
ちょっと前の日曜日、代々木公園の
「アースデーマーケット」に行ってきました。
無農薬・有機栽培の野菜やお米を、
各地の農家の方々が直接売りに来ていらっしゃったり、
オーガニックワインあり、
天然酵母のパンあり、
どでかい冬瓜あり、
餅つきあり、
心ある雑貨あり、
試飲のワインを飲んで、ほろ酔いの陽気な人々あり…
竹テントのお店がずらり、並んだ会場で、
あちこちでわぁわぁおしゃべりしてるよな、楽しい市場でした。
そしてここ、使い古しのてんぷら油の回収もしてくれるのです。
これは立派な植物性燃料になるそうで、車も走るそうな。
しかも回収と引き換えに、「r(アール)」なる地域通貨をいただけます。
私が持参したのは、1リットルペットボトルに満たないくらいの量。
これで「200r」もらえて=200円分のお買い物ができました。
この「r」、もちろんこのマーケット内や、
各地のアースデイマネーを扱うお店で使えます。
あの、茶色くなった油ちゃんですよ。
こりゃ、流しに捨てたり、
固めてゴミ箱に捨ててる場合じゃありませんことよ、奥様!
自分にいいことと、どこか誰かのいいことが、
こうして繋がっているのって、
うれしいもんです。得した気持ち。
なんて、私のうちは揚げ物をめったにしないので、
私の持参したてんぷら油ちゃんは、
実家の母が捨てずに、せっせと溜めてくれていたもの。
かあさん、ありがとう。
そしてそして。
今回、出店する中で、特に楽しみにしていたのが
「がんこ本舗」というお店。
茅ヶ崎にある、面白げな方々がやっていらっしゃる会社で
海を汚さない洗剤を作ったり、海に落ちているビーチグラスや流木で
アクセや雑貨をつくっていたり…しているらしい。
どんな人がやっているのかしらと覘いたらまあ、
これがまあ素敵なおじさんや、おねえさんがいて、
あんまり楽しくて、娘も含めて長話・長居をしちゃいまして。
そこにあったのが、「カリンバ」。

アフリカ生まれの楽器なのだそうで、
技などなんにもいらんでも、いい音がする。
前々から欲しいとは思っていたけれど、
ここのは、音階が選べるのです。
“浜辺の音” “深海森” “アイヌの音” “沖縄の音”…
そのイメージの音がするよう、音階が組まれていて
指で弾くとなるほど、そんな音がします。
どれもいいのですごーく迷ったけど、
結局娘にどれがい?と聞くと
「おきなわ」と即答したので、それに。
適当に、指でぽろんぽろん弾くだけで、
なんとも心地いい音がでるもんで、
娘と私、無我夢中であります。
いつか違う音のもほしいなあ。
そんな楽しげなアースデイマーケットは
主に代々木公園で、
月に1度くらい開かれているので、
ご興味ある方、ぜひ。

私には、ひそやかな夢がありまして。
それは
庭に、実のなる木があること。
うちの母なぞはまたか、という顔をしますけど、
ふと、何の木があればいいかなあと、
口に出して、考えたりします。
りんご、栗、花梨。
それから梅。
娘は、「ぶどうとすいか」といいます。
すいかは木じゃないんですよ、と説明しつつ、
それは畑に植えましょう。
檸檬もいるでしょ、柿、夏みかん。
それからイチジク、枇杷もいい。
プラムのクラフティを雑誌でみたってーと、
プラムもいる、となる。
(クラフティって食べたことないけど、なんだかおいしそう)
とまあ、指を折って数えますともう、結構な数です。
なんでか。
りんごのジャムが食べたい。
栗拾いがすきで、ゆで栗もすきで、栗きんとんも食べたい。
花梨ははちみつに漬けて、のどが痛いときに効くざましょ。
梅は花もよいけれど、梅干に、梅酒、梅酢。
ぶどうの木はその木陰がいいし、ジャムもいい。
檸檬は必要なとき、「レモンレモン」ともいでくる
友達のお母さんに憧れる。
干し柿干したり、夏みかんはマーマレード。
干しイチジクや、コンポート。
枇杷だってー。
と、食べたいもんがいっぱいあるからです。
もちろん、買ってくりゃ用は足りるんですが
これを庭から、ひょっと取ってくる、っていうのがいい。
木は1本ずつでいい。
季節ごとに、花が咲いて、実がなって、
そんな四季は、さぞや楽しかろうとおもう。
そして最近は、ザクロです。
ちょうど今くらいの季節になると、
ぶらぶらと、それはほんとうにぶらぶらと、
赤い実がなっていて、きれいな姿。
みるたび、
きれいだなーと、立ち止まる。
中には、透ける赤い粒がぴかぴかしていて、うんと綺麗。
これもはずせない木だ、とまた増える。
どんだけ広い庭が必要なんですか、と
つっこまれつつ、
いつかいつか叶う日を妄想しては、
うっとりしている
秋のこのごろです。

最近、ずっと気になっていることがあります。
新聞やTVでみる、歴史教科書に関するニュース。
4人にひとりが犠牲になったと言われる、
沖縄の地上戦。
「“軍の強制で”たくさんの島民が集団自決した。」
という記述を、歴史の教科書から削除するという動きに対し
撤回を求める声が各地であがっている、というもの。
先日沖縄での県民大会には、
主催側によると11万人を超えるすごい数の人が集まったそうで。
11万人。
ざっと東京ドーム2つ分ですよ。
だれかのコンサートというわけじゃなく、
うかれ楽しいお祭りってわけじゃなく。
で、11万人。
「歴史をちゃんと伝えてほしい」
という、ものすごくたくさんの人々の
願い、訴え、怒りなのだとおもう。
鎌倉市や高知市、全国各地の議会でも
「これは沖縄だけの問題じゃない」
と、検定撤回を求める動きがあるようで。
逃げ込んだ洞穴で、サトウキビ畑の下で、
いつか平和だったはずの空の下で。
家族が、親子が、命を絶ち合わなきゃならなかった。
その景色は想像を絶する。
誰も望みやしないことを、何が一体、そうさせたのか。
それをこの目で見たおじいが、その耳で聞いたおばあが、怒っている。
ずっとずっと胸に抱えて生きてきた人たちが、
事実をねじまげてくれるなと、訴えている。
もうこれは、誰が悪いとかの問題じゃないように思うのです。
ほんとうにあったこと。
大事なのは、ほんとうにあったこと。
そこにあったこと。
それを、消しゴムで消してしまうんでも、
ゴミ箱にぽいっとするんでもなく、
美しい話に書き換えるんでもなく、
ありのままの事実として、歴史に刻んでゆくこと。
継いでゆくこと、
わすれないこと。
そこからしか、私たちは何も学べない。
先にバトンを渡していけないんじゃないだろか。
なんて言いつつも、
あのとき沖縄で何があったのか、
子どもにちゃんと語れるほど、私は知りません。
もっとかあさん、歴史を知らなあかん、と反省しつーつ。
決定権を持つ、国のえらい人たちの心に、
このたくさんの声がひびきますように。
あの戦争が生んだおそろしいことを、
この先もずっとずっと、わたしたちが、
ずっと忘れませんように。

すっかり、ちまたは秋になりました。
と、しみじみおもうのは
何日か前から、キンモクセイのにおいがする。
すごくする。
と、みれば、通りのあちこちに、オレンジ色の小さな花。
この木もキンモクセイだったのかーと、
毎年、同じ木を見てつぶやいている。
気がします。
どんだけ忘れっぽいんでしょう。
私はずいぶん大人になるまで、
むっとするほどの
キンモクセイのにおいが苦手だったけど。
だからこれは“大人のにおい”なのだとおもっていたけど。
娘は自転車の後ろで、
くんくんやっては、
「はぁぁー、いいにおーい!」と歓声をあげています。
………。
窓を開けるたび、
戸をあけて外に踏み出すたび、
吸いこむたび、
ふっと込みあげる懐かしいような、
ちょっとだけ、心がきゅっとするような気持ちと一緒に、
秋がきたんだなぁと、おもう、今日この頃です。
焼き芋をたべよう。

先日、奈良から買ってきた我が家への土産物
「米飴」に、はまりまくっております我々親子。
旅の最終日、この米飴を求めて奈良の町をあるきあるき、
昔ながらの軒先つづく、その中で、
こじんまりと趣深く、かつ堂々とした佇まいの
『砂糖傳』というお店。
ご主人が、まあまあ、お入んなさい暑かったでしょう、と招き入れてくれて、
(その日はカキ氷を食べるほど、暑かったのです)
奥さんが、まあまあ、なめてみなはれと、
お箸にくるくると、光る飴色を巻きつけてくれて、くれました。
おいしー!
と、我々。
重いけど大丈夫かね?と心配されつつ、
「大丈夫、わたし力持ちですから!」と、お土産にいくつか買いまして、
ほくほくお店を後にしました。
このお店、その名のとおり、見るところ砂糖しか売ってません。
黒砂糖、和三盆、米飴、氷砂糖……。
“お砂糖屋さん”。
こういうのって、本当に素敵だなあとおもいます。
それ以来、小さな壷を開けては、くるくる。
口の中で、香ばしい甘さがとろん、とする。
むかし読んだ、
一休さんにでてくる和尚さんが、こっそり水飴をなめてた話を思い出しつつ…。
娘と一緒に、もう一回、あともう一回だけね。
と、やっとる次第です。
この米飴、
お米と、麦芽だけで、できているらしくて。
すりおろした生姜と一緒に、お湯にとかして、生姜湯をつくったり、
薄く切った大根に、大さじ1垂らして一晩おいて出たエキスが
のどに良いのよーと、にこにこ奥さんが教えてくれました。
ぐいぐい寒さに向かうこれからの季節、
あっという間に壷は空っぽになりそうです。

先日、娘とともに
『京都音楽博覧会』という名の、野外音楽フェスに行ってきました。
この夏こそ空の下、音楽に身もこころも大暴れ。
したいものだなーと思ってまして、
今年は結局、これがふたつめのイベント。
ちょいっと前に、山崎まさよし 見たいがために出掛けた野外フェスにて、
娘とふたり、大興奮……。
そして今回は、はるばる京都へゆきまして
くるり 主宰のこのイベント。
これもまた、とってもよかったです。
なにがって。
すみずみまでとても心地がよかでした。
だからなにがって。
とても環境に配慮されたイベントだったので、
たとえば、
イベントでありがちな大量の印刷物の配布が一切なかったり。
その代わり、入り口で配られるごみ袋に、
タイムスケジュールがプリントされているという小粋な仕掛け。
出たごみは、各人が細かく分別するようになっていたり。
飲食するにも、リユースの食器が徹底して使われていたり。
それからお腹に響くような巨大な音量を、とどろかせはしていなかったり。
と。
出演アーティストの話も、ひとつひとつなんかこう、優しくて
こころにすいすい入ってきて心地よかったり、深くうなずいたりして。
芝生の上、足を投げ出して、
時にはぴょんぴょん飛び跳ねたり、ゆらゆらしたり、途中雨に打たれたり、
ゆるゆるとその空気にひたりこみました。
Cocco の歌に、ましゅがぽつりと
「うっとりしちゃった」と、ゆっていて、
この子、うまいこというわぁと思ったり。
して。
音楽っていうもので、そこにいるひとが一つになっている瞬間、
その感覚に酔いどれたりと、
とにかくまあ、素敵なイベントでした。
今年は記念すべき第一回目のこの音博。
あまりに楽しかったので、来年もきっとゆきたいなあと思っています。
さてその後。奈良に行って
奈良の大仏 も拝見。
大きな大仏もすごかったけど、
私はその大仏の入っている建物の見事さに、ほおーっ、となりました。
娘はそこいらの景色に普通になじんでいるシカに
えらく感激したようで、
こわごわ近寄ったり、話しかけたり。
旅から帰り、大仏のものまねをしている娘氏。
旅の余韻にひたっている、我々です。
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