重い。
しかしまあ、めでたい席だもの、
行って祝おうじゃありませんか。

夏のサンフランシスコはさむかった。

夕暮れを過ぎれば、フリースやダウン姿の人々までいる。
こっちの人って暑がりなんじゃないですか、と首をひねりつつ
半袖姿の身体にぐるぐる布を巻いて足早に歩いた。
これでは逆に、日本人は暑がりだと思われたかもしれない。

滞在6日間中、
妹夫婦のはからいでヨセミテ自然公園なる世界遺産のどでかい山々や滝、木々、森の中へも行った。
欲をいえばもうすこし自分の足で歩きたかったけれど、
わけのわからないくらいにすごい景色だった。
いったいどういうわけだろう、とそれを前に呆然ともする。

一族でサンフランシスコ市内観光ツアーにも参加した。
坂の多く、建物のきれいな街。

建物

アメリカらしいところを体験させてあげようという
はからいによって、
分厚いローストビーフもカニも食べた。

皆がアルカトラズ島(元刑務所)ツアーへ参加している間、
怖がりのわたしは娘とふたりで海辺の街をうろうろ、
稚拙な英語能力により、注文したカレーにエビではなく豆腐が入っていたりもしたけれど、
雲ひとつない空の下、芝生の公園に寝転んで
草花遊びをする娘の傍らでまどろんだり、
身振り手振りで肉まんを見事注文したり、
街中の公園では水場に入って遊ぶ娘に警察がやってきて、ソーリーといいながら
それを止められたりもした。
ミュニメトロにのって宿へかえる。
数日いれば、次第に通りの名前もおぼえる。

正直、少々こわい思いもしたし、
ひとりで歩くのはびくびくしたりしたけれど、
案外人々は親切で、愉しかった。

特筆したいのは、ゴールデン・ゲート・パーク。
無料で入れる大きな大きな公園で、
中には植物園、科学館、美術館などもある。

最終日、くれぐれも飛行機に遅れないようにとのお達しを守るべく、
足早に公園だけを見て回ったのだけれども
ここの木々花々はすばらしかった。
いたるところに妖精や、小人がいるにちがいない。
小さな庭、シェークスピアガーデンにはリスが走り回っている。

水が湧き出るところには、ハチドリ。
空中に静止して水を飲む。
羽根が八の字を描いて見えないくらいに早くうごく。
嘘みたいに幻想的な光景が、胸にはりついている。


旅は、
ガイドブックをガン見するより
人気店を制覇するより、
思うままに歩いたほうがいい。

観光にお金をかけることより、
そこらへんを気ままに、のんびりしているのがいい。

持論であるが、あらためて
そういうのを、
わたしはよい旅と呼ぶのだとおもう。


旅先では決まって葉書をだす。
切手を貼って、
見慣れないポストへ入れた郵便物は
帰るわたしよりゆっくりと日本へ着いて、
郵便受けにおちる。



妹よ、結婚おめでとう。

16:20 |  trackback: -- | comment: -- | edit

水のした 

散策と旅 |

kobe


14年前

神戸がゆれた朝、

わたしは四国に住んでいて

寝床がはねるように動いて、飛び起きた。



高校2年生だったわたしは

日々、

増えてゆく信じられない死者の数を

伝えるニュースに

おののき、

ぼーとなった。



実感のともなわない頭で

それでも

ごはんを食べたり

自転車をこいだりして、

日々を過ごした。





先日、とある仕事で神戸へゆきました。



少し時間があいたのでひとり

「慰霊と復興のモニュメント」へいってみた。

ここは

現在『空気人形』を公開中の是枝監督の作品

『大丈夫であるように』

の中で、

Coccoが歌うシーンが残る場所でもある。






いつか、

ここへ来てみたいとおもっていたのです。



噴水の下、

まるい空間の壁一面に

犠牲者の名前が刻まれている。



ガラスの天井に水の泡と空が透けてみえて、

小さくうたをうたうと、

声が響いた。



ひとり

ひとりの

名を目で追うと、

このひとり、ひとりには

愛するひとがいて

家族がいて

あたり前の日常があったのだ

と、

あたり前のことをおもう。



明日はある

と、おもっていたひと。

いつの日ともおなじように

窓に光りが射し

靴をはき、

飯をはみ、

土を蹴り、あるき、

日常にすすみゆくと

おもっていたひと。



ひとひとひとひと無数のひとが

朝でふつりと

ゆれ裂ける大地に、足元に

のみこまれるように

消えていった。

のだ。



生きるとか

わらうとか

手をつなぐとか、

うたうとか

はしるとか

さけぶとか、

泣くとか

抱きしめるとか。

もっともっとしようとおもっていたであろう人の名が

こんなにも無数に並ぶ水の下

ありきたりだけど

おもったんである。



せめて自分は、

おそれず逃げずに

すべてにあたれと

砕け散るまで、懸命に生きんかい、と。



誰の代わりにもなれぬけれど、

が、ゆえに。



そうして

あらためて神戸という街を歩くと、

人々のとても仲がよいのが目に映った。

恋人や夫婦は

やわらかく手をつないでいるし、

些細な会話も、本気で笑う。



関西特有の空気というのもあるのだろうけど。

こと

神戸という街には

一瞬で大切なものが消え失せてしまう

そんなあやうさを

痛切に飲み込んできたからこその

今この瞬間

を、大事にする空気を

みた気がした。

個人的な見解かもしらんけど。



この地震で亡くなった方の数、6,400人以上

年が明けた1月で、15年が経つことになる。



大切なひとを失った事実は

心からずっと消えないだろう、とおもう。

抱え、生きているのだ。



ただなんとなく、

通り過ぎたりしない感じ。

中途半端じゃなく

やわらかい本気みたいなものを

身体の中に潜ませる



凛とした

とても素敵な街だった。



あれからひと月ばかりたったけど、

いまだ

あらゆることを中途半端に生き過ぎる自分を

あーあー

と、情けなくおもう

11月のはじめなのであります。
21:47 |  trackback: -- | comment: -- | edit

ノラ 

散策と旅 |

nolla


味にホレるなどということが

この世の中にあるのならば

こういうことなんだろうと

帰る道、

こみ上げる得体の知れない笑みをかみ殺しながら

いつもおもう。



外食するということを

あまり頻繁にしないタチの私のことである。



私ひとり分の昼飯くらい、

残り物だとかなんとか

適当に食べればよろしいなどと

おもっていた私のことである。



ひとつ隣駅からしばし歩いたところに

そのみせはある。

ちいと分かりにくい場所に位置していて

しかも2階にあるものだから

よけい非常に分かりにくい。



ドアノブは黒鉄でできた

猫のかたちをしている。

ドアのこちら側とあちら側

1匹ずついる そのお猫さんは

耳に、とんがったカバーをはめて

あごの下でそのひもを結んでいる。



もんだいはそこのスープである。

そこのパンである

コーヒーである

チーズケーキである。



スープは はかせ鍋とかいう変わった鍋で

作られているそうで、

煮込まないのに煮込んだスープとかなんとか

よくわからない説明がある。

その味である。



とにかく

身体の力が抜け、

ただただ素直になるような

ふしぎな味である。



きみ、このスープに何をした?



尋ねてみたくなるくらいである。



発酵させずに焼いたパンだとかなんとか

これもまたわかるようでわからない説明の

パンであるが、

こちらも噛むと

ほどけるように味がしてくる。

また ためいきがでている。



言い始めるときりというものがないが

ここまできたからには進むことにするである。



黒くこっくりした色の、

こっくりした色のカップに注がれたコーヒーは

だいたいにして普段

コーヒーか紅茶かといわれれば

たいてい後者をたのむ私に

毎度 「コーヒー」 といわせる。

理由はもはやよくわからないけれども。



そんでもってここのチーズケーキ

とくに 黒糖レアチーズケーキ

というやつが

わけがわからないほどおいしい。

もったいなくて、ちびちび食べる。

食べるたび、こわいとわかっていながら

笑ってしまう。

にっこにっこして、食べてしまう。



ひとりで席に座っていながら、

そのにこにこは誰に向けられているのか と

こわごわ尋ねられたならば、

「むろん 

この目の前のチーズケーキですよ」 としか

いいようがない。



そんなわけで

まだまだお世辞にも

繁盛しているとはいえない

この店にぽつりひとりで座り、

スープをたべ

パンをかじり

何か書いたり

棚から抜き取った本を

広げてみたりしながら、

流れる曲に素手で心を触られて

泣きそうになりながら、

しみじみと食事をして

しみじみと時間を過ごして帰っていく。



そうやってバランスを保ったりしていた。



そういえば

関係あるんだかないんだかわからないが

ここへ初めてきたのは

たんじょうびである。

30歳の誕生日の昼間、

妹にごちそうになったのだった。

それからぐるり、1年が経った。



このみせ。

名を

「nolla cafe」 ノラカフェ

という。



小さな猫の出入り口が片隅にある

細長く

小さなみせである。



この場所で。

以前ここでも話した

『UA やんばるLIVE 』

の上映会をしていただけることになった。

時は 6月28日(日) 18時~

詳細はこちらで。

http://nollacafe.catfood.jp/index.html



店主のはからいにより

今回、ノーチャージだとか。

ご興味おありのご都合つくかた。

ぶらり足を運んでいただけたならと

みょうちきりんな客のひとりとして

おもいます。
22:53 |  trackback: -- | comment: -- | edit

空の海 

散策と旅 |

先週久しぶりに、

渋谷でしばし時間があいたので

代々木公園にゆきました。



本でも読もう とおもったのに

寝ころんでたら

寝てもうとりました。





小さな丘めいたところに

布ひろげて寝ころぶと、

さっきより近い空と、木が風でゆらぐのがみえる。

とめどなく風が吹いてきて

ゆるかったり

強かったりして

さわさわ、もさもさ、わっさわっさ

木が揺れるのは

波をみているようだった。



で、寝てもうとりました。



おもえば

ひとりで外で昼寝するなんて初めて

な気がする。

しかも大都会のど真ん中。

三十路にもなれば人目とか気にならなくなるのかしら。



どうなのよ。



ま、とにかくとても気持ちがよかった。

尾の長い鳥がとぶのもみえて、

なかなかいい時間でありました。



バラもたくさん咲いていて。


bara
22:59 |  trackback: -- | comment: -- | edit

ふたり和尚 

散策と旅 |

米飴


先日、奈良から買ってきた我が家への土産物

「米飴」に、はまりまくっております我々親子。

旅の最終日、この米飴を求めて奈良の町をあるきあるき、

昔ながらの軒先つづく、その中で、

こじんまりと趣深く、かつ堂々とした佇まいの

『砂糖傳』というお店。

ご主人が、まあまあ、お入んなさい暑かったでしょう、と招き入れてくれて、

(その日はカキ氷を食べるほど、暑かったのです)

奥さんが、まあまあ、なめてみなはれと、

お箸にくるくると、光る飴色を巻きつけてくれて、くれました。

おいしー!

と、我々。



重いけど大丈夫かね?と心配されつつ、

「大丈夫、わたし力持ちですから!」と、お土産にいくつか買いまして、

ほくほくお店を後にしました。

このお店、その名のとおり、見るところ砂糖しか売ってません。

黒砂糖、和三盆、米飴、氷砂糖……。

“お砂糖屋さん”。

こういうのって、本当に素敵だなあとおもいます。



それ以来、小さな壷を開けては、くるくる。

口の中で、香ばしい甘さがとろん、とする。

むかし読んだ、

一休さんにでてくる和尚さんが、こっそり水飴をなめてた話を思い出しつつ…。

娘と一緒に、もう一回、あともう一回だけね。

と、やっとる次第です。



この米飴、

お米と、麦芽だけで、できているらしくて。

すりおろした生姜と一緒に、お湯にとかして、生姜湯をつくったり、

薄く切った大根に、大さじ1垂らして一晩おいて出たエキスが

のどに良いのよーと、にこにこ奥さんが教えてくれました。

ぐいぐい寒さに向かうこれからの季節、

あっという間に壷は空っぽになりそうです。


14:49 |  trackback: -- | comment: -- | edit

はるばる 

散策と旅 |

奈良


先日、娘とともに

『京都音楽博覧会』という名の、野外音楽フェスに行ってきました。

この夏こそ空の下、音楽に身もこころも大暴れ。

したいものだなーと思ってまして、

今年は結局、これがふたつめのイベント。

ちょいっと前に、山崎まさよし 見たいがために出掛けた野外フェスにて、

娘とふたり、大興奮……。

そして今回は、はるばる京都へゆきまして

くるり 主宰のこのイベント。

これもまた、とってもよかったです。



なにがって。

すみずみまでとても心地がよかでした。

だからなにがって。

とても環境に配慮されたイベントだったので、

たとえば、

イベントでありがちな大量の印刷物の配布が一切なかったり。

その代わり、入り口で配られるごみ袋に、

タイムスケジュールがプリントされているという小粋な仕掛け。

出たごみは、各人が細かく分別するようになっていたり。

飲食するにも、リユースの食器が徹底して使われていたり。

それからお腹に響くような巨大な音量を、とどろかせはしていなかったり。

と。

出演アーティストの話も、ひとつひとつなんかこう、優しくて

こころにすいすい入ってきて心地よかったり、深くうなずいたりして。



芝生の上、足を投げ出して、

時にはぴょんぴょん飛び跳ねたり、ゆらゆらしたり、途中雨に打たれたり、

ゆるゆるとその空気にひたりこみました。

Cocco の歌に、ましゅがぽつりと

「うっとりしちゃった」と、ゆっていて、

この子、うまいこというわぁと思ったり。

して。

音楽っていうもので、そこにいるひとが一つになっている瞬間、

その感覚に酔いどれたりと、

とにかくまあ、素敵なイベントでした。

今年は記念すべき第一回目のこの音博。

あまりに楽しかったので、来年もきっとゆきたいなあと思っています。



さてその後。奈良に行って

奈良の大仏 も拝見。

大きな大仏もすごかったけど、

私はその大仏の入っている建物の見事さに、ほおーっ、となりました。




娘はそこいらの景色に普通になじんでいるシカに

えらく感激したようで、

こわごわ近寄ったり、話しかけたり。



旅から帰り、大仏のものまねをしている娘氏。

旅の余韻にひたっている、我々です。

14:53 |  trackback: -- | comment: -- | edit