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  日々、ミカンのこと                 

satomi yamada

311 

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sora



3月11日

この日を境に世界が変わってしまったようにおもう。
そしてこれはもう二度と、もとには戻らない。
眠って、目が覚めても、なかったことにはしてくれない。

おそろしくて
現実が現実でないようで
不安で、
ざわざわしていた。

地震と津波被害の甚大さにはもう
呆然とするのみで、
失われたあまりに多くのものに
手を合わせるばかりです。

仙台に住む祖母、親戚、
大事なひとの家族の無事に安心すると同時に、
無事でなかったあまりに多くのひとがある事実に途方にくれる。

天災ではすまされない
原発事故の一刻一刻に
うちひしがれそうになっては
悔しくて、哀しくて、
申し訳なくて、にべもなく
くちをあけて泣いたりしていた。
続く余震にも、放射能にもびびっていた。

けれども

どういうわけか
わたしは、生きている。
生きているからにはもっとやることがあろう。

ひとは所詮、いつ死ぬるやらわからないのだ。
それは地震であっても、病であっても、事故であっても、
である。

だから、
大事なものを抱えて
はしれるところまではしること。

なんだとおもい、なおしている現在。

まずは
この事故が早く静まることを
つよく、祈ります。
つつむように
これ以上被害が、けして大きくなりませんように。

祈る力はきっと、現実にはたらきかけると
おもうのです。
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中華料理 

台所 |

つる



大学生のころ、近所の中華料理店で
バイトをしていた。

よく通るカラカラした声で
まるで使えないバイトくんを
「やまだー!」と呼び、
叱られたりしながらも
沢山おせわになった。

山田がニンニク料理をしこたま食べた翌日には
「今日はちょっとこれで、ガムを買ってきてかみなさい」
と、100円玉をくれたりした。

そしてまた
ご飯がこれ相当に美味しくて
仕事が終わると毎度一品すきなのをつくってくれて
ビールと一緒にたらふくご馳走になったりした。

娘を産んでからも
家族でたびたび通っては
しみじみ、
「ここより旨い中華料理はない」
と山田家の面々は口をそろえていう。
これは実際、贔屓目なしにほんとのこと。
とくに、
我々はここのモツに目がなくて
牛モツねぎ和え
牛モツとニンニクの芽炒め
牛モツのから揚げ
・・・・
ゆけば片っ端からモツ料理を注文して
店のモツを食べつくすくらいだった。

お店はあるとき移転して少しばかり離れてしまったけれども、
毎年年末には忘年会かねて家族でゆくことにしていた。

昨年末、
マスターに電話をかけてみると
「今、店を閉めている」
という。
らしくない細い声で
「病気をしてしまって、結構悪くてな」

「癌なんだよ、山田」
って、いう。

私は気の利いたこともいえぬまま
電話をきった。
早くよくなってお店をあけてください
というのが精一杯だった。

以来、母の発案で鶴を折り始めた。
盲腸での入院中も、
消灯時間を過ぎて真っ暗になった病室で
手探りで鶴を折った。

むかし、祖父や祖母、いろんな大事なひとにもこうして鶴を折ったことがある。
祈って、ただ折ることしかできないけど
これがどこか大事なところへ、届くように。

娘も、妹も、母も、鶴の折り方をよく知らぬ父も。
そうしてできあがった千羽鶴を
さてようやく届けにいったときの話は、
長くなるので
また今度。
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