
たとえ泣いたところで
とかく現実は動かしがたく
まっくらやみ
であることは多い。
まっくらやみにひかり
ひかりがみたくて
うろうろする。
沖縄の報道がしきりにされていた間
わたしは
ただ希望をみていた。
しらんふり
この歴史を変えられる。
せーので考えられるかもしれない。
自分なら受け入れ、わらっていられるのか
基地ってなんなのか
いるの?
ほんとうに??
所属する
ナマケモノ倶楽部では
「鳩山さん、ゆっくりでいいんだよ!」
というムーブメントがわーわーと盛り上がった。
http://www.sloth.gr.jp/nobase2010.htm
国会議事堂前に立って
これ以上沖縄におしつけたくないと
ここでもおもっているよ、と
ローソクを灯すヒューマンチェーンに参加したりした。
そこへきて28日
金曜日の出来事、に力がぬけてしまう。
なにかもっとできたんじゃねーのか
と
自分自身をつねって
泣く。
泣いても、なにも救われないことはある。
泣いても、なにも変わらないこともある。
そんなことは知っている
けれどもなく。
でも、
失いかけた希望をかきあつめて離さない
「すべての武器を楽器に!」
という喜納昌吉さんの言葉がある
「imagine」
ジョン・レノンの歌がある。
ちっさなわたしはおもう
ファンタジーにこそひかり。
信じることをやめたなら、それはもう、ほんとうにおわり。
たった今
辺野古の海は、まだとてもきれいなのだ。
間に合わないことはない
そう信じ続けたいとおもう。

もうすこしで6月もやってくるというのに
いまさらな話だけれども
ははのひ
というのが今年もやってきて、
手紙をかきながら
普段、小生意気な口をたたく娘も
母に向けてふかく
ふかく感謝したりする。
あなたがお母さんであってくれて
ほんとうにどうもありがとう
と、おもう。
さて、おこがましくもわたくしも
いっぱしのはは。
娘はことし初めて、
ムーミンの姿をした自分の貯金箱をひっくりかえして
カーネーションをいちりん
贈ってくれました。
それから我々が
「モモちゃん」
と呼ぶシロツメクサをかんむりにして
頭にのせて
くれました。
ありがとう
ありがとう。
あなたがこのせかいにいてくれてわたしは
ほんとうにうれしい
と、
おもうのである。
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