
映画をみた。
妹カップルが昨年夏の終わりごろ、
「さとみちゃんが絶対すきだとおもって」
と 映画のチラシをくれた。
『大丈夫であるように』
www.http://dai-job.jp
監督・是枝裕和さんが Cocco の旅を追った
ドキュメンタリーである。
大好きなひとが撮る
大好きなひと。
公開をずっと楽しみにしていた
のを
先日やっと みにいってこられました。
ご存じの方は多いと思われますが
Cocco は沖縄のひとで
歌うたい です。
沖縄が背負わされてきたもの
失ったもの、
受け入れざるをえなかったこと、
かなしみ、痛み、
失われる
目の前のもの。
そんなものがこの世界には耳をすませば
すますだけ無数に存在する。
その苦しみを取り除くことはできないかもしれないけど、
なにもできないかもしれないけど、
大丈夫じゃないかもしれないけど、
大丈夫であるように と彼女はうたう。
始まって5分もせんうちから
涙がどわどわ溢れ
100分ちょっとの間、
号泣を何度も繰り返した。
映画館は闇に包まれるから
思いきり泣けていい。
この作品のすばらしさだとか中身だとか
私には上手く伝えきることが
ぜったいできんから、
せめて
私が受け取ったものだけ
ここにかくことにします。
とてもとてもとても恥ずかしい話だけれど。
私は正直言ってこれをみるまで
ここ数ヶ月
自分が自分であり続けることに飽き飽きしていた。
絶とうなんて大それたことは
思わないにしても、
いつ終わってくれてもいい
むしろ
泡みたいに消えてくれていいのに
なんてことをぼんやり思っていた。
バチ当たりで、
母親失格なんじゃと分かっていても
どうにもこうにも 動かせなかった。
光が見えず、世界も変えられず、
私なんぞ役立たずで
生きていて結局 なんになるんだってんだと
おもっていた。
同時に
そんな自分は心底嫌いだった。
そんなんじゃいけないことだけはわかっている。
泣いたりした。
ちぎれるかとおもった。
ぼーっとしたりした。
しかしCocco、
Coccoを映す是枝さんの映像を目の前に
このバチあたり女は、
心震わせ生きたいとおもえた。
目の前の
ゆく先々の 途方もないことを
ひらりとびこえ、
笑ってしまうチカラを、
イメージする
可能性を みせてくれた。
彼女のことを深く知りはしないけれど、
私なんぞが抱えるものなんかへでもない位
沢山の、深い痛みを
彼女が知り、抱きしめているのは明らか。
だというに
彼女のあまりののびやかさや
あまりのキラキラしたものをみて、
私も立てる気がした。
できることは
したいことは
この世界にまだまだある
そうおもえた。
小さな殻の中に閉じこもり、
くさくさと生きていたのではあまりに
人生はつまらなく、
もったいなく、
かなしずぎる。
この世界を知った気にならず、
もっともっと耳をすまし、
足を伸ばし、
肌にふれて吸い込んで
生きようと思いました。
のびやかに、のびのびと恐れずに
ましゅの隣りにいたいと。
すぐにちぢこまり 身を守ろうとする
ハリネズミ山田、身にしみました。
素晴らしい映画です。
渋谷では ライズX で2月27日まで、
全国でも続々上映中です。
心の奥底より
おすすめいたします。
是枝監督とCoccoに
こころよりこころより感謝して。

都会に暮らしていると とんと
暗闇というものに縁遠くなる。
夜眠るにしても、カーテンを通り抜けて
外の街灯や家々の灯りが家の中を
うすぼんやりと照らしている。
雨戸でも閉めれば別ですけど
ね。
数年前だかに
森に出かけていって、
着いたのが夜だったもんで
行く先まで暗がりをひとりで歩かねばならず、
歩道の両脇にあるもうもうとした森は
暗く、
無音の闇に飲み込まれるようで
心細くて気づけば、
ハイジのうたを大声で歌っていた。
こんなとき、人間ひとりなんぞ
いや、人間なんぞ
到底自然には敵わないと思い知る。
このカンカクが私は
ちょっと大事なんじゃないかとおもっています。
人間は自然を支配できるとでもいうような
カンカクは
はっきしゆって思い違いである、と
私はおもう。
ただ、その偉大なものに寄り添っていればいい。
そんなことを思う。
さて。
話はしばしそれましたが 年末、
『cafe Slow』
http://www.cafeslow.com/
という国分寺にあるカフェに、
とあるイベントを尋ねて
ましゅとはるばる出かけました。
ここでは月に数回
“暗闇カフェ”
なるものを催していて
ローソクの灯りのみで食事をし、
暗闇演出のイベントを行ったりしているらしく。
その日はピアノと踊りのコラボレーションの日で
ピアニスト 重松壮一郎さんの音を
聴きに行った。
薄暗がりの中、
ぽつぽつとあるローソクの灯りがのったテーブルで
ましゅはパンと、踊りに夢中。
私はちびちび飲むワインと、ピアノに夢中。
即興と、時々オリジナルを交えながら
ピアノの音は暗闇を包むように、
震わせ、流れ、すばらしかった。
素晴らしいとひとは、
なんで涙ってでるんでしょうかね。
重松さんのCDを1枚持っていて、
目覚めたときにかけたりしていて
とても気に入っている。
しかし
生の音は格別です。
普段は8時過ぎには布団に入るましゅを連れて、
しかも遠方で
夜のイベントは正直迷ったりもしたのだけれど
えいやっと行ってみて
本当によかった。
ましゅは、
この辺に住みたいというほど
このカフェが気に入ったようです。
その二日後の冬至には
電気をつけず、
家中にローソクの灯りをぽつぽつ置いた。
初めてローソクの灯りだけで入った
ゆず湯は、格別に気持ちがよかった。
暗闇の中の灯りは
ひときわ明るく、
あたたかい。
たとえばこわいとき、
苦しくてかなわんとき、
気づけばいつも大声で歌を歌っている。
そんな自分はへんちゅくりんだけど、
やっぱり音楽とゆうものはすごいと
私は思っています。

あたらしい年
が明けちまいました。
何故だか今年は妙にそんな気持ちがします。
心構えができぬまま
つつーっときちまったよ
そんな感じ。
除夜の鐘もたたいたのにね。
年賀状だって出したのにね。
煩悩落としきれていないのかなんなのか…
そんなのろまな自分はおいといて
明けまして、おめでとうございます!
我が家にはとゆうと
新しい仲間が増えました。
今年、もとい
昨年サンタクロースが
ましゅの枕元にこっそり置いていってくれたのは
ナント ハムスター。
目を覚ましたましゅが 目をまんまるにして
私をゆすぶって起こし、
「ねえねえ、どうやら生き物!!」
うさぎかなー、ヘビかなー、カメかもよ…
けど毛が生えてる…
と、小さな巣箱にまるまって眠る小さな生き物が
ハムスターと判別されるまで
ややかかりました。
今日から3人家族だねんっ。
とゆうましゅは、
ハムスターのおねえちゃん
とゆうことらしい。
この日はかごを持って家中をまわり、
「ここは台所。
お母さんがごはんを作ってくれるところ」
とか、
「ここはおねえちゃんの机。ランドセル。
お勉強をするところだよ」
とか、
「この人がお母さん。おねえちゃんのお母さんだよ」
とか語りかけながら案内して歩いて、
「こうして毎日話したら、
ハムちゃん覚えてくれるかなぁ??」
と、ゆっているハムスターのおねえさん
ハム姉。
最初
おっかなびっくりだった手元も
今ではずいぶん慣れて、
ちょっとくらいかじられても平気な顔で、
話しかけ、
手にのせ、
野菜をときどきあげたりして
かわいがっています。
正直、とてもかわゆいです。
クリスマスより
心なしか ひとまわりくらい大きくなった
ハムラ(ましゅ命名)に
ほほずりしている今日この頃、
あけたての新年です。
今年も謹んで
よろしくどうぞおねがいいたします
です。
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