先日、誕生日をむかえまして
31歳になりました。
ちょっとわらってまう。
31年も生きてきただなんて、
この青二才が。
中身はいつまでたってもいつまでも
青二才 である。
いつからか、夜の12時を過ぎると
誕生日 という気持ちになるようになった。
生まれたのは朝の7時ころだとか
ゆうことだけど。
またひとつ歳をかさねてしまった
と、
窓をあけて空の匂いをかいでいたら
風が吹いてきて
すごくいいにおいがした。
消えっちまいたい、なんてこれまで安易に
あほほどおもったけど
生きててよかった と
しみじみおもった。
この日は、
いつかのレモネードの彼女が
親子で映画のチケットを用意してくれて
しかも舞台挨拶で
だいすきなひとが間近で見られた。
「eatrip」
という食をめぐる旅のような映画。

その前に、と
彼女がお弁当をつくってくれていた。
彼女のつくるごはんは、
正直、このうえなくおいしい
と、わたしはつねづねおもっている。
そのお弁当は
ものすごくものすごく
おいしかった。
泣きそうになって噛む。
たべる。
目の前のこと、目の前のもの、目の前のあじ、
それを抱えるすべてのこと
すべて に。
感謝する
夜はいつもどおり
実家で母のごはんを食べた。
リクエストした牛肉のごぼう巻きや
いろいろ。
恥ずかしながらむろんケーキに生える火も
ふー-っ
とやった。
われながらすごい息で
いっぺんに吹き飛ばした。
娘 ましゅはというと、
わたしの誕生日まえはいつも
そわそわしている。
数日前から
「はい、ぷれじぇんと」
と、折り紙で折った箱やらラッコやらを
くれた。
この日も
「みないで」
とかゆって書いたカードや
ずっとずっと前からつくってくれていた
なにやら
やら、いろいろくれた。

方々の大切なひとから
温かい贈りものや ことばを
いただいたりした。
わたしはしあわせである
と、
しみじみおもう。
こんなこと、
ここで書くことじゃないとおもうんだけど。
だけどしあわせである
と、おもった。
そんな誕生日でありました。
しみじみしみじみ
感謝して。
31歳になりました。
ちょっとわらってまう。
31年も生きてきただなんて、
この青二才が。
中身はいつまでたってもいつまでも
青二才 である。
いつからか、夜の12時を過ぎると
誕生日 という気持ちになるようになった。
生まれたのは朝の7時ころだとか
ゆうことだけど。
またひとつ歳をかさねてしまった
と、
窓をあけて空の匂いをかいでいたら
風が吹いてきて
すごくいいにおいがした。
消えっちまいたい、なんてこれまで安易に
あほほどおもったけど
生きててよかった と
しみじみおもった。
この日は、
いつかのレモネードの彼女が
親子で映画のチケットを用意してくれて
しかも舞台挨拶で
だいすきなひとが間近で見られた。
「eatrip」
という食をめぐる旅のような映画。

その前に、と
彼女がお弁当をつくってくれていた。
彼女のつくるごはんは、
正直、このうえなくおいしい
と、わたしはつねづねおもっている。
そのお弁当は
ものすごくものすごく
おいしかった。
泣きそうになって噛む。
たべる。
目の前のこと、目の前のもの、目の前のあじ、
それを抱えるすべてのこと
すべて に。
感謝する
夜はいつもどおり
実家で母のごはんを食べた。
リクエストした牛肉のごぼう巻きや
いろいろ。
恥ずかしながらむろんケーキに生える火も
ふー-っ
とやった。
われながらすごい息で
いっぺんに吹き飛ばした。
娘 ましゅはというと、
わたしの誕生日まえはいつも
そわそわしている。
数日前から
「はい、ぷれじぇんと」
と、折り紙で折った箱やらラッコやらを
くれた。
この日も
「みないで」
とかゆって書いたカードや
ずっとずっと前からつくってくれていた
なにやら
やら、いろいろくれた。

方々の大切なひとから
温かい贈りものや ことばを
いただいたりした。
わたしはしあわせである
と、
しみじみおもう。
こんなこと、
ここで書くことじゃないとおもうんだけど。
だけどしあわせである
と、おもった。
そんな誕生日でありました。
しみじみしみじみ
感謝して。

味にホレるなどということが
この世の中にあるのならば
こういうことなんだろうと
帰る道、
こみ上げる得体の知れない笑みをかみ殺しながら
いつもおもう。
外食するということを
あまり頻繁にしないタチの私のことである。
私ひとり分の昼飯くらい、
残り物だとかなんとか
適当に食べればよろしいなどと
おもっていた私のことである。
ひとつ隣駅からしばし歩いたところに
そのみせはある。
ちいと分かりにくい場所に位置していて
しかも2階にあるものだから
よけい非常に分かりにくい。
ドアノブは黒鉄でできた
猫のかたちをしている。
ドアのこちら側とあちら側
1匹ずついる そのお猫さんは
耳に、とんがったカバーをはめて
あごの下でそのひもを結んでいる。
もんだいはそこのスープである。
そこのパンである
コーヒーである
チーズケーキである。
スープは はかせ鍋とかいう変わった鍋で
作られているそうで、
煮込まないのに煮込んだスープとかなんとか
よくわからない説明がある。
その味である。
とにかく
身体の力が抜け、
ただただ素直になるような
ふしぎな味である。
きみ、このスープに何をした?
と
尋ねてみたくなるくらいである。
発酵させずに焼いたパンだとかなんとか
これもまたわかるようでわからない説明の
パンであるが、
こちらも噛むと
ほどけるように味がしてくる。
また ためいきがでている。
言い始めるときりというものがないが
ここまできたからには進むことにするである。
黒くこっくりした色の、
こっくりした色のカップに注がれたコーヒーは
だいたいにして普段
コーヒーか紅茶かといわれれば
たいてい後者をたのむ私に
毎度 「コーヒー」 といわせる。
理由はもはやよくわからないけれども。
そんでもってここのチーズケーキ
とくに 黒糖レアチーズケーキ
というやつが
わけがわからないほどおいしい。
もったいなくて、ちびちび食べる。
食べるたび、こわいとわかっていながら
笑ってしまう。
にっこにっこして、食べてしまう。
ひとりで席に座っていながら、
そのにこにこは誰に向けられているのか と
こわごわ尋ねられたならば、
「むろん
この目の前のチーズケーキですよ」 としか
いいようがない。
そんなわけで
まだまだお世辞にも
繁盛しているとはいえない
この店にぽつりひとりで座り、
スープをたべ
パンをかじり
何か書いたり
棚から抜き取った本を
広げてみたりしながら、
流れる曲に素手で心を触られて
泣きそうになりながら、
しみじみと食事をして
しみじみと時間を過ごして帰っていく。
そうやってバランスを保ったりしていた。
そういえば
関係あるんだかないんだかわからないが
ここへ初めてきたのは
たんじょうびである。
30歳の誕生日の昼間、
妹にごちそうになったのだった。
それからぐるり、1年が経った。
このみせ。
名を
「nolla cafe」 ノラカフェ
という。
小さな猫の出入り口が片隅にある
細長く
小さなみせである。
この場所で。
以前ここでも話した
『UA やんばるLIVE 』
の上映会をしていただけることになった。
時は 6月28日(日) 18時~
詳細はこちらで。
http://nollacafe.catfood.jp/index.html
店主のはからいにより
今回、ノーチャージだとか。
ご興味おありのご都合つくかた。
ぶらり足を運んでいただけたならと
みょうちきりんな客のひとりとして
おもいます。
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