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  日々、ミカンのこと                 

satomi yamada

いのちの食べ方 

映画 |

月ね


いよいよ年の瀬です。

鏡餅を和菓子屋さんに予約したり、

あわただしく過ごしております、ヤマダです。



さて先日、かなり気になっていた映画

『いのちの食べかた』

を、観にいってきました。



これが。

これがこれが。



わたしら命をいただいて、今までだって、これからだって、生きておるんだよな。

と、当たり前なんだけどそんな大事なことを、

つま先から、指の先っぽから感じずにはいられないような

作品でした。

それはぞくぞくとするような、しかし逃れられぬ事実であり。

それをいかに、ともすれば忘れて、

何の気なしに、生きている。

食べている。





スーパーやお肉屋さんで買う、パックに入った豚肉、牛肉、鶏肉。

これはぶたであり、うしであり、とりだったわけだ。

ぶーぶーと鳴き、ももーと鳴き、コココと、鳴いていた。

そんな体だったわけだ。

これね、忘れるんですよね。

忘れてね、食べてるんですよね、

たとえばとんかつを。

おいしいなーとはおもうけど、ぶたさんの命、ありがとう

とまではおもわない。

ぶたさん痛かっただろうなぁとまでは、おもわない。

痛みの裏側に、この食事があることをわすれちゃいけないんだ。

と、痛感させられたわけです。



それと同時に、いまのこのあまりに当たり前の

飽食の文化。

文化というか、時代というか。

それに合わせてどんだけ無茶なことを

お野菜に、お肉となる生き物たちにしておるのか。

どんな上にこの生活は成り立っているのか。

結構知らないもので、その裏側をたくさん見せてくれます。

ナレーションや解説は一切入らない、このドキュメンタリー。



おぞましいような、ととらえるか。

なんてシステマチックでうつくしい、ととらえるか。

人間すごい、ととらえるか、

いいのか人間、ととらえるのか。

それは観たひとそれぞれ感じるのでしょうが、とりあえず、

たくさんのひとにみてもらいたい!

と、おもいます。





渋谷のイメージフォーラムほかで、上映中ですゆえ

ご興味そそられた方、終わっちゃう前に、ぜひ。



この1年も、いろんな、ものすごくたくさんの命をいただき

元気に過ごせました。

となりで飛びまわる、娘同様。

ほんとうにほんとうにありがとう。

食べ物だけじゃないけれど、

いろんなこと、いろんなひと、ほんとうにほんとうにありがとう。



あたらしい年も、

手足をうんと伸ばして、

踊るようにまいりたいとおもいます。

このみょうちきりんなブログを読んでくださっているみなさま

来年もどうぞ、よろしくお付き合いください。



しみじみと感謝をこめて。



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こたつひとつ 

四季 |

こたつ


しばれますな。

しかしこの冬、我が家はいつもの冬とは違います。

こたつくん。



うちは古いつくりなゆえに、収納はうんと(わりと)あるんです。

そんなわけで、実家のはみだしもの達が、

やんややんやとやってきます。

そのひとつにこたつもあって、

確か昨年あたりからいたはずなのだけれど、

こたつって狭いうちがますます狭くなるからなー

と、

押入れの中に。

ばらばらで。



しかしどういうきっかけだったのか、

今年は出してみるかという気になって

引っ張り出されたこたつくん。

あなたが四足でしっかと立つ姿を、

見たのはもう何年ぶりのことかしら…。



わたし、岩手で幼い頃育ったので

もちろん、こたつが冬にはつきものでした。

家族でお鍋つついたのも、クリスマスケーキを食べたのも、

受験勉強したのも、こたつの上だった。



それが都会で、もう10年近く暮らすようになって、

すっかり都会人にでもなった気だったのかしら。

こたつを捨てて。

ま、そんなおおげさなことじゃありませんけども、

とにかくまあ、出してみたらば。

ば。

うんといいじゃありませんの!

あったかいじゃないの!

なにこれ、ぬくぬくじゃないの!!



と、すっかりこたつむり。

パソコン仕事も、夜中にミシンも、全部ここ。

そうそう暖房をいれなくても、暮らせますもの。

ちょっと手が、かじかんだりもしますけど

まあ、少々は冬らしくていい。



なに?うちの子になりたくないって?

……。



快適が幸せってわけじゃないのよお嬢ちゃん。

ちょっとくらい不便なのも、楽しいものなのよ

ほんとよ。



……。



さて、娘はといいますと

叱られたとき、いじけたとき、

こたつにもぐりこみます。

もぐらのように。



すっかりこたつが気に入ったふたりの住みつく我が家は、

冬がくるたび

この子が登場しそうです。

よろしくね、こたつくん。




14:05 |  trackback: -- | comment: -- | edit

がらりがらり 

未分類 |

黒板



ひとも、時とともに変わるものであります。

そうしみじみおもうこと。

の、ふたつめ。



テレビ、見なくなったなぁということです。

テレビ嫌いなわけじゃ、もちろんないんでして、

ただ、

そのテレビジョンの持つ力を、あなどれないと感じているから。

そのチカラを、今は昔ほど必要としていないから、

なのかもしれません。



かつて、

夜の連ドラを、生きがいにしていたときもあったし。

学生時代・ひとり暮らし時代は、

テレビに話しかけ、つっこみながらご飯食べてた頃もあったし。



それもどうかとおもうけど、確実に、

私を支えてくれていたときもあった、ような。

いや、あったのですな。



テレビは時間を埋めてくれます。

なーんにも、しなくっても。

泣いたり、笑ったり、できる。

感動したり、新しいことを知ることもできる。

そんなチカラも知りつつ。



かつて、娘と一緒にいるときも、

じゃんじゃんテレビをつけっぱなしにしていた頃もありましてん。

ひとつのことにしか集中できないわたし、

もともとわたし、テレビっこ。

ましゅの呼びかけも耳に入らず、テレビに釘づけ、

とかね。

母親としてどうなのよ、と妹につっこまれつつ、

まことにそうだ、と反省して。

でもこれ、私の意志ではどうにもできないのよーと、

これをみるってとき以外、

テレビをつけるのをやめました。

音楽かけたりはしますけどね。



それ以来

わたしがご飯をつくっているとき。

とか、身支度をしていてかまってあげられないとき。

娘はというと

たいてい、

紙をちょきちょき切って貼って、何かつくったり、

せっせとどんぐりやビーズたっぷりパーティを用意してくれていたり、

お人形をベビーカーに乗せて走り回っていたり、

かとおもえば、

ぬいぐるみを次々預けにきて、保育園ごっこをしたり、

なんやかんや、遊びをつくりだしていて楽しげ。



ところが一度、

たとえばおじゃる丸が見たいとかいってスイッチをいれてあげようものなら、

ずーっと、

ずーっとずーっと、

テレビの前で座ったり、ごろんごろんしたりしている。

「消すよ」

というと、「えーーーー!」と、かなり反対する。

テレビがついている限り、

ついさっきまでしていた

“想像してつくりだす遊び”が、できなくなるんだなぁと、

あるときおもったんでした。



テレビって、おもしろくできていらっしゃる。

と同時に、今はあんまり必要じゃないかもしれない

とわたしはおもったのでした。

もちろん、これはぜひ見せたい! っていう素敵な番組もたくさんあって

それはできれば見せたいような、

迷うところですけども。

……。



子どもは外から与えられるものより、

想像して創りだす時間が多いほうがいい

と、なんとなく、わたしはおもっています。



そんなわけで、の我が家

が、

連日、ましゅと見ているのが

朝の連ドラ 「ちりとてちん」。



おばあさんか。

と、以前のわたしならつっこみたくなりそうなもんですが。



しかし、これは唯一、欠かさず見ております。

だっておもしろいんだもの。

私が号泣しておれば、娘はささっとタオルを持ってきてくれ、

ふたりで手をたたいて笑ったりもして、あっという間に15分。

“つづく”

の文字に毎朝、「つづく、やだー!」と無茶をいう、娘氏。

やだっていっても、明日の朝までやりませんよ。



ふいに、落語の口調を真似したりしている、最近の娘です。



テレビが悪者だ、とはおもわないし、

必要なときも、あるかもしれない。

だっておもしろいしね。

これが素敵、とおもう番組だって、人それぞれですしね。

ただ、これはテレビに限らず、

いい面や楽しい面の裏側にあること、例えばこわさも、

なるたけ知っておきたいものだなあと、

最近おもうのでした。

その上で、いろんなことを自分の判断で

その時々で、決めていければいい。

そんなふうにおもいます。



刻々と、変化しながらも。



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がらり 

未分類 |

がらり


ひとも、時とともに変わるものであります。

変わらないこともあるけど。

なんや変わっていないような気でいるんだけれども。

しかし。

わずかに、すこしずつ。

いつのまにかがらり、の、変化。

最近それをひとつ、実感したのは、新聞を読んでいるとき。



うちでは新聞をとっていないので、

新聞といえばもっぱら、わたしはぶらりと行った実家で読むのでありますが。

その新聞。

最近、開けばざっと全ページ、めくるのです。

株式らしき数字ずらり並ぶページと、スポーツ欄、以外。

普通だって?

でしょうな。

それが普通でしょうな。

……。

しかしながら、

そのことに自分でびっくりしているわたし。

わたしの知っとる“わたし”といえば、

TV欄をみるわたし。

4コママンガを読むわたし。

今週の天気を、

月の満ち欠けを、潮の満ち干を、みるわたし。



こどもか。



いやなに少し前まで、こどもさんレベルに新聞を見ていたのだ。

いや、こどもさんだって新聞読む子もきっといるぞ。

と、いうことに、今更ながら気づきましてん。



で、今は新聞がおもしろいなーとおもう。

天声人語が受験に役立つから、とかいって、

かつて無理無理読んでいたのとは、

ちょと、いや、ずいぶん違う。



なるほどそうか、なんつってわくわくしたり、

こんなことが起こってるのか、と、ちっさい胸を痛めたり

あまりの不条理さに、怒ったり、しながら。

新聞はおもしろい、そうおもう。

人生でこんなの、やっとのことなんだからこれ、

おはずかしい限りでありますよ。



休日、実家に行くとざっと1週間分の新聞を、

暇さえあれば広げてみてるもんで、

娘がその上を

「ママー、もう新聞だめー」

と言いながら、ごろごろ転がる始末。

……。

ごめんね。



うちでも新聞、とれって話ですか?



それからもうひとつ、

わたしも変わったわのぅーとおもうことが、あるのでありますが、

また、長話になってまいそうなので

今日はこれくらいにして

それはまた、つぎのはなしに。



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