
月にいちど、心待ちにしていることがあります。
沖縄タイムス
Coccoの連載である。
今年の1月からぐるり一年、
Coccoの書く連載
「こっこタイム」を読んだ。
彼女はまるで
たましいを剥きだしで生きている
と、わたしはおもう。
だから彼女の言葉に毎度
心の底から泣かされる。
嗚咽して
そのたんびに自分に問う
わたしはなにをしているか?
なにができている?
いよいよ連載も最終回となってしまった。
これ、
沖縄タイムスのホームページから
みられるんです。
ぜひ、
ご一読を
おすすめいたします。
(写真は、8月の新聞)

このなつも、とある事情で沖縄へゆける機会がありました。
正直、実にわたしらしくはない数日を過ごした後
息苦しくなって
ジュゴンのみえる丘へゆきました。
実はこれが三度目の挑戦で
今度こそと。
丘へ
たどりついたとたんに号泣した。
声をあげ、しばらく泣いていた。
みどり、瑠璃色、エメラルド
名前なんてわからないたくさんのいろが
入り交じり、まだらに
いちめんの海の中にゆらめく。
太陽がななめに射すひかり、
よせて、かえす色
ひるがえる波、
ずっとずっとむこうまで果てしなく、つづく海。
ときどき、海のむこうから雨をたたえた灰色の雲の一団が
やってきて、いっぺんに注いでそこいらを濡らした。
そうしてまたからりと、照りつけるひかり。
ここなのか、と
しばらくそこから動かれなかった。
わたしはこんなにきれいなものを
みたことがないかもしれない
午後から辺野古の座り込みテントへいって
守る会の方とお話をした。
後に気づけば実にぐるり、ちょうど一年ぶりの再会となる。
翌日、
テント脇からボートにのせていただいて
辺野古の海の上をいった。
あの海に、身体をすべり入れて漂う。
船長に手をひかれて、海の中へ潜った。
そこには
無数の、むすうの魚が群れをなして
すぐ目の前を、あっちを、こちらを、泳いでいた。
ひとたび顔をつっこめば、
地上からは感じきれぬ数々の
水の中の世界。
わたしは眼鏡の中でまた、目をびしょびしょにした。
こわがりの娘は
水中で魚をみることはできなかったけれど、
岩間や洞窟に住む小さないきものたち、
白いひらひら飛ぶ鳥、
生きているタカラガイ、とびハゼ、ヤドカリ、
ジュゴンのたべる藻草
そこをまっすぐにつっきる戦車の跡、この海を
彼女の心で見、すくいとったのだとおもう。
ここを埋めてつくろうとされる基地
とうめいな海をてのひらにすくいながら
わたしのは、
たとえば単純にジュゴンのためにとか海のためとか豊かな環境のためとかじゃ
ないやとおもった。
この海をみてしまったわたしのために。
誰かや何かのため、というよりもたぶん、
失いたくないと
強く願う自分のためなのだ。
失う、失わないの境界線に立つのが今のわたし達ならば、
わたしはわたし自身の奥底のために、
「失いたくない」
というほうの縄を強く、ひきづられてでも強く、ひっぱりたいのだと
おもう。
この手足とこの海はつながっている。
だからきっとこの手足と魂でどうにかできるはずだと、
妙におもってやまない。
「むつかしいモンダイだよね」
なんていって逃げかわして、やり過ごしてしまうわけにはいかないんだ。
わたしたちをこの海へつれだしてくれたひと
ボートの船長は
この辺野古に10年直にかかわり続けてきた女性で
こんがりと日焼けした彼女は
逞しく、うつくしく、からから笑って温かく、
豪快なようで照れ屋で、まっすぐに
ほんものを見つめるひとだった。
夜は彼女のうちにおじゃまして、
三線と唄と、沢山のはなしと、
こうもりの鳴き声と、風の音を、きかせてくれた。
降るような星と、天の川をみた。
数々のほんものが魂をつかんで、
涙をあふれさせ、自由にさせた。
2種類の時間があるならば、
わたしはこの瞬間確実に、全身全霊で生きて、いたとおもう。
わたしは、
この現在を生きている身のひとりとして
失いたくないものはもう絶対に失わない
たとえ、何度絶望しても
何度だって這い上がっては、つかむ。
笑いとばす。
離さない。
そういうふうに、決めている。
この旅の
この海の出会いに
底から、感謝しています。

3つまえの
にちようび
沖縄にゆくたびお世話になっている
お宿の一家が、
こちらへくるというので
とあるイベントに誘われた。
「ゆんたく高江ライブ」
高江は、沖縄の北部
やんばるの森に位置する
みどり
みず
いきもの
のまるで豊かなところ。
ここにも基地はあるのです。
ここでは戦闘ヘリが
昼も夜も日常的にとぶ。
民家のすぐ上だってとぶ。
前回ここを訪れたとき、
カフェ「やまがめ」の奥さんに
満月のよる
新月のよるは、
訓練のため夜通し飛び続ける
ときいた。
きんいろにまるいつきのよる
いちめんまたたくほしとやみのよる
バラバラとまどゆらす、ばくおんがひびく
ひとばんじゅう
だ
さて
さらに民家や学校から近い場所に
新しくヘリパット(ヘリの離着陸帯)がつくられようとしていて
住む人々の了解もえぬまま
強引に進めようとするその計画を
ひとびとはゲート前にただ、すわることで
阻止しつづけている。
2007年の夏から、今にいたるまで。
このことはDVD
『ククル UA のやんばるライブ』
や
『やんばるからのメッセージ』
に詳しい。
その高江のひとびとがこちらへきて
各地でイベントをひらいた。
そのひとつ、だった。
知念良吉さんがうたう。
「上でも下でもない〜
右でも左でもない〜」
右よりだ左よりだという人がいるけれど
それは所詮
ものごとを解きほどこうとはしていないのだとおもう。
ほんとうはひとりひとりがおもうことは
違うはずなのだ。
微妙にひとつひとつ
すぐにカテゴリー分けしようとする
そんでもって知ったような顔をするのは
安易に対立をうむだけで
無意味だ
とわたしはおもう。
大事なのは、
そのままの想い、であるはずなのに。
ライブの中で
知念さんが
沖縄のひとはもともと
懐のふかいところがあります。
その沖縄のひとびとがいま
もうこれ以上我慢はできないんだよといっているんです。
と、おっしゃるのをきいて
視界が水浸しになった。
琉球から日本へ統合されて
戦中、そこらじゅうの人々をじごくのようにころされて
戦後、じごくをつれてきた軍隊は基地としてのこった
目にも、耳にも、からだにも、こころにも、
こわいやくるしいをずっとずっと与えられ続けてきた。
それでも
躍って、うたをうたって
いきてきた。
それをこの先もずっとずっとつづけろと?
首相交代から支持率アップ。
世間は、あんなに騒いだ沖縄のことをまた
忘れ去ろうとしている。
しらんぷりに逆戻り。
7月から本格的に始まるといわれている
高江の工事着工。
ひとびとがあつまって
今もすわって
からだひとつひとつでもって止めている。
戦争はもうたくさんなんだよ。
軍備による抑止力。
そんなもののうそっぱちを
はやく、みんな、きづいてくれ。
そう願う。

たとえ泣いたところで
とかく現実は動かしがたく
まっくらやみ
であることは多い。
まっくらやみにひかり
ひかりがみたくて
うろうろする。
沖縄の報道がしきりにされていた間
わたしは
ただ希望をみていた。
しらんふり
この歴史を変えられる。
せーので考えられるかもしれない。
自分なら受け入れ、わらっていられるのか
基地ってなんなのか
いるの?
ほんとうに??
所属する
ナマケモノ倶楽部では
「鳩山さん、ゆっくりでいいんだよ!」
というムーブメントがわーわーと盛り上がった。
http://www.sloth.gr.jp/nobase2010.htm
国会議事堂前に立って
これ以上沖縄におしつけたくないと
ここでもおもっているよ、と
ローソクを灯すヒューマンチェーンに参加したりした。
そこへきて28日
金曜日の出来事、に力がぬけてしまう。
なにかもっとできたんじゃねーのか
と
自分自身をつねって
泣く。
泣いても、なにも救われないことはある。
泣いても、なにも変わらないこともある。
そんなことは知っている
けれどもなく。
でも、
失いかけた希望をかきあつめて離さない
「すべての武器を楽器に!」
という喜納昌吉さんの言葉がある
「imagine」
ジョン・レノンの歌がある。
ちっさなわたしはおもう
ファンタジーにこそひかり。
信じることをやめたなら、それはもう、ほんとうにおわり。
たった今
辺野古の海は、まだとてもきれいなのだ。
間に合わないことはない
そう信じ続けたいとおもう。

沖縄の旅の話。
誰が待つでもなしに、
ええ、ええ
勝手に続けます。
今回も辺野古へ行った。
ちょうど台風がやってきたころだったので、
座り込みのテントは片付けられ、
そのすぐ奥にある
「命を守る会・座り込みテント村」で
しばし話を聞いた。
今回は、旅の前に
細く裂いた布に願いをかいて、
つなげ
持っていった。
浜辺に存在する
米軍基地との境界線
ぐるぐるの有刺鉄線に、巻きつける。
この海が壊れませんように、と。
自分のもつ
わずかながらのチカラが
ここに加わりますように、と。
境界線のみえない空の下、
鉄線の向こう側には
戦車や米兵が訓練をしている光景をみる
と、テント村の人から聞く。
訓練。
もちろん
戦争の訓練である。
わたしは
軍人を悪くおもわない。
かつて
この国からも旅立っていった多くの兵隊たちを、
戦った人たちを、
血を流し、流させた人たちを
そうせざるをえなかった人たちを
悪い
などとわたしにはいえない。
憎いのは
その仕組みを作った大きな力である。
今も、
その仕組みを作り、動かす、
大きな力である。
何度でも思うけれど、
戦争の仕組みを紐解けば
戦争は
戦争によって得をする
一握りの人々のためにある。
莫大なお金が動き、
莫大なお金を得る人々がいる。
多くの、
虫けらみたいに死ぬ人々の、
苦しむ人々の
犠牲の上に立って。
だから、
だまされちゃいけないのである。
戦争はいらん、
と、人々はつよくおもわなくては
と、私はおもう。
わたしはね。
武力が平和をつくる
人々の安心をつくる
なんてゆう言葉を
わたしは信じない。
目の前には、
青い、緑色の、透明な、
海が広がり、
わけのわからぬほど美しい。
ここを、
埋め立てて
どんぱちやるための基地を
バラバラと爆音とどろかせる戦闘機の
滑走路なんぞを
作っていいのかどうか。
作ろうとおもうひとは一度
この海を
ここに立って、よーくみてみたらいい
と、わたしはおもう。
壊したものは二度と、
同じようには戻らないのだから。
まるでだめ
無力非力の山田はここへ足を運び
ただ
まだここにこの海があることをみる。
確かめる。
ふたり
砂の上に立ち
空の高みにむかって
海の向こうにむかって
願いをとばす。
そんなことをして、
この地
辺野古を後にしたのでした。

暑くて、
慌しくて、
ただでさえよろしくない脳みそが
溶けたようになってもうて
とんとまた
ご無沙汰してしまいました…。
夏休みも気づけば残りわずか。
すこし心さびしい気持ちがします。
夏の終わりにはいつも、
まっておくれよーと毎度おもう。
さて。
8月のあたまにまたもやましゅ氏と、
沖縄に行ってきました。
今回も、また南北同じようなルートを辿るふたり旅。
こちらは旅の途中で、
ましゅが
「とりさんが近くでみたい」
というので行ってみた。
たくさん鳥がいて、
えさを持っているとわらわらと寄ってきてくれる。
がしかし、
ひねくれもののヤマダ。
個人的にはわたくしどうも
囲われた動物を見るのが正直
あまり好きではなかったりする。
勝手に、鳥は自由にとんでゆきたかろうに
などと、おもってしまう。
本当のところは、
鳥に聞いてみなくちゃわからないんだけど。
そんなわけで、動物園とか水族館とかを
みていると
そりゃわーわー興奮もするんだけれど
奥のほうがこう、小首をかしげている。
みたけりゃ、
ジャングルだろうがサバンナだろうが
大海原だろうが
そこへ自分がゆけばいいんじゃないか?
人間さまよ。
そんなことをおもってしまう。
いけないいけない。
脱線してしまいましたが。
旅はあちこちで素敵なひと、もの、景色に出会い、
すんごく充実していた。
歩くところ珍道中の旅のはなしは
また、ちょこちょこかこうとおもいます。
ここ半月ほどで、いろんなことが入ってきて
混ぜ混ぜになって、
どこをどう切り崩して書いていったらよいか
よく手におえなくて、
随分と時が経ってしまいました。
のんびりしている暇はないはずなのに。
少しずつ切りくずしながら
話そうと思います。
きっといろいろ至らないけど。
はじまりは 以前ここでも書いた1本の映画
『大丈夫であるように』
これを観た私は強烈に、
沖縄を見てこなくては という気持ちになって
旅の計画を立てました。
ましゅとふたり
まずは沖縄戦の跡・現実をこの目で見て
自分の中に沁み込ませてきたい、と。
沖縄へはこれまで
本島へ一度、
離島へ何度か訪れたことがあったけれど、
お恥ずかしながら一度も
その歴史、基地について触れたことがありませんでした。
たぶん少なからずの人がそうであるように、
沖縄は
海や空がうんと綺麗で、
人々が温かく、食べ物が美味しい。
うんと表面を撫でただけの
認識しかなくて。
前述した映画をみて
とても恥ずかしくなって、
至った今回の旅。
ジュゴンがくるという世界的にも貴重な海を埋め立てて
米軍の新たな基地を作ろうとしている
辺野古。
ここへもできれば行っておきたい
と思いつつ。
そんな頃、
沖縄の北部 やんばるの森が
新たに壊されようとしているという話を
ぼんやりと聞き、
それに対するアクションを扱ったDVD
『心~ククル~UAやんばるLIVE』
が各地で上映されていることを知って、
せっかくなら旅ゆく前に見ておきたいものだと
出かけていきました。
この作品は 私が数年前から
こよなく尊敬しているフリーペーパー
『88』
htpp://www.wacca.com/88/
が手がけている、という。

この日の上映会は
東中野の NOAH’S CAFE
http://noahscafe.main.jp/top.html
で催され、
数日前に現地を訪れてきたという
おふたりも参加してくれていて
上映の後、詳しい話を聞かせてくれた。
やんばるの森・高江で今、起こっていること。
辺野古の問題と、高江、
日本、米国、戦争とのつながり。
戦後ずっと、沖縄に押し付けている犠牲のこと。
見せかけの縮小と引き換えに、
拡大しようとしている
さらなる犠牲のこと。
意図的に見えにくくしている手と、
その裏側にある ほんとうのこと。
この日の衝撃は
本当に物凄いものでした。
恥をさらしていいますと。
これまで、
沖縄の基地問題というのは
本土の私には入ってゆけない
壁のようなものをぼんやりと感じていました。
どこかで
当事者にはなれないのだから、
どうこういう資格がないのかもしれない、
というような。
本土に暮らす私には、
一般的な報道を見る限り、
沖縄で起こっていることはあまり
強烈に入ってきません。
どんな爆音の中、暮らしているのかとか
どんなに近くに、基地があるのかとか
どんな被害に遭っているのかとか
その頻度、重さ、痛み、恐怖の量。
どれだけそれが苦痛で、
どれだけの我慢をしているのか
とかいうことを。
無知であること
無意識であること
見ないでいること
このことは
この国がおそらく
そうさせるべくしてしていることでもあって、
そうしてそこにのっかている
自分は紛れもなく
沖縄に痛みや苦痛や我慢を
押し付けている当事者なのだと。
私が立派な加害者であるということを
私は、
本当に恥ずかしながら
初めて知りました。
戦前、戦中、戦後、これまでに、
どれほどの痛みを負わせてきているのかを
想像すると、
もうこれ以上、
さらに
なにも壊したくはないし、
押し付けたくはないし、
傷つけたくはないし、
我慢させたくない
と、本土の加害者である私は
思う。
犠牲になるものはいつも
小さかったり、弱かったり、
優しかったり、
美しい無抵抗なもの
であることが多い。
でもそんな世の中はもうごめんだ
とおもうのです。
いま各地で次々に
上映会が開かれています。
http://ameblo.jp/ricepaper88
少し前まで何も知らなかった私が知ったように、
このことを多くの人に知ってもらいたいと
切に思います。
知る輪が広がって、
おかしことにはおかしいと、
多くの人々が
やめようぜと声をあげたなら、
動かぬように見える石もきっと動く。
世界は変えられる、と
信じている。
切に
希望を持って言いたい。
『NO!』
と。
上映会後、
予定を大きく追加して、
沖縄にいってきた旅の話は
またあらためて
書こうと思います。
私自身、まだまだ知らないことも多くて
そのことを思うとなかなか
書けずにいたけれど、
それでも声はあげてゆきたいと
未熟ながらも
書かせていただきました。
それが生きてるってことじゃないかと。
日々、発展途上の山田です。
心より
長々読んでくだすった方に、
感謝込めまして。
混ぜ混ぜになって、
どこをどう切り崩して書いていったらよいか
よく手におえなくて、
随分と時が経ってしまいました。
のんびりしている暇はないはずなのに。
少しずつ切りくずしながら
話そうと思います。
きっといろいろ至らないけど。
はじまりは 以前ここでも書いた1本の映画
『大丈夫であるように』
これを観た私は強烈に、
沖縄を見てこなくては という気持ちになって
旅の計画を立てました。
ましゅとふたり
まずは沖縄戦の跡・現実をこの目で見て
自分の中に沁み込ませてきたい、と。
沖縄へはこれまで
本島へ一度、
離島へ何度か訪れたことがあったけれど、
お恥ずかしながら一度も
その歴史、基地について触れたことがありませんでした。
たぶん少なからずの人がそうであるように、
沖縄は
海や空がうんと綺麗で、
人々が温かく、食べ物が美味しい。
うんと表面を撫でただけの
認識しかなくて。
前述した映画をみて
とても恥ずかしくなって、
至った今回の旅。
ジュゴンがくるという世界的にも貴重な海を埋め立てて
米軍の新たな基地を作ろうとしている
辺野古。
ここへもできれば行っておきたい
と思いつつ。
そんな頃、
沖縄の北部 やんばるの森が
新たに壊されようとしているという話を
ぼんやりと聞き、
それに対するアクションを扱ったDVD
『心~ククル~UAやんばるLIVE』
が各地で上映されていることを知って、
せっかくなら旅ゆく前に見ておきたいものだと
出かけていきました。
この作品は 私が数年前から
こよなく尊敬しているフリーペーパー
『88』
htpp://www.wacca.com/88/
が手がけている、という。

この日の上映会は
東中野の NOAH’S CAFE
http://noahscafe.main.jp/top.html
で催され、
数日前に現地を訪れてきたという
おふたりも参加してくれていて
上映の後、詳しい話を聞かせてくれた。
やんばるの森・高江で今、起こっていること。
辺野古の問題と、高江、
日本、米国、戦争とのつながり。
戦後ずっと、沖縄に押し付けている犠牲のこと。
見せかけの縮小と引き換えに、
拡大しようとしている
さらなる犠牲のこと。
意図的に見えにくくしている手と、
その裏側にある ほんとうのこと。
この日の衝撃は
本当に物凄いものでした。
恥をさらしていいますと。
これまで、
沖縄の基地問題というのは
本土の私には入ってゆけない
壁のようなものをぼんやりと感じていました。
どこかで
当事者にはなれないのだから、
どうこういう資格がないのかもしれない、
というような。
本土に暮らす私には、
一般的な報道を見る限り、
沖縄で起こっていることはあまり
強烈に入ってきません。
どんな爆音の中、暮らしているのかとか
どんなに近くに、基地があるのかとか
どんな被害に遭っているのかとか
その頻度、重さ、痛み、恐怖の量。
どれだけそれが苦痛で、
どれだけの我慢をしているのか
とかいうことを。
無知であること
無意識であること
見ないでいること
このことは
この国がおそらく
そうさせるべくしてしていることでもあって、
そうしてそこにのっかている
自分は紛れもなく
沖縄に痛みや苦痛や我慢を
押し付けている当事者なのだと。
私が立派な加害者であるということを
私は、
本当に恥ずかしながら
初めて知りました。
戦前、戦中、戦後、これまでに、
どれほどの痛みを負わせてきているのかを
想像すると、
もうこれ以上、
さらに
なにも壊したくはないし、
押し付けたくはないし、
傷つけたくはないし、
我慢させたくない
と、本土の加害者である私は
思う。
犠牲になるものはいつも
小さかったり、弱かったり、
優しかったり、
美しい無抵抗なもの
であることが多い。
でもそんな世の中はもうごめんだ
とおもうのです。
いま各地で次々に
上映会が開かれています。
http://ameblo.jp/ricepaper88
少し前まで何も知らなかった私が知ったように、
このことを多くの人に知ってもらいたいと
切に思います。
知る輪が広がって、
おかしことにはおかしいと、
多くの人々が
やめようぜと声をあげたなら、
動かぬように見える石もきっと動く。
世界は変えられる、と
信じている。
切に
希望を持って言いたい。
『NO!』
と。
上映会後、
予定を大きく追加して、
沖縄にいってきた旅の話は
またあらためて
書こうと思います。
私自身、まだまだ知らないことも多くて
そのことを思うとなかなか
書けずにいたけれど、
それでも声はあげてゆきたいと
未熟ながらも
書かせていただきました。
それが生きてるってことじゃないかと。
日々、発展途上の山田です。
心より
長々読んでくだすった方に、
感謝込めまして。