
うた
を聴きにいった。
ビューティフルハミングバード
というひとたち
ちょうど今号のComoに
紹介させてもろうているけれど、
そのご縁で実は先日
ライヴにご招待いただいた。
そこへ
躍るようにゆきました。
場所は教会。
マイクなしの純粋な生音に
「みみをすまそう」
というものだった。
この方々の存在を教えてくれたひとから
「泣いてしまうよ」
といわれて参ったものだから、
いつ泣くかやれどんなところでか
と
おそらく少々かまえて
席に座っていたのだけれど
気がつけば、
あごから滴るくらいに
泣いていた。
理由なんてものを言葉にするのは
むつかしい
ただ
いつも蓋をしているようなものものが
放たれるように
泣くがままにいた。
泣くまいと
手につめをたてるでも
かみころすでも
歯をかりりと合わせるでもなく
かなしい、とも
うれしい、ともつかぬ
不思議なところのものによって。
ほんとうに素晴らしかった
と、いうのももう
2週間も前のこと。
情報が一瞬にして交錯してゆくこのご時世
に
驚くような時差でもって
おおくりしております山田
であります。

ふるかふるか
と、
待ち構えていたゆきが
とうとうふった。
娘と風呂に入りながら
ぱらぱらした雨の音がやんでいる
ゆえに
もしや、と窓をあけると
世がまっしろだった。
歓声をあげ
「明日までゆき、のこっていますように」
と、ごにょごにょ祈って
眠る。
さて翌朝
けさのことである。
出かけ際、
ゆき靴をはいてゆきなさい
というわたしと、
そんなのしんじゃうくらいいやだ
という娘氏。
玄関先でどたばたやって
結局、
雨長靴をはいてとびだしていった。
……。
なぜ?
なぜなぜ??
暖かいしおもいきり遊べるし
いいことづくめのゆき靴である
ぞ。
それにこれ、
今年しかもうはけないんですからね。
と、くらくらして母に話すと
「あんたもそうだった」
と、母。
……。
娘は娘の描く世界で
最大限生きているのである
そこから学び取ることも
選びゆくことも
その結果ひとつひとつも
空からみるみたいに
眺めるような存在
とは、
なかなかどうして
理想であり続ける。
つい
目の前ぎりぎりのところで
きゃいきゃいゆってしまう
余裕のない生き物である。
はー
と、屋根からすべり落つゆきの音をききながら
おもうのです。
一番の理解者でありたいのにな
と
いうことを。
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