
ちょっと過ぎてしまったけれど
9月9日は
私の祖父の誕生日。
6月6日生まれの私に、
「さとちゃんが逆立ちしたのがおじいちゃんの誕生日」
と 祖父は言った。
それ以来、ずっと忘れない。
朝ごはんを食べながら、
「今日はじいじのお父さんの誕生日だよ」
とましゅに言うと、
「キャラメルのすきな?」
とましゅが聞いた。
祖父は昔から
森永のキャラメルがすきで
祖父が亡くなったとき、
祖父宛に書いた手紙の封筒きちきちに
黄色いキャラメルの箱を詰めて
送ったのだったか、
棺に置いたのだったか、
そんな記憶がぼんやりとある。
正直なはなし、
私は大事な人が亡くなったときの
さまざまな事柄の記憶がほとんどない。
そこだけ紗がかかったように
ぼんやりとしていてよくみえない。
自分にとって辛すぎた出来事は
早々に記憶を曖昧にさせるように
できているらしい。
私の意志とは関係なく。
そんでもってその日の夕方。
「冷蔵庫からましゅのキャラメルとって」
と言うので1粒渡すと、
椅子を駆使して
高い棚の上にある祖父の写真の前に置いていた。
添えられた手紙には、
「ひおじいちゃん だいすきだよ
こんどあわられてね
ましゅまってるよ
へんじください ましゅより」
と書いてあって、
白い紙きれと、鉛筆も置いてあった。
あわられてね、はおそらく
あらわれてね、と思われる。
お返事を書かなくては。
と、ばかな私はおもって
置いてあった紙に、置いてあった鉛筆で
なるたけ筆跡を変えるつもりで
短い返事を書いて置き、眠った。
翌日。
また椅子を駆使してましゅが
キャラメルを回収している。
「おじいちゃんは食べられないから、
においをあげたの」
とゆうことらしい。
そして、
わくわくしている私の前で手紙をみつけ、
暫く。
「ママの字に似ているな」
と言って、にやっとした。
……。
私はもう二度と
こんなことはしまいと心に決めた。
後に、
そりゃそぉだよと
家族の面々には笑われた。
いつのまにか、
ましゅはこんなにも大きくなっていたんである。
気づかぬは私だけだったか…。
そんなこんなで
自分の愚かさにまたひとつ気がつきました今年の
きうきうの日でありました。
ちゃんちゃん。