
初めて
流れ星というものをみたのは、
岩手に住んでいた頃だった。
妹と広場にいて、
「あ」 と、 同時に言った。
胸を、すくようだった場面をくっきりと
そこだけ、憶えている。
12月のまん中
ふたご座流星群とやらがくる、ときいた。
ふたご座生まれの私はむろん
ぴくり、とした。
娘は流れ星をみたことがない。
「みたい?」と訊くと
「みたい」という。
はてさて、せっかくであるならば。
私の住む町は夜もそこいらじゅうに
電燈が灯っていて明るすぎてしまう。
藤野という町に、
安く泊まれる施設があって
うんと星がみえるときいたのを思い出し
しかし学校もあるもんで
流星ピークの前日、土曜日に予約した。
電車とバスに揺れてはるばる
宿につくと、
星がすでに瞬いている。
「夜までがまん」
と、娘がいうので
空を見上げずに早々に宿に入り、
ささと風呂を浴び、眠った。
夜中の2時頃がねらい目、というのである。
丑の刻、目覚ましがなって
窓をあける。
と、
お山はすっぽり白いものに包まれている。
霧なんだか、もやなんだかもわもわしたものが
山全体を漂っている。
……。
期を逃したか、と呆然としていると
ふと、天に星がちかちかしている。
もわもわは山まわりだけで、心底
ほっとした。
娘を起こし、
ありったけの服を着た。
靴下を2枚、下着を2枚、
とっくりセーターにマフラー、帽子、手袋。
きびきび動く娘と一緒に
寝袋と、ビニルシートを抱えて部屋をでる。
むろん、そこいらには人っこひとりいなかった。
あちこち探し回ってようやく開いた扉から、
外にでた。
「この鍵を誰かが閉めてしまったら?」
と、娘は訊くけれども
「大丈夫、朝まで寝袋で星をみればいいよ」
と、私は言う。
原っぱに下り、寝袋に入る。
大きめのそれには
ふたり一緒に入れることが実験済みである。
仰向けに寝た私の上に、さらに娘が乗って
じじ、とファスナーを上げる。
実に怪しい風体、である。
暗闇に
顔ふたつの大みのむしが転がって、
星をみている。
星は、それはそれはみえた。
オリオン座、冬の大三角、ふたご座、
星という星がばらまかれている。
そして
空は平面じゃなく、球体。
しゅ、と しっぽを残しておちる。
「あ」 と、同時で言う。
果てしなく遠くのはずのあちこちで
いくつも星はおちた。
ととかく、数を数える
なんてことはなんとなく品がないような
気がしたけれどもついつい、
数えはじめてしまう。
結局、その晩
娘は22こ
私は14こ、流れ星をみた。
時折、ごりごりする身体とひいやりした地面も
そっちのけで
小一時間ばかり
夢中で眺めつづけた。
「いつまでここにいるの?」
とぽつりいう娘の声に
そうかそうか、帰ろうねえと
最後のひとつ、を見てから部屋に戻った。
幸い、
鍵は開いていたので無事に布団で
朝まで眠った。
翌朝は
闇と星が嘘みたいに
明るい空だった。
朝ごはんをもりもり食べながら
「あの星は今も空にあるとおもう?」
娘は、うん。
「なぜ、今はみえないんだろ?」
と訊くと
「たぶん、水色のカーテンをひいているから」
という。
森を少し散歩して、
館内で工作もして、
温泉にも浸かって、
帰ってきた。
電車に揺られ、ふたりで爆眠した。
しごくいい、週末だった。
かつて
壊れそうに小さく、
ちょぼちょぼと歩いた人形みたいな頃の娘は
すいすい大きくなって
まっすぐ、すすみゆくのみである。
まるまると肉団子みたいだった顔はいつの間にか
ほっそりしている。
その事実は時折、
切なくてきゅうとなる
けれども。
けれどもこんなふうに
ともに味わえることは増えてゆく。
それはとても
愉しいことだ、と
近頃とてもそう、おもう。

父は、山のようだ
とわたしはおもう。
先月、父は60歳を迎え
38年間勤めた会社を退職しました。
もう何年も前から、
もう60だ、60だ
と言っていた父さんにとうとう
本当に還暦がやってきたのである。
父はみたところ
60歳にはおよそみえない
(と、わたしはおもう。)
母には
まだ若いんだからもう少し働けば…と
ゆわれ、
会社からも
どうだいもう少し働いてくれないかと
言っていただいたそうだが
父はすぱりと
やめる決意をした。
父がかつて
桜をみてぽつりと言ったことがある。
「退き際が潔いのは美しいもんだ、な」
と。
父はわが家の女たちに比べ、
普段あまりやかましくない。
朴訥としている。
お酒は大好きだが
仕事の愚痴もこぼさなければ、
よっぱらってぐだをまくこともない。
そんな父の内にある
美学のようなものを
わたしはそのとき、ほんの少し
覗き見たような気がしたのを憶えている。
わたしは
身内をべたべたと人前で褒めたりしないことを
常としている、
つもりである。
が、
今日はそんなことも書いてしまう。
なんせ、父の祝いであるからして。
うちの家族はよくも悪くも、
密度がこいい。
なにかというと集まって、ごはんを食べ、祝い事をする。
父の仕事柄
小さな頃から方々を転勤してあるき、
見知らぬ土地や人々の中でやってゆくには
家族がぎゅっとしていること
その土台を
それぞれが求めた、
というのも少なからずあるのかもしれない。
女たちは口やかましくあれこれ言い、
喧嘩をしたり、
暮らしの上でも大騒ぎである。
家出騒動だって時にある。
そんな中で父はだいたいにおいて
静かにそこにおり、
ときに山が動くようにして動く。
思春期の頃
わたしは何度か父に強烈に叱られたことがある。
襖がぶっ飛ぶくらい。
父が本気で怒ると
雷か地響きみたいにこわい。
(何をいっているのかわからない、
それぐらいに、怒っている。)
思い返せばそれらはだいたいにおいて
わたしが母に酷いもの言いをしたときだった
ような気がする。
不器用で短気、真面目なひとである。
短気、の部分は昔と比べて随分と
なめらかになったけれど。
時間にもものすごくきちんとしていて、
随分と早くからコートを着て、
わたしたちをうろうろしながら待っている。
ずっと遅刻常習犯のわたしとは
天と地ほども違う。
さて
そんな父の退職の日
誕生日の前日のことである。
学校のある孫娘をのぞく
母と妹とわたし、女3人で
父の会社がある駅にゆこうじゃないか
ということになった。
想像上では
駅。
父がエスカレーターで改札へむかってくる、
すると女3人がつつましく立っておる、
頭をたれて感謝を述べる
父は泣く、
とまあ、こうである。
父に退社の時間をなんとなく尋ねると
「10時頃」
という。
そんなこといってもお父さんは早いからね、
と念のため早め
30分前には着くようにわたしたちは出かけた。
しかし
まだ一本電車を乗り換えようという頃、
母の携帯電話が鳴り
「今でました」
と、父は言う。
なんだって!?
とわたしたちは慌て
ちょっと待っていてください、とだけ言う。
それから15分ばかり後、
駅で待ちぼうけの父にがやがやと
「早すぎるわー」
と言いながら女たちは着いた。
泣かせるつもりが、
待たせてしまった。
びっくりさせるつもりが、
イライラさせてしまった。
どやどや言った後、はたと
今日の目的を思い出し
わたしたちは父に頭を下げる。
「ご苦労さまでした、ありがとうお父さん」
と。
それから父の勤めた会社をみにいって、
時間もありすぎるくらいあったので
近くの植物園に行った。
父はここに孫娘がいないことを少し
残念がっていたけれど、
こうして家族4人で出かけるのはとても
懐かしい感じがした。
なんにも変わっていない気がするのに
時だけはどんどん
過ぎ、重なっていっている。
お昼、
父のよく行ったという
気に入りの定食屋できじ丼を
おいしいおいしいと
皆で100回くらい言って食べ、
父はビンビールを一本飲んだ。
夕方、
孫娘から花束が渡され
夕飯を食べ、お酒を飲み、お祝いをした。
ひとりひとりからの手紙を読み上げ
父はハンカチで目をぬぐいながらそれを聞いた。
38年。
ちょうどわたしと娘の歳を足した年である。
長い、年月である。
ふらふらと
根無し草のように生きるわたしを、
父は内心憂いているとおもう。
わたしは到底
父のようにはなれないけれど、
山のような父を
静かに
尊敬しているのである。
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