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  日々、ミカンのこと                 

satomi yamada

縄文 

うたう、 |

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拝啓

この
5月の連休は
愛媛の山の奥のほう、
由良野の森
というところへゆく。

この冬の間に
草舟・矢谷左知子さんのところで
この森の主、鷲野陽子さんにお会いした。
この方の話すことのあんまりに
面白く、魅力的なことに
いっぺんに興味津々となったわたしはその場で
この春には娘とゆきます!
と、言っていた。

由良野の森
ここには、山羊がいて、糸を紡いで布を織る
まるでハイジのような暮らしがある、
ようす。
大紅葉の巨木がおわしまして、
そこは木の精霊たちの、
聖なる場所である、ようす。
娘に話すと、
いく、いきたい、といつになく
のりのり、乗り気であった。

あれよあれよと
あっという間の春が来て、
いよいよの訪問を
うんと愉しみにしていたら、

滞在中の5月4日には
なんと
縄文デーなるイベントがあるという。

私は昨年あたりから、
図書館に通っては縄文本を片端から読んでいたくらい
縄文の民のありようと世界観に興味津々なのだった。

なんてタイミングなんでしょう!と
ふるえていたら、
そのうえなんと

この日に
この森で
唄わせていただけることになりました。

なんてこと!

鼻血がでそうなくらいうれしい。
ありがたさよ
しあわせよ

先日、a story of Apr.
で朗読した
「インディアンの言葉」
を由良野の森でも。

こんなにうれしいことはありません。
鼻をふくらませて
いってまいります。

気軽に、とはいかないかもしれないけれど
おっ
という方はぜひどうぞ、お越しください。

とんでもない一日になりそうです。
わー
愉しみ


・・・・・・・・・・・・・

由良野の森
All day about 縄文

5月4日 (水・祝)
at 由良野の森 ゲストハウス


10:30~12:00
「由良野 一万年の風景と久万山の記憶」
遠部 慎 氏

13:00~
「縄文の暮らし体験」
火おこし、縄文の食べ物いろいろ…


夕刻~
a story of Native 
「インディアンの言葉」
ミッシェル・ピクマル・編/中沢新一・訳
唄と朗読 / 里美


お問い合わせ/ ゆらの事務局
0892-21-8076
久万高原町二名乙 787-13

HP  → 

・・・・・・・・・・・・・・・

ひとももりも
けものたちも
すこやかなる
立夏を


敬具



 





22:04 |  trackback: -- | comment: -- | edit

野性 

未分類 |

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この年のはじまりに掲げたテーマは
野性
であった。

野生
とおもった娘はそれを聞くなりすかさず、
それじゃあまず服を着るのと家に住むのをおやめなさい
といったけれど
それは、野生。

わたしのいうのは
野性
のほうである。

その究極が彼女のいうかたち
なのかもしれないけれど
そう
ひとっとびにはゆかない。

さて
昨年末に携帯電話を手放したその
もっともな理由をあげるとするなら、それは
テレパシーがつかえるようになる気がする
である。
こんなことをいうといよいよ
頭がおかしくなってきたのかしら

心配する方もあるかもしらないけれど、
いいえ
実のところそれは
わずかずつではあるけれど、
そのようになりつつある。

四国に住む親友姉妹にそろって
この春赤ちゃんが誕生することになり、
いまかいまかと
その声を待っていたのだけれど
あるとき妙にもう生まれるんじゃないか
という気がしてお祝いを送ったら
翌日、生まれたと知らせがあった
とか。
それは月をまたいで
姉妹それぞれに。

子の名前が妙に
「なんとか太郎」
なのじゃないかしらとおもえば、
凛太郎
だという、とか。

妹のほうからはそれ以来、
エスパー里美
とよばれている。

ほかにも
絵にかいたような
うそでしょ、
というような出来事がぽつぽつあって、
ああこれはテレパシイだね
とおもっている。

つまりこれは、
野性のアンテナがすこしずつ
元に戻りつつあるからゆえ
だとわたしはおもう。

おそらく
太古の人間はもっと、もっと、
そういう感覚が研ぎ澄まされていたのにちがいない。

植物や風や、波や、月や星々の動きや、
あるいはもっと理屈ではないものと
交感を、やりとりを、
し合っていたのではないか、
また人間もそのひとつであったのではないかしら、と。

そういうのは
私の理想だ。

むろんわたしは
携帯電話やさまざまの便利ツールを否定したいわけでない。
それらを面白い、愉しい、
とおもうひとは素直にその感覚に従うのがよいとおもう。

わたしの場合も
おもしろい、とおもうもの
恰好のいい、
うつくしい、
と興味をそそられるものに向かって
素直である
というだけである。

なんであろうとそれは
一個人一個人の
おおいなる自由だ、と
おもう。

わたしは人間としてこの世に
いま、生まれて生きているけれど
その
人間
というものも
木や、風や、雲や虫や、
けものや鳥や、虹や雨や海、
花や草と同じ
ひとつであるとおもっている。

いつからなのか
ずいぶんと偉ぶって
はみだしてしまったようにみえる今の姿から
すとんと
一匹のいきものに
この生涯をとおしてかえってゆきたい
そうありたいとおもう。

このごろ
もしかするともっとずっと前から
わたしの真ん中にあるのは
このことであるようにおもう。




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slow small simple  

未分類 |

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若布を拾いにいく。

今年は暖冬であったゆえに若布は生えず、
流れつかない
と、誰かが言っていたのを鵜呑みにして
近所の浜辺にないだけで簡単にあきらめていた私に
先日、友人がみつけたという。
長者ヶ埼へいってみればいいといわれて
翌日、
干潮の時刻をねらって自転車をこいだ。

長靴をはいて、
リュックにはビニル袋を何枚か入れていく。

風の強い岩場をぴょんぴょん
とびはねていく。
どうかわたしに若布を授けてください
と、海にお辞儀をして手を合わせる。

ふと、波打ち際に流れ寄る若布を発見
ありがとう!といってそれをつかむ。
袋にいれる。
進むごとにゆらゆら、若布、漂ってくる。
小さなめかぶ付きのものもいくつか。

誰もいない岩場に、
波がひいていくのが見える。
風のおとがする
鳶が旋回する
ヤドカリがあるく
ひじきも流れ寄る
拾い上げてこれは違う袋に入れる。

ありがとうございます
いただきますね
そう、何度言ったかしれない。

だれか人間がみていたら、
おかしい女とおもうだろうなと思えど、
致し方ない。

浜大根の薄紫の花が咲いている。
通してくださいね、と
かきわけて小道をゆく。
抜けると海の向こう側がひらける。
風がつよい
すこしこわいくらいに波がかかる
海のはるか先に、想いをよせる
とんでゆく
ひとつになる。

さて、
袋はずっしり重たくなって
重ね重ねお礼をいってかえる。
おまたせー
今度は自転車に話しかける。

ほくほく、
家にかえる。
春の海の恵みを
籠に入れてかえる。

ひじきは
錆びた釘を入れて大鍋でゆでる。
こうすると所謂ひじきらしく、黒くなるときいた。
入れなければ茶色くゆであがる。
ま、どっちでもいいんだけど。

かじってみて柔らかくなるまでゆでたら
ざるにあけて洗う。
手でかるくしごくだけでぽろぽろ
ひじきが軸からはなれる。

軸と芽にわけて、保存する。
新鮮なうちは
オリーブオイルと、塩かお醤油、
檸檬なんかをかけるだけでサラダになっておいしい。

もちろん煮物や炒め物にもする。
そういえば娘がたびたび
ひじきふりかけを買ってくれとねだるので
作ってみようかなとおもう。
どうやってつくるんだろ。

若布は洗ってさっとゆでる。
湯にいれた途端、
ぱっと鮮やかなみどり色にかわる。
はっとする

ひいて水で洗って、これも茎と葉にわける。
これを干せば、干し若布。
でも今年はたいした量ではないから、
半分は軽く塩につけてみる。

ゆでずにとっておいた分、
なるたけやわらかそうなところ、
これは若布しゃぶしゃぶにする。

若布をスーパーで買う気にはならないわ、と
高を括っているうちに
気が付けばその棚にも並ばなくなって
いよいよ今年はこれが食べられぬまま
春を後にしてゆくのかと思っていたので、
こんなに幸せなことはない。


娘と言い合って鍋をつつく。
娘はさっと色が変わってすぐをすかさず
ひきあげる。
真似してみると確かに、
このほうが若布の香りが濃く歯ごたえもよい。
豚にはなにもつけず、
若布にたっぷりポン酢をひたして一緒に食べるのが
おいしい、と彼女はいう。
どれどれ、と試してみればなるほど。

食通だねー
といえば、
食通ってなに?
という。

すこし考えて、
食に通ずる者
とこたえると
すこし誇らし気に鍋をつついていた。

わたしは何がすきって
こういうことがたまらなくすきだ。

季節になるとめぐり来る
旬の恵みをいただきに、
山に
海に
でかけてゆく。

ありがとうをいっぱいいって帰る。
それを下処理してたべる。
その過程ひとつひとつにみえるうつくしいものに
夢中となる。

ああ、生きているってたのしい
そう
心の底からおもう。

ほかに一体、これ以上
なにが欲しいというだろう。

シンプルなこと
ささやかなこと
ゆっくりであること

そういうふうにして
この先も
いつかまで
生きてゆきたいものだなとおもう。

熊本の地にも
そんなおだやかな
ささやかな事々が
営みが
ありますように、

もどりますように。








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a story of Apr. 

うたう、 |

DSCF3827.jpg


拝啓
さくらが咲いた

この町の山々がもう
たいへんなことになっている。

あちらこちらでもこもこ
白や、淡いさくら色から濃い桃色が
山のなかでほどけている。

じっとしていられなくなって
近くの方々
あの木肌を記憶する山道をのぼっては
道にこぼれている花を拾って匂いをかいだり、
(おもったよりくっきりと香りがする。種類によるのかもしれないけど)
と、いうことは、と見上げると
木々の間、ずいぶん高いところに咲くのをみつけたり、
ほかより早くつぼみを開いた1本の前に腰かけて弁当をたべたり、
ふと
雪のようにはらはらとふる花弁に
はっとして
すべてがとまったように動けなかったり
する。

この町の、
ご近所の、桜の木もいまや満開で
とおりゆくひとが
たちどまってみあげる姿を
みる。

こんなにも特別なものだったっけ、

やっぱりこの春もおもう。

なんどもふりかえって、
なんどもたちどまって、
山をみる。

こんなにうつくしいものはないとおもう。

そういうものだらけの、
うごき、うつりゆく
四季の変化にはもう、
脱帽である。

さて、
3月は長いことおやすみをいただいて
ご心配やご迷惑をおかけしました。
おかげさまで
もうこんなに元気です。


4月 
小さなものがたりとうたの会
a story of Apr.
のご案内です。

・・・・・・・・・

2016.4.26 (tue)
a story of Apr.
小さなものがたりとうたの会


「 インディアンの言葉 」 
ミッシェル・ビクマル・ 編 / 中沢新一 ・ 訳

am 10:00 ~

at cibo (葉山・上山口)  → 
place charge 1,000en (お茶とお菓子つき) + donation




になって、
めにはみえない音、声、ものがたりに
みみと
こころ
からだをほどいて
ひらく。


4月の物語は
「インディアンの言葉」
中沢新一・訳

学生時代、ふとある方にいただいて以来
本棚のなかで静かに息をしていた一冊を
朗読してみます。


その大陸に数万年の歴史を刻んできた先住の民
めにみえぬもの
またはめにみえるすべてのものに
グレートスピリット (大いなる霊) の存在を感じ
それらとともに生きていた
ネイティブアメリカンのことばを。


すこしばかりの唄や響き
朗読のあとは、
母音を手がかりに
ご自身の声で
内面に、深く潜り
自分自身をととのえてゆくような
声のワークもおこないます。
わたしとせかいがひとつであるような感覚を
共振、共有してみたいとおもうのです。
おしまいには cibo の主、みとなさん手製の
美味しいお茶とお菓子をしみじみ
いただきながら、
シェアリング
ようこそおいでください


・・・・・

清明
すべてが清々しく、あかるくなってゆく
はるのなか
お待ちしております。



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