
近ごろ、我々の間で流行っております
『難のがれ』。
我々、なんてゆうてもなんてことはない
わたしと娘、実家の母という限られた人々なんだけど。
と、いうのも
少し前、妹と朝食を食べているときに
梅干しに箸をのばしながら彼女が
「朝の梅干しは、その日の難逃れと申します」
といいました。
それがおかしくて、でも妙に真実味のあるまじないのようだった。
で、さっそくそれからというもの
朝ごはんにはどうも 梅干しがなくちゃいかんようになりました。
「朝の梅干しは その日の難逃れと申しますぅー」
といいながら、母の漬けた梅干しをつついて
ご飯をいただく。
娘もこれが気に入っているようで、
「ママ、なんのがれちょうだい」
といって
海苔にごはんと一緒に梅干しを入れて巻いたやつを作っておくれとゆってきます。
「難逃れ」ねえ。
とはいえ、大なり小なり振りかかる難は振りかかるもんですよ。
ちぇっ、ついてないなーっておもったり
あの時こうしておれば…っておもったり
失敗したり、
しますわな。
しますわよ。
でも、起きたことはもうどうにもならなくて
覆水盆に返らず。
もうこうなったら早いところそれを受け入れて、
今 どうすりゃいいのか
なにができるのか
なにをするんか
に転じられたらいい。
くよくよしてたってしょうがないもんね。
そんなひらり とした強さのようなものを
いつでも持っていられたらなと
おもう我輩です。
しかしどうしても逃れたい難
というのもありまして。
大事なひとたちが 今日も元気でいられますように。
生きていてくれりゃそれでいい。
そんなことを思いながら、
梅干しをつつきます毎朝のわたしであります。

先日 誕生日をむかえ、
むすめ 6歳になりました。
早いなぁ。
ってなわけで誕生日ケーキをつくりました。
とはいえ、スポンジケーキはつくれまへん。
毎年 お世話になるのは、
学芸大学駅ちかくの お菓子材料屋さん・フォンテーヌの
スポンジケーキ。
ここで扱うものは マッターホーン と同じものなんだとか。
どうりでおいしいわけですわ。
そしてお手ごろ。
かつて お友達に教えてもらって以来、
通わせてもらっているお店です。
そんなこんなで誕生日。
ましゅは何日か前から、
あとなん回寝たら 6歳♪
と、そわそわ。
おもえば昔
ひとつ年が大きくなるのって、うれしくてたまらなかったっけ。
わたしはというと
すこし前からプレゼントを包んだり、
カードを書いたり、こちらもそわそわしてました。
カード書きながら、なんだか胸がいっぱいになって
じょびじょび泣いたりなんてもしながら。
そういや最近わたしは よく泣きます。
うれしかったり、
きれいだったり、
切なかったり、
ときには くるしかったり、
わけもわからずだったり、
いろいろだけど。
胸の中にあるコップみたいなもの から
なにかがいっぱいになって溢れる みたいで、
その感じは
小さい頃から変わらないようにもおもう。
まあ、どれにしろ
泣く というのは
心がむき出しになっているからで、
心の奥が震えているからで、
気づかずにいることや
マヒしていることや
うそっこをやっているんでない
ほんとう のこと。
だとわたしはおもう。
だから泣いたっていいや。
おおいに泣けばいいや。
そのうえで、うんと笑って生きてりゃいいや
って おもう。
むすめは小さい頃から
わたしが泣いていると、
顔をのぞきこんで 拭いてくれる。
正直なところ。
むすめがいるから、
わたしは生きていられる。
わたしが彼女から与えられているもののほうが
はるかに大きい。
と
つねづねおもっているんです。
だから 感謝してるんです。
そしてごめんね。
こんなんで。
注文どおり、
いちごと、パイナップルと、キウイ(きうりっていってたけど)
を間に挟んで
どんな顔するかしらと わくわくしてつくったケーキを、
もしゃもしゃおいしいと食べてくれて 感無量の
むすめの誕生日でした。
おめでとうで、ありがとう。

2月3日、まめまき節分。
そういえば娘の予定日はこの日でした。
けど、生まれたのはもうすこし後。
はじめて娘の顔を見た瞬間のこと、
今でも焼きつくように、覚えている。
さて、
先日の豆まき。
娘は園でおにのお面をつくってきました。
今年は新型・かぶり型。
まだインフル残るわたしに
「ママにもつくってあげるね」
とせっせとつくってくれまして。
本当は大きな紙でコップをつくってやるんだけど…
と紙を探し、ここにはないとなると
紙袋を使って
やれ紙をまるめてツノをつけたり、
目玉をはったり、
穴をあけてセロハンをはってのぞき穴をつくったり
して
見事なおにのできあがり。
ちょっと親ばかなことをいいますけれど、
あんた、見事だよ。
私がインフル菌によってふらふらしながら
仕事をしているとなりで、
もくもくと園で習ったことを も一度やって
こんなかぶり物を ひとりでつくるんだもの。
そりゃちょっと、セロハン付けるとき
ばあばに手伝ってもらって
なんぞ我儘いって怒られて、
ギャーピーいってたけどもさ。
娘は2歳のころから保育園に通い始めたので
たとえばオムツがとれるのも、
はさみが使えるようになったのも、
字をすこしずつ覚えたのも、
昼間のほとんどを過ごさせてもらっていた
保育園のおかげだった。
わたしが見ていない時間の間に
娘が吸い込んだものだった。
そのときどきの周りにいてくれた先生や、
おともだちや、私の母や、いろんなひとびとの温かさに
いくらしても足りないくらい感謝していると同時に、
むねの奥のほうに すーっと
冷たい水がこぼれたようになる。
過ぎた時間はもう二度と戻らない。
いつのまにか大きくなったような気持ち。
ってことはわたしにはまだまだ、
見過ごしているものがある。
鈍感ではいけない。
ときどきはっとしては、
こころに言いきかせながら生きとります。
さてと。
節分には、娘とふたり お面をすっぽりかぶって
「鬼はそとー!」 と
皆から豆をぶつけられながら
実家の家中を逃げ回りました。
ああ面白かった。
その日空けていて豆をまいていない我が家のことを、
「鬼がいるかも…」
と案じている、近ごろの娘です。

ゆき、またまた降りました。
まっしろはきれい。
窓を開けるとまぶしい、というのが懐かしい。
珍しい雪にまみれて遊びたいー
ところがどっこい、
わたしインフルエンザになりました。
とほ。
毎度
インフルというとどこか他人事で、
予防接種も娘にしかしない我が家。
でも気づけばかかるのはわたし。
数年前にもかかったな…。
ごほごほいっているわたしに、
洗面器を運んできて
冷たいガーゼをしぼっておでこにのっけてくれる娘さん。
お母ちゃん、熱もあるし泣いちゃうよ…。
しかし病院でインフルちゃんと分かりますると、
甲斐甲斐しい娘の看病も受けられなくなってさみしい。
わたしの周りは感染地帯とされて立ち入り禁止。
遠くから手を振ってきたりだとか、
ちょっと離れたところに座布団を積みあげて
落語を一席やってくれたりだとか。
おかげさまで、もうすっかりよくなりました。
お世話かけたね、みなさんよ。
風邪をひいたとなると、
どっぷり実家のお世話になるわけでして。
うつさず、うつらぬように家族全員白マスク。
だのに、
りんごをすって食べさせてくれた妹に
インフル感染。
こーわーいー。
そしてごめんね。
今度はわたしが妹に、りんごをすってあげようや。
ああた今年は予防接種受けなさいよ、と家族に言われるヤマダでした。
ご…ごもっとも。
みなさんもお気をつけなさって!
そんでもってまだ残る雪で、
ゆきだるまでもつくろうやっと。
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