ここ半月ほどで、いろんなことが入ってきて
混ぜ混ぜになって、
どこをどう切り崩して書いていったらよいか
よく手におえなくて、
随分と時が経ってしまいました。
のんびりしている暇はないはずなのに。
少しずつ切りくずしながら
話そうと思います。
きっといろいろ至らないけど。
はじまりは 以前ここでも書いた1本の映画
『大丈夫であるように』
これを観た私は強烈に、
沖縄を見てこなくては という気持ちになって
旅の計画を立てました。
ましゅとふたり
まずは沖縄戦の跡・現実をこの目で見て
自分の中に沁み込ませてきたい、と。
沖縄へはこれまで
本島へ一度、
離島へ何度か訪れたことがあったけれど、
お恥ずかしながら一度も
その歴史、基地について触れたことがありませんでした。
たぶん少なからずの人がそうであるように、
沖縄は
海や空がうんと綺麗で、
人々が温かく、食べ物が美味しい。
うんと表面を撫でただけの
認識しかなくて。
前述した映画をみて
とても恥ずかしくなって、
至った今回の旅。
ジュゴンがくるという世界的にも貴重な海を埋め立てて
米軍の新たな基地を作ろうとしている
辺野古。
ここへもできれば行っておきたい
と思いつつ。
そんな頃、
沖縄の北部 やんばるの森が
新たに壊されようとしているという話を
ぼんやりと聞き、
それに対するアクションを扱ったDVD
『心~ククル~UAやんばるLIVE』
が各地で上映されていることを知って、
せっかくなら旅ゆく前に見ておきたいものだと
出かけていきました。
この作品は 私が数年前から
こよなく尊敬しているフリーペーパー
『88』
htpp://www.wacca.com/88/
が手がけている、という。

この日の上映会は
東中野の NOAH’S CAFE
http://noahscafe.main.jp/top.html
で催され、
数日前に現地を訪れてきたという
おふたりも参加してくれていて
上映の後、詳しい話を聞かせてくれた。
やんばるの森・高江で今、起こっていること。
辺野古の問題と、高江、
日本、米国、戦争とのつながり。
戦後ずっと、沖縄に押し付けている犠牲のこと。
見せかけの縮小と引き換えに、
拡大しようとしている
さらなる犠牲のこと。
意図的に見えにくくしている手と、
その裏側にある ほんとうのこと。
この日の衝撃は
本当に物凄いものでした。
恥をさらしていいますと。
これまで、
沖縄の基地問題というのは
本土の私には入ってゆけない
壁のようなものをぼんやりと感じていました。
どこかで
当事者にはなれないのだから、
どうこういう資格がないのかもしれない、
というような。
本土に暮らす私には、
一般的な報道を見る限り、
沖縄で起こっていることはあまり
強烈に入ってきません。
どんな爆音の中、暮らしているのかとか
どんなに近くに、基地があるのかとか
どんな被害に遭っているのかとか
その頻度、重さ、痛み、恐怖の量。
どれだけそれが苦痛で、
どれだけの我慢をしているのか
とかいうことを。
無知であること
無意識であること
見ないでいること
このことは
この国がおそらく
そうさせるべくしてしていることでもあって、
そうしてそこにのっかている
自分は紛れもなく
沖縄に痛みや苦痛や我慢を
押し付けている当事者なのだと。
私が立派な加害者であるということを
私は、
本当に恥ずかしながら
初めて知りました。
戦前、戦中、戦後、これまでに、
どれほどの痛みを負わせてきているのかを
想像すると、
もうこれ以上、
さらに
なにも壊したくはないし、
押し付けたくはないし、
傷つけたくはないし、
我慢させたくない
と、本土の加害者である私は
思う。
犠牲になるものはいつも
小さかったり、弱かったり、
優しかったり、
美しい無抵抗なもの
であることが多い。
でもそんな世の中はもうごめんだ
とおもうのです。
いま各地で次々に
上映会が開かれています。
http://ameblo.jp/ricepaper88
少し前まで何も知らなかった私が知ったように、
このことを多くの人に知ってもらいたいと
切に思います。
知る輪が広がって、
おかしことにはおかしいと、
多くの人々が
やめようぜと声をあげたなら、
動かぬように見える石もきっと動く。
世界は変えられる、と
信じている。
切に
希望を持って言いたい。
『NO!』
と。
上映会後、
予定を大きく追加して、
沖縄にいってきた旅の話は
またあらためて
書こうと思います。
私自身、まだまだ知らないことも多くて
そのことを思うとなかなか
書けずにいたけれど、
それでも声はあげてゆきたいと
未熟ながらも
書かせていただきました。
それが生きてるってことじゃないかと。
日々、発展途上の山田です。
心より
長々読んでくだすった方に、
感謝込めまして。
混ぜ混ぜになって、
どこをどう切り崩して書いていったらよいか
よく手におえなくて、
随分と時が経ってしまいました。
のんびりしている暇はないはずなのに。
少しずつ切りくずしながら
話そうと思います。
きっといろいろ至らないけど。
はじまりは 以前ここでも書いた1本の映画
『大丈夫であるように』
これを観た私は強烈に、
沖縄を見てこなくては という気持ちになって
旅の計画を立てました。
ましゅとふたり
まずは沖縄戦の跡・現実をこの目で見て
自分の中に沁み込ませてきたい、と。
沖縄へはこれまで
本島へ一度、
離島へ何度か訪れたことがあったけれど、
お恥ずかしながら一度も
その歴史、基地について触れたことがありませんでした。
たぶん少なからずの人がそうであるように、
沖縄は
海や空がうんと綺麗で、
人々が温かく、食べ物が美味しい。
うんと表面を撫でただけの
認識しかなくて。
前述した映画をみて
とても恥ずかしくなって、
至った今回の旅。
ジュゴンがくるという世界的にも貴重な海を埋め立てて
米軍の新たな基地を作ろうとしている
辺野古。
ここへもできれば行っておきたい
と思いつつ。
そんな頃、
沖縄の北部 やんばるの森が
新たに壊されようとしているという話を
ぼんやりと聞き、
それに対するアクションを扱ったDVD
『心~ククル~UAやんばるLIVE』
が各地で上映されていることを知って、
せっかくなら旅ゆく前に見ておきたいものだと
出かけていきました。
この作品は 私が数年前から
こよなく尊敬しているフリーペーパー
『88』
htpp://www.wacca.com/88/
が手がけている、という。

この日の上映会は
東中野の NOAH’S CAFE
http://noahscafe.main.jp/top.html
で催され、
数日前に現地を訪れてきたという
おふたりも参加してくれていて
上映の後、詳しい話を聞かせてくれた。
やんばるの森・高江で今、起こっていること。
辺野古の問題と、高江、
日本、米国、戦争とのつながり。
戦後ずっと、沖縄に押し付けている犠牲のこと。
見せかけの縮小と引き換えに、
拡大しようとしている
さらなる犠牲のこと。
意図的に見えにくくしている手と、
その裏側にある ほんとうのこと。
この日の衝撃は
本当に物凄いものでした。
恥をさらしていいますと。
これまで、
沖縄の基地問題というのは
本土の私には入ってゆけない
壁のようなものをぼんやりと感じていました。
どこかで
当事者にはなれないのだから、
どうこういう資格がないのかもしれない、
というような。
本土に暮らす私には、
一般的な報道を見る限り、
沖縄で起こっていることはあまり
強烈に入ってきません。
どんな爆音の中、暮らしているのかとか
どんなに近くに、基地があるのかとか
どんな被害に遭っているのかとか
その頻度、重さ、痛み、恐怖の量。
どれだけそれが苦痛で、
どれだけの我慢をしているのか
とかいうことを。
無知であること
無意識であること
見ないでいること
このことは
この国がおそらく
そうさせるべくしてしていることでもあって、
そうしてそこにのっかている
自分は紛れもなく
沖縄に痛みや苦痛や我慢を
押し付けている当事者なのだと。
私が立派な加害者であるということを
私は、
本当に恥ずかしながら
初めて知りました。
戦前、戦中、戦後、これまでに、
どれほどの痛みを負わせてきているのかを
想像すると、
もうこれ以上、
さらに
なにも壊したくはないし、
押し付けたくはないし、
傷つけたくはないし、
我慢させたくない
と、本土の加害者である私は
思う。
犠牲になるものはいつも
小さかったり、弱かったり、
優しかったり、
美しい無抵抗なもの
であることが多い。
でもそんな世の中はもうごめんだ
とおもうのです。
いま各地で次々に
上映会が開かれています。
http://ameblo.jp/ricepaper88
少し前まで何も知らなかった私が知ったように、
このことを多くの人に知ってもらいたいと
切に思います。
知る輪が広がって、
おかしことにはおかしいと、
多くの人々が
やめようぜと声をあげたなら、
動かぬように見える石もきっと動く。
世界は変えられる、と
信じている。
切に
希望を持って言いたい。
『NO!』
と。
上映会後、
予定を大きく追加して、
沖縄にいってきた旅の話は
またあらためて
書こうと思います。
私自身、まだまだ知らないことも多くて
そのことを思うとなかなか
書けずにいたけれど、
それでも声はあげてゆきたいと
未熟ながらも
書かせていただきました。
それが生きてるってことじゃないかと。
日々、発展途上の山田です。
心より
長々読んでくだすった方に、
感謝込めまして。
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