
拝啓
この頃は、たらいで洗濯をしている。
昨晩の風呂の残り湯でもって
ざぷざぷと洗い、
脱水機だけ使ってお日様に干す。
浴槽から洗濯機までホースを伸ばしてもって
うぃぃぃぃぃん、と
吸ってくれるやつもあるのだけれど
それを設置するのが少々面倒でもあって
だから
たらいに入れて、じゃぶじゃぶその場でやったほうが
早くはないかもしれないけど、
シンプル単純で
気に入っている。
年末に、桜花園の半額セールで
大きなたらいを買った。
さて、さて
週末はフリーマーケットの最終日で
締めくくりにライブをいたします。
昨年、senkiya でご一緒させていただいた
water water camel さんが
とてもすばらしかったので、
葉山へお呼びして、の
the yetis との2本立てです。
今回はさいとう camel さんのソロという
またちょっと貴重な機会。
わたしも今年はじめてのライブ
つまり初うたいとなるので、
気を引き締めて、愉しみにして、まいります。
・・・・・・・・・・・・・・
わたしたちの夜
2015 , 1 / 25 (sun) sold out . thanks !
・at
DAYS386 (hayama kanagawa)
・time
open 17:00 / start 18:00
・charge
adv \2,000 / door \2,500
(+1drink)
・live
斎藤キャメル(WATER WATER CAMEL)
the yetis
・DJ
anmo (the yetis)
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ぜひ、フリマとはしごでお越しください。
お待ちしております。
敬具

なにか、への否定でないありかた。
なにか、への怒りでも、憎しみでもない方法。
そんな言葉を時々耳にしてきたし、
それをずっと、探していた。
探している。
新年、海へと歩いて海にむかう。
同じように、
海へと歩いて、自転車で、
やってきたひとたちがぽつぽつと散らばる。
海はいう、
とはなしに云う。
わたしが、
わたしのおもうように、今をいる。
たったそれだけで、いいのだ、と。
伝えるとか、
うったえるとか、
わかってほしいとかそういうのは
よけい。
たぶん本当のことは、
自分が気づく。
必要な時に、
「わたし」のタイミングで。
だから、わたしの目線で、わたしのみている世界で、
物差しで、
誰かを計ったり批判したり、うとましくおもったり、
しなくていい。
わたしの力でもって動かそうと、しなくていい。
すべては、ひつようなことを
ひつようなときに、与える。
だからわたしは、
わたしの真ん中をなるたけ一杯ぴかぴかにして
まっすぐと立ち、天にむかう。
天と地を結ぶ、一点の、一本の、ひかりとなるように。
そうして、
自分に嘘のなく、まっすぐに夢中で、
わたしを、生きていれば、
それが
誰かをもしかして、動かしうるかもしれない。
なにかを気づくきっかけと
もしかしたら、なるのかもしれない。
世界をかえる、とは、きっと
そういうことだ。
わたしは、わたしのたましいの
たかぶるまんまに、
ふるえるそのままに
あるいて、はしって、生きて
いればいい。
そう、海はいいました。
わたしは自由、そして
だれもかれもが自由。
わたしはわたしと対話して、
わたしを生きるだけ。
たんたんと、
祈るように
あせらず、
最短の道を考えあぐねることなく、
ゆっくりと、
かたつむりの速度で。

今年もやっぱり、
手指にしもやけができた。
赤く腫れて、痛い。
なんとかならないものかな。
さて、
逗子・葉山の友人たちと
フリーマーケットを開催することになりました。
これが、なかなかどうして
正直我ながら面白い顔ぶれで
だからきっと、素敵な掘り出し物と出会える気がしています
の。
最終日にはご近所の days 386 さんで 我々the yetis の
今年初めてのライブがありますから
ぜひどうぞ、はしごしていただけたらなとおもいます。
場所は
このたび、葉山・森戸海岸近くにあたらしく開かれたばかりの
音楽室&ギャラリー umi studio 1F
その主のご挨拶とともに以下にご紹介。
・・・・・・・・・・・・・
海のまち、葉山に新しく音楽室&ギャラリーがオープンしました。
umi studio 1F
音楽室 「oto no ikisaki 」 & ギャラリー 「my alps gallery 」
そのオープニングのイベント第一弾として、
葉山を中心に活動中の方々を呼んで、8日間のフリーマーケットを開催します。
2015 1 / 18 (sun) ~ 25 (sun)
at umi studio1F (音楽室&gallery) 葉山町堀内1254
11:00~17:00 (入場無料)
・出店者
・木原佐知子 (デザイナー)
「sunshine to you!」 http://www.sunshine-to-you.com/
・うのさちこ(お菓子作家)
「ficel 」 http://poste-ficel.jugem.jp/
・山田里美 (うたと、かくこと)
「 the yetis , キノヨウナ」 http://hibimikan.blog.fc2.com/
・田川薫 (音楽家)
「the yetis , umi studio 」 http://the-yetis.jimdo.com/
ちょこっとゲストに
・おおくぼともこ (造形作家・ ヒンメリ)
「noninoko」
洋服や古道具、古本、楽器、その他オリジナルの物などのほかに
この8日間の限定で sunshine to you! の商品のsaleも開催。
個性豊かな商品が並ぶ予定です。ぜひ、お話や値段交渉もお楽しみくださいね。
また、最終日はご近所のcafe&diner DAYS386( http://www.days386.com/)
で17:00からthe yetisのライブもあります。
森戸海岸から歩いて5分、お散歩がてら
是非覗いてみてくださいね。
皆様のご来店、心よりお待ちしております。
umi studio
三浦郡葉山町堀内1254
09065657652
atelier.anmi@gmail.com
代表 田川
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わたしは18日、20、21、24、25日に在廊。
お店番でおります。
子どものもの、おとなの服、食器、古本、ボタンやリボン、生地、
生活道具やいろいろを出します。
古い家屋ですので、
ちょっぴり暖かい格好でいらしてください。
お待ちしておりますね。
かしこ

MEME(ミーム) という名の冊子がある。
どこにもみたことのないような、
深く、溜息のでるほどお洒落で、
それでいてしみじみと深呼吸するような、
自分自身にあたらしく出会うような、
とても、すてきな本である。
編集・発行人・筆者は
山のスコレーの主・小川純一くん。
一昨年末に発売の第一冊目は、
香りの人・WELT さん、そして朝の過ごし方について。
深々ととても良い内容だった。
年に一度くらいのペースで、丁寧に発刊されるそのMEMEの第2冊目が
このたび、発売になりました。
そしてそれがどういったわけか、
今号の主題は娘の、真朱。
おおきくいうと、
今新しく生まれてきた子どもたちについて。
親としてはなんだか、おこがましいような気持ちもありながらも
小川くん独自の視線で語られる言葉が
すうっとこころに入ってきて、
内に広がって、涙ぐみ、空を仰ぐような、
本当に素晴らしい一冊です。
今後のライブ会場でも、若干数販売いたします。
さて、
わたしにとり、世界にたったひとりの娘は
もうまもなく13歳になる。
13歳、は魔女が独り立ちする年齢で
世界中の多くの先住民族たちの通過儀礼でも
13、または14歳がそういった歳にあたるのだそうだ。
なにかがおおきく、
変化をするとき。
ひとつの扉がひらく、大切な節目。
そんなタイミングでこのお話をいただいたことを
不思議ながらなにか、意味のあることのようにもおもう。
ただここで、誤解しないでほしいのは
娘も、わたしも、むろん完璧なんかではまるでない。
迷ったり、悩んだり、お互いにつんけんすることもあったり
それで落ち込んだり、を繰り返してもいる。
葛藤をしている。
はたしてこれは、
むすめの、もってきたそのままを守ることなのか、
わたしの、理想や観念を押し付けているのか、
ときに、わからなくなって、うろたえる。
そんなふうにして、ずっとここまであるいてきた
ようにおもう。
わたしは、娘が生まれてからというもの
私たちがこれまでつくってきた世の中の、
ほんとうはどうでもいいことだのにまるでそれが立派とか優れているとか
思われがちなほんとうではないことごとで、
つるつるぴかぴかの柔らかい感性を汚したくないとおもってきた。
ほんとうはどうでもいい価値観だとか、うそっこのもの、溢れる情報と物質のめまぐるしさを
たぶん、
憎んできた。
私はそれらから、覆いをかけて娘を守ろうとしてきた
ともいえるかもしれない。
のだがときに、はて、その私の考えは、ほんとうのことなのか?
と、ぐらぐらすることがある。
何がいいのかわからなくなって途方に暮れることがある。
(それはたぶん、「憎んできた」からなのだとおもうけれど)
とくに、この9歳から先のいわゆる思春期まっただ中の
年頃の娘と対峙していると、
どーんと壁にぶつかったようになることが
多くなったかもしれない。
そんなとき、MEMEの話を小川くんからいただいた。
正直、
え、うちのこんなんでいいの?
という思いもありながら、
小川くんが今号で伝えたいこと、
未来がどうなってゆくのかということと、
今あたらしく次々生まれている子どもたちの新しい感性と感覚について
あまりにも的確に話してくれるのをきいて、
ああ、素敵な本になりそうだ、と
胸が高鳴った。
小川くんからの話をいただいて、
はっきりと、自覚したことがある。
今の子どもたちは、
私たちの世代より確実に
生まれながらにして上をいっている。
それはむろん、娘に限ったことではなくて
おそらく、いま生まれてきている
いま、子どもでいる世代はすべて。
上手く説明できるか自信はないけれど、
(的確な言葉は、どうぞMEME をお読みいただきたい)
それは私たちより「大人」というのとも違う。
何か、魂(たましい)的に先を歩いているんじゃないかしら
と、感じる。
たとえば、はずかしい話だけれど
私がもごもごしている隣で、
ふと言う娘の言葉には妙に説得力がある。
私が自分自身の負の感情を抑えきれずにいる隣で、
娘は、すっと冷静にある。
私たち世代がこれまで生きてくる中で知識として、
時間をかけて備えてきたこと、
試行錯誤を繰り返して構築してきた今の結果などを
すでに、内側にもって生まれてきているのだ
と、感じる。
これを進化、というのかもしれない。
だからやっぱり、私たちは教えるよりむしろ、
彼ら彼女らから教わることのほうがずっとずっと大きい。
だから、
くだらないことで彼らを染めてしまうことなく、
彼ら彼女らのもってきたものをそのまま
この世界に解き放てるよう、
私たちはあればいいだけなのだ。
そうおもえば、肩の力もとたんに抜けるし
未来は、今は、明るくみえてくる。
そんな彼ら彼女らとともに今を、生きられることを
幸せにおもう。
ありがとう、娘。
ありがとう小川くん
MEME ぜひご覧になってくださいね。
「MEME」
spirit & life magazine issue #02
"fairylimb" フェアリー・リム
800円(税抜き)
詳細は → http://junichiogawa.com/
かしこ

あけまして
おめでとうございます。
あたらしいとしが、あけました。
なんだか空気そのものが
きらきら、
眩しいようにも感じる新年です。
昨年はほんとうに
ありがとうございました。
おかげさまで、こうしてここに、いられます。
さて昨日は
七草粥を食べる日。
一月七日の朝にいただく
七草粥、のななくさは
これまでずっと、スーパーマーケットで買っていた。
昨年あたりに、
知人のお母さんは七草を庭先で摘んでいるときいた。
なぁに、七草ちゃんとそろわなくたってへいき。
なんだか私には、七草違いなく揃うスーパーのパック詰めよりも
庭で摘む、たとえばハコベひとつのほうが
ほんとうのことにおもえた。
のを、
新年早々のスーパーでの七草売り場でパックを手にしながら
おもいだす。
しばし悩んで、パックから手を放してその日を迎えた。
前日、朝から風がびゅーびゅーで、お昼には雨が降り出した。
私は娘から借りた植物図鑑で予習をしてから
家の周りをぐるり一周、地べたに顔をくっつけるようにして腰を曲げて
七草を探した。
ハコベはすぐに間違いなく見つかったのだけれど、
なんとなく、これはごぎょうかな、ホトケノザかな、ナズナかな、
あら、小さいフキも七草じゃないけど入れちゃいましょう、とかいって
その身を頂く。
けれどどうしても、芹だけはみつからない。
芹は田んぼに生えているのを知っている。
けれど外は雨だし大風だし…と
娘に、
いろいろ入れて七つあるからよいよね、というと
えー、セリないの?
と、王様みたいなことを言ってくる。
七草揃わなくって、1年健康に過ごせなかったらどーするの
とまでいってくる。
(だったら自分で摘んできてほしい)
翌朝、七日。
目が覚めて、時計をみて、さむくって、
布団の中でもうすこしぬくぬく、あと5分、あとすこし、
の繰り返しをいつもより短めに切り上げて服を着て、
自転車に乗って田んぼへゆく。
そこには小さなお社があって、
田ノ神、森ノ神、天の神、
に手を合わせ、
新年のご挨拶と、昨年のお米の実りのお礼を込めて
祝詞をあげる。
と、
頭の上の木にたくさんの鳥が寄ってきて
ちきちき、ちゅくちゅく、ピぃぴぃと鳴く。
ときおり、
ひゅううと風がふいてゆく。
そうして青々と瑞々しく生えた芹を摘んで、
庭先で見たよりゴギョウらしい草や新鮮なハコベもいただいて、
礼をして帰る。
前日の強風のため、
2階の娘の部屋は雨戸を閉めていて真っ暗闇。
そんななか眠り続ける娘を起こして、
一緒に茹でた七草を刻む。
いつからか、母がそうしていたのに倣って何故だかうちでは
七草を刻みながら七草の名を順に唱えて歌う。
ごぎょう はこべら ほとけのざ
すずな すずしろ せり なずな
今年は先日のちゃんこ鍋の残り汁でこしらえた雑炊に
その七草をのせて頂いた。
芹の香りがとても清々しい。
娘は、朝起きて摘んできた芹にどれくらい感激してくれたのか
定かではないけれど、
静かにその光景とやりとりが彼女の中にのこるといいなとおもう。
そんなわけで、
身の回り、自ら摘んでこしらえた七草粥は
むろん、美味しかったのである。
過去も、未来も、どこにも存在しなくて
あるのはただ 「今」 のみ、なのだという。
だからこそ
ふと、立ち止まってはこんなふうに
ほんとうはどっちかな?
を、小さいながらにくりかえしながら
わたし の いま 感じる ほんとう
に、手を伸ばしてゆく一年としようとおもう。
己も、ほかのすべてのものも自由であるおおらかさで、
焦らず急がず、ゆっくりと
今 にあたりながら
祈るように、一日一日を
おくりたいとおもう。
本年もよろしくお願いします。
かしこ
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