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  日々、ミカンのこと                 

nalu

アンペア 

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ましゅのて


唐突ですが、

お宅のアンペアがおいくつかご存じですか?



我が家は15Aです。

15!?

「何かの修行ですか?」

と、たいていのひとは驚きます。

または、信じません。

あるいは、わらいます。



15Aは最小値からふたつめ。(たぶん)

とにかく物事をまあ 知らないわたし。

アンペアの違いもよく分からずに、ずっと30Aかそこらで暮らしていたのだけど、

1年ほど前、ふとしたことでこの違いを知りまして

ものは試しと一気に15に下げてみました。



母からは不憫がられ、

(わたしを、ではなく

また変な挑戦をするわたしに付き合わされて

不便なおもいをする娘に、である)

電力会社のひとには何度も

「よいのですね?」と念を押されて、

ほんの数十分で変えてもらえた。

無料です。



まずね。

基本料金がぐっと下がります。

電気代、半分くらいになりました。

たいていは、なんの問題もなく暮らせます。

うちはふたり、というのもあるんだとおもうんだけど。



使わぬプラグを抜く。

これにもすぐ慣れて、楽しいくらい。

なにより、

今 電気を使っとるんじゃっちゅう、実感がわく。

エアコンとレンジを同時に使っても、ギリギリセーフ。

ときどき、

たとえばホットプレートとレンジを同時に動かしたときとかは

ヒューズが飛ぶ。

真っ暗になる。

わーわーいって、ちょっとの間どっちかにする

ってだけよ。

わたしはこの、わーわーが実は嫌いじゃなかったりする。

ちょっとした騒ぎ。



そしてまあ、

なるほどコレは電力を使うものなわけだな、と

とても敏感になります。



でんき。



ぱちっとやると、ぱちっとつく。

ピッとやると、ピピッと動く。

この便利さに慣れてるけども、

この電気は一体どこから??



その先をちょっとだけ知るってーと、

それは天から降る雨のように、

無害で無限でないことに気づく。

わたしの場合、

原子力に頼りたくないよ、という

気持ちのあらわれでもある。



わたしにはどのくらいの便利が必要かってのはたぶん、

ひとによってそれぞれ違うけど。

押し付けたりってのも違う気もするけど。



自分のことは自分で考えて、

自分のことは自分で知っていたほうがいい

ようにおもう。



わたしだってちょっと前まで知らなかったんだけどさ。





15Aのわたしのうちの

わーわーいう小さな暮らしは

なかなか楽しいです。

わたしにとって。



これだけはいえる。



娘はというと、

いつのまにか もったいない星人になって

その視点に驚かされる。

ヒューズが飛ぶたび、わーわー言って

「今のはなんで?なんで?」と興奮する。

このひともなじんでおります。



わたしの母の眉間に寄せたしわも

いつのまにかなくなりました。



はじめの一歩は 奇 なれども、

なんてことない

気にするな。

自分のおもうように、歩けばいい。



なんつって。


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アースデイ 

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アースデイ



どようび

にちようび

代々木公園にいった。



「アースデイ」というお祭りに。



アースデイは世界中が、

“地球のことを考えて、行動する日”。

娘を連れて

どようび、おなかをすかせてゆきました。



すごい人混み。

早速、

自称 「おとなのあじがすき」 とゆう 娘の選んだサルサと、

牛丼の具が売り切れて登場したらしい

『つゆ丼』 二百円

を、大きな木の根っこに座ってたべる。

おいしい。

おかわり。

と、娘はつゆ丼をおかわりして、

ぺろり。

もくもくたべる怪獣のとなりの、

これまたもくもくたべる怪獣かあさんは足りずに

マフィンをたべて、

さいごにフルーツトマトをかじる。




今日はお弁当箱をもっていったので、

お皿を借りずにすみました。



雨がちらついて、

やまずにぱらぱら降る中を

ハンカチかぶって娘っこと、

いろいろみてあるきました。



ツリーハウス、遊べる楽器、ヘンプシャツ、ジュゴンぱん。

……。



にちようび。

アースデイのステージに

宮沢和史さんが立つってんで、

それに合わせ

またまたゆきました。



夕方だったし、二日連ちゃんはきついかしらと

娘を預けて、

ひとりひょいひょい ゆきました。



青空で、

あついくらいで、

今日はさらにすごい人。

人だらけ。

ちょっとぶつかっても、

「ごめんなさい」って

どの人もゆう。

自然にゆう。

わたしもゆう。



ここへ来るまでに渋谷を抜けてきたのだけど、

その道は だーれもなんにもゆわずに

バックとか、肩とか腕とか ばしばし当たる。

けどなんにも、だれもゆわない。

それがふつう。

このひとたちは、そう大きく違わないようにおもう。

きっと何か、ほんのちょっとの違いで 両者がある。

ようにおもう。

意識、空気、空間、ほんのちょっとしたもの。



何にもいわないのより、

何かいい合ってる方がいいな。





竹ドームの中でうたう人。

耳をすます人々。

空気をつたう声、ひびく中身。

うたはソウル(たましい)だな、と妙におもう。

こころが洗われるようでした。

ありがとうと拍手。




茄子、シベリアトマト、きゅうり、の苗を買い、

パレスチナビールを一杯片手に

うっきうっきーと ステージへ。



宮沢さんボーカルの、『BANGA ZUMBA』 というバンド。

久しぶりにみた宮さんでしたが、

ことばではゆえません。



たまらんね。



声、リズム、手足、うた、奏でるカラダ、リズム、

すべて。

空にとんでくみたいな。

陽気さと、自由さと、チカラと、開放。

……。



しばらくこの感じが、

カラダから抜けません。

生のライブはいいです。

文句なしに。



そんなわけで、

空や、風や、空気や、

ゆくかゆくまいか躊躇してたわたしに

いってらっしゃいなと背中を押してくれた

父さんや、母さんや、

娘っこや、いろいろに

ありがとうっ を噛みしめ噛みしめ、うちへ帰りました。





今年も、来場者12万人とゆう

アースデイ。

この世界がいいほうへ

皆でゆける気がしてくる。

ゆきましょう、ゆきましょう

明るいほうへ。

11:42 |  trackback: -- | comment: -- | edit

菜種梅雨 

台所 |

クッキー


すこし前の雨の日。

クッキーでもつくるか、となった。



バターを練るところを

自らエプロンと三角巾をつけてきた娘に任せると

窓辺に座ってボールを抱えて、

しばらく。

「はいっ」っと持ってきたのをみれば

それはカンペキにクリーム状だった。



いつのまに。



そんな風におもうこと これ

このごろとても多い。



わたしがぐるぐると

同じようなところを廻っている間にも

このひとは 梯子を上ってやってくる。

目をぴかぴかさせて。



そんなわけでとても大助かり

とんとんと

手際よくものごとは進み、

型を抜いて

クッキーは焼けた。



うちには例によって

薄力粉が少ししかなくて

全粒粉ばかりがやたらとあるものだから

焼けたのは黒めの品。



それに 今日のこれには

『マヤナッツ』

なるものが入っている。

以前、この粉をグァテマラから直に仕入れている人から

買ったもので

ずっと戸棚に眠っていたのを ようやく使えた。

香ばしい匂いがして、いい。



この『マヤナッツ』は

森(ジャングル)から採れる木の実だそうで、

まだ日本にはなじみの薄いものだけど。

これがうまく流通にのれば、

その森を 開発という手で壊すことなく

この森のまま 残し、

そこで暮らすことができるのだ という。



この森のまま



そこからいただけるもので

人々も暮らせる というのは

わたしには素晴らしいことのようにおもえる。



そんなわけで

マヤナッツ。



栄養価もとてもいい、とのことでありますからね。





さてこのクッキー。

食いしん坊の我々によって

あっという間になくなりました。



手づくりできる生活というのは

何よりであるように

わたしはおもう。

いっぺんに何もかもとはいかなくても、

その割合を 笑いながら

なるたけ増やしていけたらいい。



ゆっくり、小さく 生きるなら

それらは可能ではないか と。



スロー イズ ビューティフル

スモール イズ ビューティフル



この言葉に頷き、頷きしているわたしです。



11:49 |  trackback: -- | comment: -- | edit

匂いの記憶 

こども |

ランドセル


さくら、すっかり散りまして。

季節は次にすすみます。

とことこ、と。



娘、先日入学しました。

毎朝 学校にむかいます。

ランドセルを背負って。

わくわくしてたまらないといったふうに。



この ランドセル。

購入までに少しばかり波乱がありました。

波乱?

小さくせせこましいこころのわたし、

今回学んだことが ひとつ。



なにしろ好みの頑なな、わたしのことです。

ましゅのランドセルは某色がいい

と、勝手に決めておりました。

けれどむろん、ましゅの好みとはちがいます。

ましゅはやれ水色だ、ピンクだ、黒だ赤だ、だれだれちゃんと一緒がいい…などと

日々違う色を申します。

おいおい。



6年間持つわけなのだぞ。

そんなふらふらしてどうする?

いやになっても知らないぞ。

飽きたっていったって、かあさん買ってあげないんだぞ。



そんなふうにまあ、思っていたわけです。

いつかそのうち、わたしのいう色がいいというのを待っていたんですわ。



したたかに。

そして、それがきっとましゅにもよかろうと

思っていたわけです。



そんなある日。

お仕事でご一緒させていただいているある方に

そのことをぽつり、話しましたらば。



怒られたわけです。



なんじゃそらと。



親の趣味趣向を理不尽に押し付けるなんて

愚かじゃないか?と。

すきなものを否定された子のその後を想像してみなさいと。

そこに創造性が存在するとおもうのか?

と。



全然うまく再現できないのだけどまあ、

ざっとそんなことをその方は言った。



はっとして、目が覚める。



ほんとうにそうだ。

ほんとうにそうであるよ。

何してた我。

なんとあほうであったこと。

……。



と、こころの悪いウロコをぽとり落とし。

ランドセル

娘にお好きなのを自分で考えて、選んできなさいな、と

送り出したわけでした。



その日、

ぴちぴちのランドセルを背負って祖母と帰ってきた娘の、

なんとはじけるように陽気なこと。



結局、娘が選んだのは

あずき色。

内側にイチゴ柄があるのが気に入ったとのことだけど。

わたしがおもっていた色なんかより、

ずっとずっとお似合いよ。



6年間よろしくねんーといいながら

雨の日にはタオルでふき、

ふたを開け閉めしています。

元気に背負ってあるいてゆきます。



よかった。

ほんとによかった。



たかがランドセル。

されどランドセルでござる。



真新しいランドセルのにおいをかいで、

記憶がふっとこみ上げる。

あの瞬間のこと。

あの頃、小さい自分のこころのこと。

感覚のこと。





まことに日々は、反省の繰り返しでありますことよ。

そして、学ぶことが恐ろしいほどに多い。





いつもまともに、

面と向かってはなしをしてくれるこの方には、

本当に感謝している。




わたしのするべきことは、

自分のものさしでもって

間違わないようにさせることでも、

導くことでも きっとない。



ただ

いっておいでと送り出し、

間違いだろうがまるごとすべてをそのまま

おかえりと

迎えることなんじゃないか。

とても単純なことだけど、

とてもむつかしくて、

すぐに忘れてしまっている。



でも 遠くから眺めればわかる。





そうでなければ、

間違いなんてないってことも、

間違ってもいいんだってことも、

自分をすきでいることも、

きっとできないんだ。





胸にでかでかと張り付けておこう。

わすれぬように。

この手が大事なものを、これ以上こわさないように。





11:56 |  trackback: -- | comment: -- | edit

ぴらぴら 

四季 |

さくら




これが咲くと、どうもこうもない。



いつか住んでいたアパートの、裏のお寺いっぱいの桜。

いつか歩いた公園や 川沿いの桜。

ここは桜だらけになる、と冬のうちから目をつけていた坂道。

池を囲んだ公園。

小学校の脇。

……。

あっちもこっちもと 全部みたくてたまらなくなる。

みないではもったいないような衝動に駆られる。

もちろん全部だなんて、無理なんだけど。



黒々とした木枝から

わいたように ぱっと、

もさもさと花が咲いて風に揺れ、散るまでの間

たった10日くらいというところか。

なんて短さだ。

日常どころじゃなくなる。



別に 「余命数ヶ月です」とか

いわれてるわけじゃないのにね。

来年もきっとまた見られるんであろう。



ま、そんなこと絶対なんていえないんだけど。

だから、なのか。



なんであるのか、このかんじ。

妙に急かされるみたいな、このかんじは。





桜。

こやつが咲くと同時に、妙にひとに会いたくなる。

たまにしか会えない大事なひと。

遠いけど、確かにずっと

手をつないでくれているようなひと。

会って桜がみたくなる。



なんてことはない

ただ花の下、ごはんを食べておしゃべりをする

だけなのだけど。





ふらり、自転車をこいでとなり駅。

前々から気になっていた 高台のお寺に桜の色がみえる。

これはこれは とつられて上っていったらば、

人気のないお寺に、桜の木。

風にゆれて ぴらぴらと 花びらがおちる。

あの、舞い上がり、踊るようにゆっくり下りてくる景色は

時間が止まったようで

昂揚する。

涙がでる。




その奥にはお墓があって、竹林があって

脇には小さい畑がある。

コケコッコーとも きこえる。



竹がしなり 揺れる。

ふと

気配を感じて振り向くと、

先ほどの声の主

チャボか何かの雄鶏と雌鳥が

たとたと と歩いてきなさる。

お墓のまわりを好きに歩いて

地面をつっついて また

歩きまわる おふたり。



雄鶏の毛並みは

光を反射して てらてらと光る。

人間がつくったんではない、

驚くほどの煌めき。



話をするわけでもなく、

じゃれるでもなく、

ほどよい距離を保って

でも離れずに、

ひたすら地面をつっつく。



忘れていたけれど、

そういえばこのひとたち 草とか食べるんだった。

花の実とか、小虫とか食べるんだ

エサじゃなく。

と、はっとしたりする。



昔、

お祭りでカラーヒヨコを買って 育てていたことがあって、

ぐいぐい大きくなってもう

トサカが見えるほどになった 「ミミ」 の後をついて歩くと、

そういえば草とかつついて食べていたっけ。



ハコベとかすきだった。

トンボを捕まえてあげると、頭からばりばり食べた。

今おもうとこわい。

じぶんがこわい。



とにかくそうして大きくなった ミミ はある日、

わたしが幼稚園に行っている間

庭で遊んでいるところを ネコにとられていなくなった。



母と一緒に

点々と地面に落ちている ミミ の羽根を拾って探したことも思い出す。

そのとき拾った 白い羽根の一枚を、

今でも実は持っていたりする。



あの後しばらく、

寝るときも、幼稚園にいても、ミミ の声が

聞こえるような気がした。

だれかのヒヨコをみても、あれが ミミ じゃないかとおもった。

どのネコをみても、あのネコが ミミ を食べたんじゃないかと

じろじろみた。





先日、引越しをしまして。

古いものがあれこれ出てきたのと

この桜で

記憶がトリップしている 春であります。

12:05 |  trackback: -- | comment: -- | edit