
夜は
虫のこえがして
夜明け前
それは
徐々に交代をして
日が暮れるまで
ずっと鳥のこえがする
山は
しずかに
色づきはじめている
10月がおわる
先日の
三浦修道院でひらかれた
にじのこ音楽祭
心身、深々とのこる
ほんとうに素晴らしい一日でした。
来場いただいた方の
さまざまのその手首には、
小さな貝殻と鈴を通した
細いリボンがくるりと巻かれ、
それが
ご入場のしるし。
庭では
タープのしたで
パンや、お菓子や、ハーブ酵素の飲み物や、
スープや、お弁当がならんで
丁寧に手をかけて
こしらえられたそれらはどれも
美味しくて、まるい、ほんとうの味がする。
アースオーブンでは、
じわじわ、焼き芋が焼かれてゆく。
こんもりとした丘の芝生に布をひろげて
こどももおとなもシスターたちも、まじって食べる。
ふとお隣に座られたシスターのおひとりと
すこし、
お話をさせていただいたのだけれど
それがあまりに
今のわたしの大事な部分、
その琴線にふれるので
ぽろぽろと泣いて、それにうなずく。
どんなにつらく思えることも、
神様の思し召し
それは先日、
娘とみた映画
「銀河鉄道の夜」のなかの
台詞と重なる。
そして
ひとはすべて
罪びとである。
そう、わたしもそうであるとは
なかなか思わないものなんだけど、
酷いことをするひとがいる、
でもそのひとたったひとりだけが酷いんでない。
そのひどいことを、
してしまうようななにかで、わたしもあったかもしれない。
だからわたしも罪びとである。
そう、あるときに気がついたんですよ
と、そのシスターはおっしゃった。
静かにそっと
凛と
そのシスターはおっしゃった。
夕暮れ、
聖堂で唄わせていただいたことは
わたしは
生涯わすれない。
聖堂からは、
窓のむこうが蒼く
海がみえる。
最後に、
シスター六人に
この修道院でうまれた唄を
唄っていただいた。
それが
とても
すばらしかった。
あんまりにうつくしくて、涙がでた。
たくさんのひとが
なみだをぬぐう。
むねをいっぱいにして
会はおひらきとなりました。
小さなおこさんたちと一緒に
小さな穴のあいた貝殻を拾い、
そこにリボンと鈴を通し、
招待状をつくり、
事前にそれを
それぞれのお宅にお送りして、
……。
この日までのいっさいを
丁寧に、こころをこめて調えて下すった
ふたりのなおこさん
ほんとうに素敵なおふたりの女性に
心から
感謝を申し上げます。
当日会場へお越し下すったおひとりおひとり、
出店くださった素敵なお店さんの方々、
焼き芋を焼いてくださった橋本さん、
迎え入れてくださった
シスターの方々、
ここにいるめにみえないものもの、
すべてすべて
ほんとうにありがとうございました。
この日はわたしの
大切なはじまり
節目の日となりました。
感謝を
心よりこめて
かしこ

拝啓
金木犀の
わずかな残り香が
町の
ところどころに
ふっと
在る
親しみを込めて
その香りを
しずかに
吸い込む
10月のはじめ、
三浦の修道院に連れて行っていただいた。
そこは
前々から噂を耳にはしていたけれども
そこは
ちょっと
言葉を失うくらいに
すばらしい
だなんて、簡単にはいえないくらいに
素晴らしい
処だった。
10年前
自然との共生を願って
建てられた、というこの修道院は
パーマカルチャーを実践する
慎ましく
美しい
空気と気が静かに満ちている。
シスターにその館内とお庭を見せていただきながら
その
ひとつ、ひとつに
込められた丁寧な
ことごと
おもいや
ものものを
お話していただく。
畑も、お庭も
その向こうに広がる海の気配も
建物の佇まいも、その細かなところも
そこが内包する気配全体も
すべて
うつくしい
きよらかで
あたたかく
よい。
土間のようにつくられた玄関を
はいってすぐ、
額縁に言葉が掲げられている。
その言葉は
私が日々、自分なりにしつらえた
小さな神棚にむかって祈る
その最後に
天にむけてとばす言葉
想いと
まったく同じだった。
わたしはとくに
特定の宗教に属するわけでも
熱心なわけでもない。
ただ一匹の
人間としてうまれた
一匹のいきものとして
願い
祈る
こと。
その言葉が同じであることが
不思議でもあり
あるべくしてあるようでもあり
まず強烈にこころを
ゆらし
共感、共鳴、して胸をいっぱいにする。
こんな場所へ
連れてきてくださった
素敵な女性おふたりに
心から感謝をする。
神様からの贈り物のような
一日だった。
そんな、
こんな、
場所で
唄わせていただくことになりました。
しかも、
神聖な
息をのむように
うつくしい
その御御堂で。
ここには具体的には書かないでおくけれども
この御御堂が
ほんとうにすばらしく、
わたしはその入り口に立って
息をのみ
暫く、立ち尽くしてしまった。
あまりに
想像をとびこすような景色なもので
足を踏み入れるまでに
時間がかかってしまう。
そういう
驚くような
場所
ちょっと
わたしの貧弱な語彙では
追いつけません。
・・・・・・・・
にじのこ音楽祭 ~ 風土の祈り ~
2015.10.24 (sat )
小さな子どもも、一緒に楽しめる音楽祭があったらいいな…
そんな思いから生まれた
『にじのこ音楽祭』
自然との共生を願い建てられた
小高い丘の上の修道院で、
小さなコンサートを開きます
丁寧に作られた美味しい食事をいただきながら、
やさしさにつつまれて
にじいろの未来に、何かを感じる一日になったらいいな
と願っています
日時 : 2015年10月24日(土) 11:00 ~16:00
場所 : 三浦修道院 神奈川県三浦市南下浦町金田223-6
料金 : 1000円/ 未就学児とご家族
1500円/小学生以上のお子様とご家族(ひと家族)
お問い合わせ・ご予約 : satomikan_y@yahoo.co.jp
わらべうた : ロミミッチェル
LIVE : 里美
・出店
ASABA CAFE (おにぎりbox)
あつこのスープ (スープ)
オシムツ屋珈琲店 (コーヒー)
kitchen madomado (パン)
小網代食品店 (ツナサンド)
土間カフェ (パン)
mashuka (焼き菓子)
他
*ごみゼロ推進の為、マイ食器・マイボトルをご持参下さい。
・・・・・・・・・・・・・
シスターから、この修道院について
お話していただく時間もあります。
会場の都合上
人数に限りがありますので
ご予約制となっております。
事前にお申し込みをおねがいいたします。
おまちしております
かしこ

拝啓
秋は
天が高い
9月はおやすみしてしまった
小さなものがたりとうたの会
10月より
あらたに
また、はじめます。
・・・・・・・・・
小さなものがたりとうたの会
a story of Oct.
「旅をする木」 michio hoshino
2015.10.27 (tue)
am 10:00 ~
at cibo (葉山町 上山口)
place charge 1,000en (お茶とお菓子つき) + donation
わ
になって、
めにはみえない音、声、ものがたりに
みみと、
こころ、
からだをひらく。
すこしばかりの唄や響き
朗読のあとは、
母音を手がかりに
ご自身の声で
内面に、深く潜り
自分自身をととのえてゆくような
声のワークもおこないます。
おしまいには cibo の主・みとなさん手製の
美味しいお茶とお菓子をしみじみ
いただきながら
シェアリング。
ようこそ、おいでください。
・・・・・・・・・・・・・・
10月より
時空と中身をあらたに、はじめます。
処は、ため息のでるような素晴らしい場所
場開きをしたばかりの cibo さんの空間をお借りいたします。
ありがたや!
すぐ傍らに山から流れ来たばかりの
清い
川のせせらぎがあります。
cibo → ●
物語は
これまでよりすこしばかり、
もうすっかりおとなといえる年齢の
わたし自身の目線で選んでみようとおもいます。
こたびの物語は
星野道夫さん。
今年になって片端から読みふけった
星野さんの本の中から、
とびきり大事におもう
一遍を
後半は、
日々わたしもおこなっている
声のワーク。
自分自身へと深く
潜ってゆくような、
わたしとせかいが一つであるような感覚を
共有してみたいなとおもうのです。
秋深まってゆく
うつくしいせかいで
お待ちしております
あたくしも元気に
この世界をすすみます
かしこ

わたしは小さいころから
自分のかなしみを
たとえばほんとうの悩みを
くるしさや苛立ちを
どうしようもなさを、
だれかに話すことができなかった
そういう
ほんとうのこと
なかでも
ネガティブな方向の
ほんとうの気持ちについては
誰にもいわず
人を頼らず
海とか、空とか、森とか木、
そういう自然にきいてもらって
なんとか
解決をする
そういう子どもだった
少女だった
年頃のおんなだった
けれど歳を重ねるにつれ
おそいかかってくる
その
くるしみはその度合いを増して
ときには
もう自然にもどうしようもないときがくる
いっそあちらに飛び込んでしまうかもしれない
そういう
ぎりぎりのところを
体験するようになる
けれど、
わたしは生きなくてはならない
そういうときに
ふと
たすけて
と
言えるひとが今のわたしにはいる
それが
「ひと」であるということが
わたしには大きな変化で
それが
そういう存在に出会えたからなのか、
わたしが年を重ねて弱くなったのか、
その両方なのか
わからないけど
それは
人間でうまれたわたしにとって
しょうじきとても
嬉しいことだ
生きてゆく意味に値する
ほんとうのことだけを
して
生きていこう
そう言い合える
ひとの、ありがたさ
ことの、よろこばしさ
それは
いきていること
にんげんであること
ありつづけることの
ひかりである
そんなひとり
同じ町にすむ
木原佐知子ちゃん
sunshine to you !
その名のとおりに
お日様みたいな
少女のような
少年のような
魚のような
すてきなひとである。
出逢ってから4年ほどだけれど
ますます
そのひかりは増していく
女性として
人間として
いきものとして
研ぎ澄まされてゆく
その過程をみているような
気がする
そんな彼女のつくる洋服は
独特で、
風とかひかりを内包しているよう。
たびたび
ライブでも着させてもらっているのだけれど
さて
このたび、
sunshine to you ! HPにて
オンラインショップがはじまりました。
いくつか、
モデルをさせていただきました。
ぜひ
ぽちっと
ご覧になってみてください
sunshine to you ! → ●
のびのびとした
気持ちのいい世界を描く
デザイナー
彼女の存在に
感謝して。
秋が深まってゆく
季節がまた
つぎへとめぐってゆく
とどまらず
うごいてゆく
らせんをえがいて
ゆっくりと
すすんでゆく
のだ

もう大丈夫、
と
記憶の蓄積
その断片が渦をまいて
息ができなくなる、
をくりかえす
長く横たわっていた
嘘と
そのつどの
欺くという行為
そこにあった
こころはいったい
どんなものであっただろう
それが
ひとというものの
為しえること
ことなのだ
とは
おもいたくなかった
結局
わたしは、
みたいものを
みたいように
みていただけなのだ
だけ、なのか
信じるっていったい
なんなんだろう
こういう
愚かな
ぐるぐるを
ふきとばし
正気を、たもつために
この言葉を
くちにだしてみる
くりかえしくりかえし
口にだしてみる
大事にしている
言葉
・・・・・・・・・・・
美しいものに驚き
真理を守り
高貴なものを尊敬し
善を
選びとるならば、
旅ゆく人の前途には、
人生の目標が
行いの正しさが
こころの平安が
思考のあかるさがある
そこで人間は
知るだろう
世界のいたるところ
あらゆるもののなかに
魂の深みのうちに
神の導きが
あることを
R.Steiner
・・・・・・・・・・・
このことがすべてだ
そう、
おもいます
おもうんだ。
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