
最近どうも、
おもうことがあるのです。
ちょっと長いです。
日米・米韓の合同訓練、
南西の防衛強化、
とかなんとか。
特定の国を批判してみたりな
ニュースも耐えません。
むろん、そのことに一理も二理もあるんでしょう。
しかしね
いささか過剰しすぎやしませんか、とお尋ねしてみたい。
ちょっとまって、戦争したいので?
と、
驚いてしまう。
気をつけたいのは、この不景気。
仮に戦争になったとして、
いえ、ならなくても軍備を強化することで
著しく儲けるところがある、ということ。
戦争を好むものも世の中にはある、ということです。
ちなみに、アメリカほど頻繁に戦争をしている国はなく、
軽々とかかげる正義が本当かどうか、
うたがってみたほうがいいと、わたしは個人的におもっている。
イラク戦争のときだってそうだったでしょう?
戦争をしたがるそんな手は、みえにくいように
情報や情勢を動かして
いともかんたんに人々を躍らせる
てなことも、あるえるという側面も
知っておきたいということです。
軍事強化は相手を刺激することに
間違いはないでしょう?
有事に狙われるのは基地だということは
先の戦争で経験済み。
短絡的に
守るためには軍備、
というのはいかがなものかとおもう。
火に油を注ぐのか、
せつせつと水をかけつづけるのか、
いちど冷静に、考えてみたほうがよいように
わたしはおもうんです。
苦い苦い過去があって、
戦争は二度としないときめた
この国だからこそ
の、勇気と、新しい発想を
みつけたいとおもうし、
みたいとおもうし、
子どもらにみせたいと、わたしはおもう。

わが家はだしに煮干をよくつかいます。
それから昆布。
むろん昆布はたべる。
ときには少々がんばって
だしをとった煮干をたべてみるが
つづかない。
だしだけとってさようならっつうのは
どうも魚に申し訳ない。。。
と、いつもおもってました。
ら、
「粉にひけばよい」
と、谷戸のおばちゃんに教わった。
早速
これこれこうこうと娘に説明してみせたら、
あとは
せっせとおなかだけ取ってミルにかけてくれて、
見事
粉末のできあがり。
これでまるまる煮干がいただける。
ありがとうむすめっこ!

やってきたとおもったら
もう、半分。
はやいなあ
12月は31日なんかじゃあ
まるで足らない。
まだ年賀状だって一枚もかいていないのにー
今年も実家に
りんごが届きました。
「りんごは医者要らず」
などともうしますから
ばりばりたべます。
せかされるように慌しいときこそ、
なるたけ景色をみるように
など
おのれに
言い聞かせる。
だって大事にしたいことばかりの
12月、ですからね。

今年のにちようびは
よく、
父と田んぼに通いました。
昨年退職した父を誘って
谷戸学校という
年間プログラムを受講中。
ほっかむりをして
田植え、草取り、稲刈り、脱穀
元気なおじさんたちの中で
大根も植えたし、かかしもつくった。
正直身体はくたびれるけれども
なんなんだか
内が元気になってゆくのだ。
さて先日、はじめて
間伐というものをした。
実際
空にむかって生える木にのこぎりを入れて、
めりめりと
いっぺんに倒れてゆく姿をみたら
こまったことに
涙がでた。
生える木々の中から
あなたを切る
と決めたのはこちら、人間である。
「間伐は森にとってよいことだ」
むろんそのとおりなのだ。
ただきっと、
切られる木は痛いだろうね。
だからなんだということはないんだけれど
経験してはじめて
そんなことを、おもった。
せめて
この気持ちはわすれずにおきましょう、と。

月にいちど、心待ちにしていることがあります。
沖縄タイムス
Coccoの連載である。
今年の1月からぐるり一年、
Coccoの書く連載
「こっこタイム」を読んだ。
彼女はまるで
たましいを剥きだしで生きている
と、わたしはおもう。
だから彼女の言葉に毎度
心の底から泣かされる。
嗚咽して
そのたんびに自分に問う
わたしはなにをしているか?
なにができている?
いよいよ連載も最終回となってしまった。
これ、
沖縄タイムスのホームページから
みられるんです。
ぜひ、
ご一読を
おすすめいたします。
(写真は、8月の新聞)

手づくりの封筒。
中には
手紙と
クリスマスまでの日めくりカレンダー!
それから
カレンダーにある言葉を
一日一日
丁寧に
訳詩してくれた文字が連なった紙。
ドイツ語。
声に出してむりやり読んでみる
むろん
まるで間違っておるのは承知。
こんなむつかしい言葉を
あちらで日々
懸命に学んでいるのだとおもったら
なんだか
うおーうおーと
泣いてしまった。
劇的な変化のなかで
彼女も、彼女の娘も
生きている。
素敵な素敵なおくりもの
どうもありがとう。
今朝は娘、
いちまいめくって
学校へゆきました。

夏、ドイツへ移り住んでいった友人親子から
郵便物が届きました。
宛名の
懐かしい彼女の文字だけでもう
涙腺がゆるゆるになってしまう。
懐かしいゆうてもまだ、
ほんの数ヶ月だのに。
ぼくドラえもんがいらっしゃるのならば
わたしはがぜん、どこでもドアでおねがいしたい。
気になる中身はむすめがかえってから、
なんてゆうまに暗くなってしもたので
写真はまた明日。
いよいよ12がつ
ことしもおしまいが刻々と近づきます。
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