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  日々、ミカンのこと                 

nalu

眺める月は同じ 

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narita


大事なひとがいってしまった。
とおくへいってしまった。

たとえば死んでしまったおじいちゃんは、
いつも近くでいてくれる。
孫悟空みたいにぴゅるるっと口笛ひとつできてくれる。
それに、もうそちらでは
苦しくなったりしないでしょう?

けれど生きていて離れてしまうことは
そんなわけにはいかないからすこし、ちがう。


「同じ空で繋がってるって、
見える空が違うもの」
かのじょのメールに、ぽつんとあった。

電車とあるくあしひとつ、で会えたのに
実感がずっとわかなかった。


「里美と真朱の幸せは、そのまま、
つまりは私の幸せだよ」
そんなふうに
ひらりと最後にいったのです。

そうしてほんとうに出発の日。

わたしは朝から涙がとまらなくて、
ずっとかけずにいた手紙をかいた。

切手を貼って送るんじゃなく、
わたしが会って、渡さなきゃなんない
そんなふうにペンを握って8枚もかいた。

汚い字に、ぐしゃぐしゃの文しょう。
かのじょはわらって読むのでしょう。

電車とはしるあしひとつで
空港へいってぎりぎり、
出発前のかのじょに会えた。

引越しの片付けに最後まで追われていたというかのじょは
朝からなにも食べてない
といって、わらった。

わたしが引越しでくたくたになったとき、
おそばをつくりにやってきてくれたひとだ。

あのときどん底のわたしに
おいしいたべものを運んできてくれたひとだ。

這い上がる力を、くれたひとだ。

なのにわたしは
でくのぼうみたいに手紙だけ握りしめて
ああ
まほうのようにこのてのひらから
おいしいおにぎりが飛び出させられたら
よいのに、と
自分のでくのぼうぶりを恨んだ。

現在のわたしの
大事、を撮ろうと決めたフィルムの
いちばんさいしょにかのじょを撮った。
こっちをむいて、というわたしも
あちら側のかのじょも、泣いていた。

じかんです

かのじょは3人のかわいいこどもたちを連れて
夫の待つ
はるか遠くの地へ
飛行機にのって、とびたっていった。

あなたがそこで
わらっていますように。
わらえなくなったら、かえってきなさい。

そうしてわたしたちがいつか死ぬとき

「たくさん泣いたけど、底抜けに愉しくて
おかしい人生だった」
そういえるように、わたしは、いのっている。

わたしたちは生きているから
また
会って、話をしようね。
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どまんなかに立つ 

台所 |

sisojuice


わたしは梅雨の頃の雨の音中で
2度寝する
というのがすきであります。


あるひは突然やってきて
がらりと
日の射しかたが変わって
空の青、雲が変わって

気づけば夏、どまんなかであります。

さて
今年も季節ということで先日娘と
赤紫蘇で飲み物をこしらえました。

今年参考にしたレシピは砂糖の量が
多すぎたようで
少々甘すぎの模様。
先日友人宅でいただいたのが
しごくおいしかったから
教わればよかったなあ。


しかしたっぷりとできたので
ごくごく飲むのであります。

それにしても
夏、というのはこんなにも
くるひもくるひも暑いものだったけ?

夏、一体何年目だよおまえさん
とはおもうけれど
正直とても鮮やかにそう
おもうんです。
16:33 |  trackback: -- | comment: -- | edit

 

四季 |

hotaru


ホタルを
みにゆきました。

ホタルの姿は写真に収めなかったので
ホタルブクロ
という名の花でひとつ。

娘は
「ホタルをみたことがない」
と、ご本人はいう。
むかし、ホタル祭りだといって出かけた先で
蒸し暑い、大きなまっ黒い箱みたいなところに
ぞろぞろ順繰りに列をなして入り
放たれたホタルをみたことがあった。

えいよとベビーカーからかついで
抱っこしてはいるくらい
娘が小さかった頃のはなし。

確かにあれではなんである。
娘の記憶から消えていたのも
当然のような気もする。


振り返れば人生のあちこちで
ホタルというものをぽつぽつみたけれど、
どの景色も
うそのようで、ほんとのようで
あいまいで不可思議な色具合をして身体のなかにある。
ホタルのひかりが生む特有の空気がなす業
なのやも、しれません。

わたしは田舎育ちだけれど
はっきりゆって今年ほどたくさんのホタルを
いっぺんにみたことがない。

すこしばかり電車にゆられて
家からそう遠くない場所にある森森とした公園に
日が落ちると、
ぽつりぽつり
ホタルがとんだ。
ふとすれば
ゆらゆらとあっちにも、こっちにも。


あのおしりはどういったわけであんなにひかるんだろう。


とかくそれはまあ見事で
娘は
「おほしがとんでいるみたいね」
と、いった。


日没から数時間で
ひかるおしりは次々と消えていって、
いくら待っても真っ暗闇にはなりきらない
都会の薄闇だけがのこった。

まるで魔法のような記憶を
ひとつ、ひとつ、大事にしまう。


いやしかし
こんな都会にも
驚くほどたくさんのホタルが生息しているのである。
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すわろっか 

おきなわ |

suwarokka-zu


3つまえの
にちようび

沖縄にゆくたびお世話になっている
お宿の一家が、
こちらへくるというので
とあるイベントに誘われた。

「ゆんたく高江ライブ」

高江は、沖縄の北部
やんばるの森に位置する
みどり
みず
いきもの
のまるで豊かなところ。

ここにも基地はあるのです。

ここでは戦闘ヘリが
昼も夜も日常的にとぶ。
民家のすぐ上だってとぶ。

前回ここを訪れたとき、
カフェ「やまがめ」の奥さんに
満月のよる
新月のよるは、
訓練のため夜通し飛び続ける
ときいた。

きんいろにまるいつきのよる
いちめんまたたくほしとやみのよる
バラバラとまどゆらす、ばくおんがひびく
ひとばんじゅう



さて
さらに民家や学校から近い場所に
新しくヘリパット(ヘリの離着陸帯)がつくられようとしていて
住む人々の了解もえぬまま
強引に進めようとするその計画を
ひとびとはゲート前にただ、すわることで
阻止しつづけている。
2007年の夏から、今にいたるまで。

このことはDVD
『ククル UA のやんばるライブ』

『やんばるからのメッセージ』
に詳しい。

その高江のひとびとがこちらへきて
各地でイベントをひらいた。
そのひとつ、だった。

知念良吉さんがうたう。
「上でも下でもない〜
右でも左でもない〜」

右よりだ左よりだという人がいるけれど
それは所詮
ものごとを解きほどこうとはしていないのだとおもう。

ほんとうはひとりひとりがおもうことは
違うはずなのだ。
微妙にひとつひとつ

すぐにカテゴリー分けしようとする
そんでもって知ったような顔をするのは
安易に対立をうむだけで
無意味だ
とわたしはおもう。

大事なのは、
そのままの想い、であるはずなのに。


ライブの中で
知念さんが

沖縄のひとはもともと
懐のふかいところがあります。
その沖縄のひとびとがいま
もうこれ以上我慢はできないんだよといっているんです。

と、おっしゃるのをきいて
視界が水浸しになった。

琉球から日本へ統合されて
戦中、そこらじゅうの人々をじごくのようにころされて
戦後、じごくをつれてきた軍隊は基地としてのこった
目にも、耳にも、からだにも、こころにも、
こわいやくるしいをずっとずっと与えられ続けてきた。

それでも
躍って、うたをうたって
いきてきた。

それをこの先もずっとずっとつづけろと?


首相交代から支持率アップ。
世間は、あんなに騒いだ沖縄のことをまた
忘れ去ろうとしている。
しらんぷりに逆戻り。

7月から本格的に始まるといわれている
高江の工事着工。
ひとびとがあつまって
今もすわって
からだひとつひとつでもって止めている。

戦争はもうたくさんなんだよ。
軍備による抑止力。
そんなもののうそっぱちを
はやく、みんな、きづいてくれ。
そう願う。
16:40 |  trackback: -- | comment: -- | edit