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  日々、ミカンのこと                 

nalu

十五夜十三夜 

四季 |

tuki

十五夜
9月のお月見は台風で、
雨風がどっとくる間際の山へひやひやしながら
娘と駆けて行って、
すすきを摘んで、
団子をこしらえた。

暴風雨のなか、目で見る月はあきらめて
娘は布団のなかで、月の下、
私は真夜中の台風の切れ目に、
雲の走る空の闇のなかに丸い月をみた。


お月見は2度あるそうで、
十三夜
10月27日を心待ちにしていたのだけれども
うっかり、
忘れたまんまに通り過ぎてしまった。

3日後の満月、
娘と遅ればせながらベランダへ出て月をみて、
まるいねえ
などと言い合った。

教わった話によると
言い伝えでは、
十五夜と十三夜、その両方にお月見をしないと
片見月
といって、縁起がよろしくないそうである。

それではいけないとおもって
お月さんに声掛けをして、
団子の真似をしてまるまってみせると
娘も真似をして団子の格好になった。

お月さん、これでどうか
堪忍ね。


そうして
来年こそは2度、お団子をつくるのだ。




23:10 |  trackback: -- | comment: -- | edit

残像 

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zannzou


大学生の時、
目の覚めるような老人をみた。

六本木の青山ブックセンターで、ぶらぶら、
本などを物色しもって時間をつぶしていたときである。

ふと
レジの脇に立ち、
世界を眺めるその老人に釘付けになって、
立ち尽くした。

凛として
その場から本屋、この世界を見つめるその目が
はっとするほど美しく、
雄々しくて、
色っぽくさえあった。
スクリーンで拝見する姿とは一線を画している。

こちらが知るのみで、
あちらからすれば知り合いでもなんでもないんだけれど
思わず会釈をしたような気がする。
こちらをみて、小さく彼もうなずくように
頭を下げてくれたような気がする。

幻であったかもしれない。


今でも心に張り付いている景色に音はなく、
一切の雑ごともなく
鮮やかにそこにある。


それ以来、憧れていたのである。


大滝秀治さんが亡くなって、とても悲しい。
彼の立つ生の舞台をひとめ見ておきたかったと
今になり、悔やんでも
もとには戻らないんだよなあ。

彼は俳人、種田山頭火を演じる芝居を
準備していたそうである。
嗚呼、
ぜひみたかったなあ。


後悔のないように、日々
生きなくては。


14:04 |  trackback: -- | comment: -- | edit

めめのこえ 

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mennme


私はよく、ものもらいができる。
高校の入学式、大学の入学式の日も
新しく会う人々と景色に、片目瞼を腫らかして
はじめまして、をした。

この頃は
少しでも睡眠が削れたり、忙しくしていると
瞼が大声をあげてくる。
おーいおい、休んでくれよ、眠ってくれよ、
と言っているのは百も知っているのだが
往々にしてこういうとき、
休んでいられない事情にさらされているものだから
大声を耳元で聴き続けうなずきながらにして、
つっぱしるしかない。

つい先日もそれはやってきて、
ひとつここは
自然療法で治してみるかと本を広げ、
枇杷の葉を探してぐるりを歩いて2枚ほど失敬してきたものでもって
すって、
小麦粉とねって、
目に張り付けて、眼帯をした。

するとたちどころに痛みはなくなる
のだけれども、
普段視力の大半を頼り切っている左目を隠しているものだから
まるで世界がよくみえない。
しかも私はウインクが片目しかできない、
つまり右目だけは閉じられるが、
左だけ閉じようとしても右目も自動的に閉じてしまうという父親譲りの
変な具合の身体事情を持っているため、
眼帯の中の左目は開いたまんまで
だから右目の映す世の中と同時に、左目のおかれた状況
つまりガーゼを目前にした暗闇がみえる。

パソコンを前にしてさて仕事をしようとするのだけれども、
打ち込む画面文字にうっすらとガーゼ繊維の格子模様が重なってきて
やりにくくて仕方なかった。
加えて口内炎たくさん、がんがん頭痛、おでこに湿疹、と
面白いぐらいに次々身体は訴えかけてくるものだから、
一向はかどらず、
だから余計に眠る暇もなく、
めんめはなかなか回復してくれない。

枇杷の葉は見事に痛みを止めてくれるのだけれども
根本が片付かないわけだから快方にも向かわず、
わずらわしくて眼帯をとれば
根底から目がはがれちゃうんじゃないかと思うほど痛い。
もしかしてこれものもらいどころじゃないんじゃないだろーかと
すこし怖くなってきてとうとう、
お医者に行った。

お医者さんはぱちぱち、光をあてながら
どれどれ、と痛むところを診てくれて
おそらくものもらいね、とおっしゃって目薬をさしてくれた。

医薬の力とは強力なもので
目薬ふたつと飲み薬でたちどころに目は叫ぶのをやめた。
あるいは、叫び声がきこえなくなった。

そんなことより、
そのとき視力を測ってくれたのだけれど
目が数年前よりうんと良くなっていた。
具体的に記してみると
0.3くらいであった右目が0.8に、
0.9くらいで世界を見ていたはずの左目が1.5にまで回復していた。
こんなことって!

なによりもそれがうれしくて、
ああきっとこれは今の環境に身を置くようになったおかげだいな
とおもう。
見上ぐれば山あり、少し歩けば海へでる
このありがたさにしみじみ、喜んでいる。

今回、いよいよ酷くなる頭痛は
痛み止めの力を借りて止めるに至ったのだけれど、
それらは威力があまりに強いゆえにすこしこわくもあって
あまり乱用したくない。
できればそういうお力なしに、
たとえば枇杷の葉で叫びをとめてやれるような、
できれば叫び声をあげなくてもよいように
落ち着いたふうに過ごせたらと、
しずかにおもうのである。


それから
戦争は、絶対にしたくない。
絶対にしない国なのだと、誇りをもっていたい。

戦争をしていい理由、
その正当な理由など、
それで本当に解決することなど、
この世にはないのだと
私はおもう。


この頃の
頭に血の上った発言をしなさるお偉方、

ひとつ
空をみあげ、
深呼吸をして、
過去の叫び声に耳をすまして
行動をえらんでゆくことを願う。






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サンマにポン酢、化粧水 

台所 |

sudachi


徳島に住む友人のご実家から
今年もたくさんの自家製スダチを頂いた。

秋刀魚にかける、
シラスにかける、
焼きナスにかける、
天ぷら、素麺つゆにひと絞り、
それから
化粧水と、
今年も彼女の母から教わったポン酢をこしらえる。


さてほい
このところの
この国の政治にうんざり、苦虫をかみつぶしている。


わたしは日本という国が好きなのだ

先の震災後、いたいほど自覚したのだけれども、
それは残念なことに
この国の仕組みや政治、現在の町々のあり様を誇らしくおもうわけでもないし、
むろんほかの国より日本が優れているとおもうわけでも、
まして、
領土問題だ抑止力だと煽られる類の愛国心を指すわけではない。


ただ
流れる川、ここから見上げる空、
山々の峰やその中に生きる大小さまざまの生き物、
田や畑、
秋になれば揺れる稲穂、
春の青田、
畳や柱、おばあちゃんの背中、
海辺の町、
そこここの訛り、
ぬか漬けに味噌汁、つやつや光る米、
だとか
そういう景色や営みを愛おしく
大事に、誇りにおもっている。


だからつまり、
わたしは
それらをたやすく踏みにじってしまう
原子力発電所をよく思わないし、
騒音と不安、日常の危険と隣り合わせにした上
どこかで人を殺めるための新型戦闘輸送機や基地の存在を
よく思わない。

しつこくしつこく
この話題を口にするけれど、
多くの国民が声を上げてもなお
しらんふりをするお偉方をみるにつけ、わたしは、
自力で立ち暮らすすべを身につけるよりほかにないのだなと
思い、いたる。
下からわーわー言っても
まるで聴く耳をもたないのなら、
こちらが思い思いに自立して幸福を築き上げるしかないのかもしれない。
それが、
何より意味や力を持つのかもしれない。



鼻で、笑われそうな小さな試みではあるけれど、
そんなわけでの
化粧水やポン酢作り、なのである。


炊飯器をやめて土鍋や圧力鍋で米を炊くし、
(電気で熱を産むのはとても非効率だそうだから)
掃除機ではなく箒、
使わぬコンセントは引っこ抜き、
テレビにもさよなら、
アンペアを20Aに下げて3人暮らし。
けち臭いかもしれないけど、
ティッシュ一枚も易々捨てずにポケットに入れて
数回使ったりもする。

311後、
今のわたしには
恥ずかしながらまだまだ足りない。


多くの貨幣や便利と引き換えに、
あちこちで愉快そうに生きる人々の声を聴くにつけ、
足元からひとつひとつ、
ほんの少しずつかもしれないけれど
わたしも、
そのひとりになろうとおもうのだ。









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