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  日々、ミカンのこと                 

satomi yamada

1123 

うたう、 |

p
   (photo: masashi noda)


拝啓

peace,
picnic,

それはとても、すてきなことばだ。

こころがとび、はねるような
こころがふと、ぬくまるような
そんなやわらかな、すてきなことばだ。

このふたつ、を
くっつけた者たちがいる。

peacenic

このひとびとのつくる「わ」のなかにたつとき、
そこへわが身をおく、とき、
世界のすべてがこんなふうであったらよいのに
という気持ちになる。

ピース
つまり、
へいわ
は、
何もこむずかしい書物や会議のなかにあるのではなくて
こんな、
自由でのびやかな
ひとのこころの交じり合う瞬間にある。
だいすきなひと、
だいすきな空気をもつ初めて会うひと、
おいしい食べ物や、
くちずさむ歌、
森や木々や虫鳥のざわめき、
よせてかえす、てりひかる波と海、
青々と
ときに恵の雨を降らせる空、
大空、
それらとともに時空を共有するとき、
生きているよろこびを、
たとえば幸福を、
たとえば生きていることの自由を、
すばらしさを、
感じている心身がすでにある。

peacenic
1年半ぶりに催すすこしおおきな出来事が
11月23日、やってきます。

会場は
海沿いの道をすこし、
山側に向かって入ったところ
農園をもち、人々は空のしたで
とびきりに旨いごちそうを食べる
shoku-yabo農園。
そう、野外です。

こちらのとびきり素敵なPVになんと、我々
音楽とともに出演させていただいています。
それはこちら
  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=MLKIF8gLAKI&feature=youtu.be

秋の只中、
色づく森のなかへ
是非その時空を体感しに
ご期待の上、どうぞいらっしてください。

・・・・・・・・・・・・・



2013/11/23 (sat)

peacenic 2013
「 おか と はた 」


at shoku-yabo農園 ( http://shoku-yabo.com/ )


入場料 : 前売り \3000 / 当日 \3500

*雨天決行 荒天の場合は中止


-- LIVE --

F.I.B Journal meets 山崎円城

天草

kentarow

mimi

the yetis  etc




- DJ --

Jarrin

ABESTREEM etc



-- ART --

Yogu etc



-- FOOD --

SHOKU-YABO農園

TORi etc



-- SHOPS / WORKSHOP --

BUCHI MOKKOU

MAMEBOOKS

PEOPLE

yoyotto etc



-- アクセス --

逗子駅、新逗子駅よりバスで25分、

大楠芦名口下車、徒歩10分



予約、お問い合わせ

peacenic.info@gmail.com

the yetis HP contact より



SHOKU-YABO

神奈川県横須賀市芦名2-1700 大楠山ふもと



・・・・・・・・・・・

お待ちしております。

敬具


10:21 |  trackback: -- | comment: -- | edit

虫同志 

未分類 |

kaki



ちいさなころの、記憶に
担任の幼稚園の先生に
「さとみちゃんは、泣き虫さんね」
といわれた場面がある。

情景というよりその言葉と響きが
今でも残り浮かぶ。

憧れと敬愛の対象であったその人に、
わがことのせいで少し困ったような気持ちのにじんでいるのを
目の前にみることは
小さくショッキングでもあり、
同時にああ、わたしは泣き虫なんだと
はじめて自覚したような気が今はする。

その当時住んでいたのは
三陸の北端にある土地だったため
冬は当然ながら寒く、
当時からひょろひょろと貧弱な体型をした私の身には
それがずいぶんと本気に寒かった。

毎週、たしか月曜日だかは
朝から体操らしきものの日で、
冬だというのに外の庭へ出て寒中のさなか、
薄着で(だったような気がするんだけどそのへんは定かでない)
その体操らしきものをおどらなくてはならない。

わたしはそれが、
ただでさえその動き一環を好いてはいなかったうえに
なぜこんなに寒い思いまでしてそれをおもてへ出てしなくちゃならんのか
まったく合点が行かず
さむくてさむくてしかたないし、
手なんか冷たいを通り越して痛いくらいで、
まっかで、
だから泣いていたのを覚えている。

何度か出掛けにだだをこねて、
例の体操が終わる頃合いに園に送ってもらい、
母の自転車の後ろから降りるときの
気まずい風景の記憶も少しある。


そのあとだったのかなあ、
先生にそういわれたのは。

同じクラスの男の子に
ハサミを隠され、
ようやくそれが発掘されたときに師が
「おとこのこは好きな子にいじわるしたくなるものなのよ」
と、だから大丈夫的なことで慰められた時も
ハサミを使えなかった不安さ不憫さ悔しさに加え
なにかとパンツをぬいでみんなにみせびらかす癖のあるこの男子に
なぜかわたしは好かれているのだとして、
それはまったくうれしくもなぐさめにもならず、
むしろかなしくて、たいへん失礼だが、泣いた。

ほかにもなんだったけな、忘れてしまったけれど
何かと泣いていたのだろうなとおもう。

泣けば、世界がその間涙でみえなくなる。
だから泣いたのかもしれないし、
それでも
泣き終えたとき、
なにも世界は変わっていないことの繰り返しの中で
私はだんだん泣かなくなったのかもしれない。

今でもまあ、
泣くことはある。
けれどそれは圧倒的に良いときのほうで、
うれしかったり、
胸がいっぱいになったり、
安堵したときなどが多い。
それはきっと喜ばしいことだ

悔しいとき、
かなしいとき、
さむいとき、
私はいつのまにか歯を食いしばって
なんとかする方法を、考える。
我慢も昔ほどしない。

夜中とか
ひとりでいる夕方とか、
ごくときどき
おーおー声をあげて泣くことがある。

ぺたんとすわって、
おーおーおーおー

そのときの気持ちはよく思い出せないけれど
たしか
無力感とか、
ぽっかりした穴ぼこに落ち込んだように
泣いて、
ねむって、また
掃除をしたり、
ごはんをつくったり、
空を見上げたりして、生きている。

小さな頃の私と今の私は、
一見まったく別物のようで
当然ながら同じ線の上を歩く同士なのだ。
だから
さらばは、できない。

ともに生きている
生きてゆくのだ。









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同じ夕日 

未分類 |

onajiyuuhi


昨日は同じ夕焼けをみた。

同じとき、
同じように海を向いて
同じ夕焼けをみていた。

自転車をこいで、
家へかえる道のむこう
海のほうがひかって
まぶしかった。

これはこれは、
娘と海へいってみるやつだ、と
急いで玄関をひらくとそこはもぬけのカラで
テーブルの上に、小さな紙切れがのっていて
あそんできます
6時にはかえるね
と、娘の文字。

そうか、そうか、
遊んでいるのかと、ひとり、
洗濯物をとりこんで
海へ行って、それをみてきた。

波がしずかに波打って、
あちら側の雲の中に夕日が見え隠れ
する。

それをじーーとみた。
誰かの吹く、ほら貝の音がする。
わたしも小さく、それに声を重ねてみたりする。
魚がはねて
ひかる。
うみが
なみが
うごいてひかる。
色が、雲の中に消え入るのを見届けてから
お礼を言って、
今度こそ娘より先にと、とんで帰った。

ほどなくして、
カラカラと帰宅した娘に
今日はだれとどこへいっていたの?
と訊くと、
うん、
ひとりでうみへいって
それから児童館をまわってきた
という。

夕日をみた?
ときくと、
うん。

いつもの、彼女がよく夕日を眺める岩に腰かけて
それをみていたらしい。
なーんだ、そいならわたしもそこへ
いけばよかった。

ほら貝のおと、きこえた?
うん。

そう遠くない
となり同志の浜へいて
同じものをみていたことが
わたしはうれしかった。

ちゃんとわたしらは
ちゃんとつながっている。

ときに喧嘩をして、
傷つけて
傷つけられても
ときどき、不安になっても
さみしくてひとり、泣くことがあったとしても

きっとつながっている
わたしらは
ちゃんとつながっているのだ。


15:04 |  trackback: -- | comment: -- | edit