
突然ですが。
11月30日(日)
上野水上音楽堂で、
『NO NUKES MORE HEARTS
秋の大収穫際』
というイベントがあります!
六ヶ所村にある再処理工場について知ってから、
ヤマダはこの動きにとても関心があります。
たとえば青森だけの抱える問題でも、
一握りの人間に関わる問題でもないように
わたしはおもうのです。
誰もが使う電気のこと。
そこにつながる本当のこと。
テレビや報道では
ほとんど伝えられない事実を
多くのひとに知ってもらいたい
と、切におもいます。
そんでもってどうしたらいいか、
みんなで考えよう!
と、このイベントは、
その動きに賛同したアーチストも
多数参加するようで、
なんと
ヤマダの大好きな アン・サリーさんの
ライブもあって、
入場無料!!
ものものすごーくゆきたかったけど、
この日は訳あって
無念にもわたしはゆけませんが・・・。
ぴくっときた方、
マイ食器、マイバッグ持参で
ぜひとも足を運んでみてください。
詳細はこちら。
http://www.nonukesmorehearts.org
トーク、ライブ、パレード、ワークショップ…
少しでも多くのひとに
楽しんできてもらえたらば
この上なくうれしいです。

すこし高台にたつ
うちのアパートからは、
ベランダに身を乗りだしたところから
富士山がみえます。
近頃の
澄んだ空気の朝などは、
くっきりとその
白い山の姿がみえる。
岩手育ちのわたしが
生まれてはじめて富士山をみた記憶は
小学生の頃
当時、群馬に住んでいた祖父母のアパートの窓
からだった。
大好きな祖父が、
「ほら里ちゃん、あすこに富士山がみえる」
と、指をさした。
とおくの遠くのほうに
しゅるりととんがった山の姿を
みえるようなみえないような
霞みの中にみた。
みた、ような気がする。
「朝とか、もっと空気の澄んだ日は
もっともっときれいにみえる」
と、祖父はいった。
わたしは、
静岡にあるはずの富士という山が、
なぜ
群馬のアパートの窓から見えるなんてことがあるのか、
理解できなかった。
だってすごい距離だ、
たとえ日本一高い山だ
としても。
その後、
飛行機に乗ったり、
電車で多摩川をこえるとき、
坂道を駆け下るとき、
洗濯物を干すとき、
橋を渡るとき、
富士山を目にするたび
息をのむ。
距離とかもうよくわからない。
富士山だ、と。
なんてこといいながら
わたしはこの山へ登ったことがない。
山小屋に泊まり
この頂上でみる星はうんときれいだ、
ときく。
むろん朝、太陽が昇るのも。
いつか登ろう
と
おもっている。
ふゆ
星はやたらきれいにみえるのと
同じように、
つめたい空気と澄んだ空気は
確かに無縁ではないようで、
しかしその理屈はわたしには
わからないけど。
ひにひに、
富士山はその白さを
増しておるのであります。

ひにひに
寒さが増しております。
ざくろの実も
あちこちで
がばりと割れているのをみます。
この時期になると、
「これ以上寒くなったら
冬を越せる自信がないよー」
などと柔なことをいい、
深刻にそうおもうけれども
毎年しっかり生き通している。
わたしは結構な冷え性で
ふゆ、
手足の先は
氷も溶けないのでは
とおもうぐらいに
つめたい。
「養命酒がいいみたいよ」
と、ひとからゆわれ
先週から飲み始めてみています。
少々ばばくさいけど
ものは試しだ、
と。
気分的に、なんだかよい気がする。
そんな即効性はないだろう、と
妹などは言うけれども。
そんなことより
わたしは冬の朝、
ぬくぬくした布団の楽園から
巣立つのに一苦労します。
毎朝、毎朝、
あーあー
また朝がきてしもうたよー
もっとずっとごろんごろんしていたいんでよー
とおもう。
わりと深刻におもう。
寒さが増すにつれ、
日々深刻におもう。
ゆたんぽ、
湯豆腐、
白い息。
外に出た瞬間入り込む、
澄んだ匂い。
さむいーさむいーといいながら、
なんだかんだと
冬を愉しみたいとおもう
霜月、半ばです。

14年前
神戸がゆれた朝、
わたしは四国に住んでいて
寝床がはねるように動いて、飛び起きた。
高校2年生だったわたしは
日々、
増えてゆく信じられない死者の数を
伝えるニュースに
おののき、
ぼーとなった。
実感のともなわない頭で
それでも
ごはんを食べたり
自転車をこいだりして、
日々を過ごした。
先日、とある仕事で神戸へゆきました。
少し時間があいたのでひとり
「慰霊と復興のモニュメント」へいってみた。
ここは
現在『空気人形』を公開中の是枝監督の作品
『大丈夫であるように』
の中で、
Coccoが歌うシーンが残る場所でもある。
いつか、
ここへ来てみたいとおもっていたのです。
噴水の下、
まるい空間の壁一面に
犠牲者の名前が刻まれている。
ガラスの天井に水の泡と空が透けてみえて、
小さくうたをうたうと、
声が響いた。
ひとり
ひとりの
名を目で追うと、
このひとり、ひとりには
愛するひとがいて
家族がいて
あたり前の日常があったのだ
と、
あたり前のことをおもう。
明日はある
と、おもっていたひと。
いつの日ともおなじように
窓に光りが射し
靴をはき、
飯をはみ、
土を蹴り、あるき、
日常にすすみゆくと
おもっていたひと。
ひとひとひとひと無数のひとが
朝でふつりと
ゆれ裂ける大地に、足元に
のみこまれるように
消えていった。
のだ。
生きるとか
わらうとか
手をつなぐとか、
うたうとか
はしるとか
さけぶとか、
泣くとか
抱きしめるとか。
もっともっとしようとおもっていたであろう人の名が
こんなにも無数に並ぶ水の下
ありきたりだけど
おもったんである。
せめて自分は、
おそれず逃げずに
すべてにあたれと
砕け散るまで、懸命に生きんかい、と。
誰の代わりにもなれぬけれど、
が、ゆえに。
そうして
あらためて神戸という街を歩くと、
人々のとても仲がよいのが目に映った。
恋人や夫婦は
やわらかく手をつないでいるし、
些細な会話も、本気で笑う。
関西特有の空気というのもあるのだろうけど。
こと
神戸という街には
一瞬で大切なものが消え失せてしまう
そんなあやうさを
痛切に飲み込んできたからこその
今この瞬間
を、大事にする空気を
みた気がした。
個人的な見解かもしらんけど。
この地震で亡くなった方の数、6,400人以上
年が明けた1月で、15年が経つことになる。
大切なひとを失った事実は
心からずっと消えないだろう、とおもう。
抱え、生きているのだ。
ただなんとなく、
通り過ぎたりしない感じ。
中途半端じゃなく
やわらかい本気みたいなものを
身体の中に潜ませる
凛とした
とても素敵な街だった。
あれからひと月ばかりたったけど、
いまだ
あらゆることを中途半端に生き過ぎる自分を
あーあー
と、情けなくおもう
11月のはじめなのであります。
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