
むすめの誕生日。
8さいのましゅは、あとなんにちだ?
と、指折り数えては
8さいの匂いをかいでいたここ数日。
うまれて、
9ねん。
もはやけして短くはないこの年月を
一緒にいて、
わらって、ないて、おこって、たべて、おしゃべりして、ねて、てをつないで、はしって、あるいて、
きてくれてありがとう。
わたしゃとともにあってくれてほんとうに
どうもありがとう。
そんなこんなで
あさからむねがいっぱいの、
やまだ
これからケーキをこしらます。


正月らしい
といえば、先日
書初めをした。
書初めの練習という宿題に
「白いはと」
と、さんざむすめが書きまくったあと
ついでにみなで硯にむかった。
それぞれかいた
今年の目標みたいなもの。
むすめは
「楽しく生きる」
なんてことをかいてわたしを泣かせる。
父は
健康や、みなの幸せを願い
母は
自身の寛容さを願い
わたしはといえば
まっくろの墨で
「転ばぬ先の杖なんていらんわ」
と、かいた。
父と母は
このむすめはこれいじょうなにを転ぶ気か、
てな顔をして口をつぐむ。
しかしそう、
わたしは杖ばかりつきまくっている。
今年はいよいよぞろめを迎えるとしである。
であるからして、もう
杖なんてかっこう悪いものはいらんのだ
ころんでやる。
ころげまくってやるのである。
つまり
甘ったれずに、
生きてゆこうとおもう。

今年の正月には凧揚げをしようと
むすめと約束していた。
7日には七草粥をたべ、
お飾りもしまい、
ずいずい、
正月らしさも通り過ぎてゆくなかで
今日は凧揚げをした。
広い公園は凧まつり
さながら。
わずかな風にのり
ぐいぐい
空たかくまでのぼる
地上ではじじとむすめとわたしが
ぐいぐい
ひもをひっぱったりしている。
わたしは空をとべないけれど
凧がかわりにとんでくれて
つながるひもを握っていると
空と手をつないでいるようだった。
あー
凧揚げはすてき。
今度はひもを追加で買い求めて、
もっともっとたかくまで
あげるのだ、と
娘とたくらんでいる。

入院中、むすめは毎日やってきて
あれやこれやを届けてくれた。
自家製えほん。
ばーばとみにいった映画を
むすめっこなりに再現してくれたもの
を、
連日書いては
読んで聞かせてくれた。
じじばばと除夜の鐘をついた翌日
(つまり元旦)には、
ちっさな鐘つき台。
これでママも鐘をつきなさい、と。
朝から紙粘土をこねまわしてつくってくれたのらしい。
突然おなかを切ったりするし、
傷は痛いし、
大晦日だってのにおかゆと離乳食みたいのしかたべらんないし、
ますますやせっぽっちになってゆくし、
ひるひる
やたらと心細くなったりしていたもんだから
それは、それは、
うれしかった。
ありがとう。
来年こそはいっしょに、除夜の鐘をききましょうよ。
こんなふうにして、
支えなきゃいかないひとに支えられて
やまだは生きている。
まるでなさけないけれど、
ほんとうにありがとう
たったひとりの、むすめさん。

娘は保育園のころから
色水をつくるのがすきです。
あちこちで花を摘んできては
きれいな色水をつくる。
そうして
「ジュース屋さん」
をはじめる。
すこし前のことだけれど
オシロイバナ
彼岸花
名残り惜しく咲く朝顔
はっぱいろいろ
などを
ほくほくしながら摘んできて
バケツ、カップ、などをお風呂に運んでこもる。
開店用のチラシ、サービス券なんてのもつくって
配りに来る。
チケットには
「100円サービス むりょう」
と、どっちなんだかわからないこともかいてある。
小さなメニューにはセロテープをぴっちり貼って、防水に。
「お茶ください」
というと、
薄緑の色水を注いだカップに小さなはっぱを浮かべてでてきたり
なんて
小粋なこともする。
お代はおいくらとたずねると結局のところ
「お金をかけずにつくってますから、ただです」
と店主。
成長ととも、遊びもすこしずつ進化
するであります。

娘が最近、よく口ずさんでいるうたがある。
先日、学校で音楽集会があって
そのうたをうたうというので
みにいった。
野に咲く 花のように 風にふかれて
野に咲く 花のように ひとをさわやかにして
そんなふうにぼくたちも 生きてゆけたらすばらしい
ときにはつらい人生も トンネルくぐれば夏の海
そんなときこそ 野の花の
けなげなこころを 知るのです
昔、山下清画伯の人生を
ドラマ化した番組で流れていたうた。
「おにぎりがすきなんだな」
といって、
白いタンクトップ姿の男の子が真似していうのを
わらってきいたりした。
今でも口ずさめるこのうたに、
今になって泣かされるとは、あのころはつゆもおもわなかった
ね、わたしは。
娘と一緒になってうたっては、
声をつまらせたりする。
今朝、
めずらしく早起きした娘が熱心に何かかいているとおもったら
「ちょっと外にでてくるね」
と、おもむろに玄関へとゆく。
「どこへゆくの?」
とあわててきくと
「ちょっと、今日のお天気をみに」
などという。
すぐにかえってきた娘がしばらくして
「ねえママ、こんな朝早くから、何かさっき届いたみたいだよ」
なんていう。
もしかしてさきほどの、とポストをのぞくと
小さな手紙が入っていた。
ままへ
いっしょうけんめいれんしゅうしてね
ましゅといっしょにうたおをね
まってるよ
ましゅより
それから裏に、うたの歌詞
このひと、今日は「を」の使い方が間違ってらっしゃる。
このうた
2番はこうなっています。
のにさく はなのように あめにうたれて
のにさく はなのように ひとをなごやかにして
そんなふうに ぼくたちも いきてゆけたらすばらしい
ときにはつらいじんせいも はれのちくもりで またはれる
そんなときこそ ののはなの
けなげなこころを しるのです
人生、なかなかおもうようにいかなかったり
どうにもならないことや
泣きたいことだってたくさんあるけど、
こんな瞬間にわたしは救われて
生きていけるのだとおもう。

本日ひさしぶりの雨。
おとも、
においも、
あたりいちめんすいすいして
気持ちがいいです。
さて
わたしは夏休みのおわりのひ、
泣きながら宿題をするようなわらしっこでした。
差し迫るプレシャーに全身ぞわぞわしながらも
ぎりぎりまで遊び続ける……
そんな体質はいまだもって変わらないのかも。
こまったもんです
さてさて、
むすめの夏休みの宿題
自由作品。
今年はなににする?
とたずねると
「ビンに紙粘土と貝殻をくっつけて貯金箱をつくる」
などとさらりという。
それはあなた昨年やりましたよ、
貯金箱
というだけの違いじゃないですか
と、却下。
このひと、どうなることやら。。
とおもっていたら
「ポシェットをつくる」
と、いいだした。
「辺野古で拾った貝殻を縫い付けてね!」
と。
それならばと見守ったり、材料を供出したり
ミシンを教えたりしているうちに
完成したのがこちらのポッシェ。
貝殻を甲羅にみたてた海がめと
ジュゴンのアップリケつき
沖縄からかえった数日後、
寝ぼけまなこで起きてきた娘が
「へのこのうみをまもらなくちゃ・・」
と、いってましたよ
と母。
今回の旅中、
言葉として説明を受ける
というよりむしろ海をみて、海に入っていた。
泳いで、魚をのぞいて、貝をとってたべて、カヌーをこいだ。
ひとびとと話し、わらって、うたい、ごはんをたべた。
言葉ではないものから
彼女が受け取っていたこと
なんだかすこし
見えた気がして。
うれしかった。
わたしもね、ときどき
おもうんです。
離れてくらすよそものになにがいえるか
ってね。
でもそれはたぶんちがう。
なぜって
この、足が、確実に、ふみつけているのだ
無関係ではありえない
だからいう。
これ以上ふみつけたくない、
しょうがないなんていわない、
一緒に考えよう
と
しつこいぐらいに。