![kasper山福朱実[1]](https://blog-imgs-95-origin.fc2.com/h/i/b/hibimikan/20160829204628804.jpeg)
この小さな町に
この春、
一軒の本屋さんがやってきた。
名をば
Kasper カスパール
という。
窓の大きな
まっくろい建物。
娘もわたしもその店開きを
いまかいまかと待ちかねて
開店日には朝一番にいって、
その本の棚にならぶ面々に挨拶をした。
その背表紙
タイトルの名前を読んだだけで
胸がふるえて泣きそうになるものもあるし
ひょっと手に取ってぱらぱらとめくると
簡単に涙がでてくるので
うかうかしていられない。
なにを大事に一冊を
選んでいるのか
それはつまり
なにをだいじにいきているのか
それが
みえる
この店主のマオさんを
わたしはすきだ。
娘は少々値段のいい
でもものすごくいい本を選んでみせてくるので
つい
これは家宝に、と連れて帰る。
いい本屋さんがあると
町はゆたかだ。
さて
こんなにもすきでいる場所で
ふとわたしにも唄わせてもらえる機会をいただいた。
うれしい
なんてものじゃない。
それは
「水はみどろの宮」
という物語
その挿絵原画展が開催されるとのことで
それにともなってひらかれる朗読会に
わたしもよせていただく。
この物語が
この挿絵、木版画が
すばらしい。
マオさんが語ってくれたその物語のさわりをきいただけで
もう、とりことなってしまって
本を手にしてその挿絵をみてはたまげてしまって
今は毎日、読んでいる。
・・・・・・・・・・・・
2016. 9. 18 (sun)
「水はみどろの宮」 挿絵原画展 朗読会
16:00~
ところ : BOOKSHOP Kasper → ●
料金 : ¥1,500+1drink (中学生以下無料)
出演 : 山福朱実 (朗読 唄)
末森樹 (guitar)
kinoyouna / 里美 (朗読 唄)
予約 : 046-874-7031 / info@kasper.jp
「水はみどろの宮」
石牟礼道子 作 ・ 山福朱実 画
川の渡し守である祖父に育てられた少女お葉は、山で千年狐のごんの守と出会い山の声をきくようになる。
―― 自然への畏れ、精霊たちの声、水が呼び起こす生きものたちの原初の声。
・・・・・・・・・・・・・
この日
挿絵を描く山福朱実さんが
末森樹さんのギターとともに朗読と唄をきかせてくれる。
ある日マオさんから
なんだかこの本が里美ちゃんのイメージだったから、と
光栄にもお声がけをいただいて
わたしも唄い、朗読します。
ああ
愉しみ
愉しみ
朗読会のあとはそのまままっすぐ道を下って
一色の海へ
夕焼けのひかりと景色をみにゆかれるのなんて
いかがでしょう。
原画展は
9月10日(sun) ~ 25日(sun) 開催中
秋分を間近の夕時に
お待ちしております

台風を前に
夕方の海へゆく
さすがにがらんとして
雲は風に乗ってはしり
雨をみっちりと含んでまばらに滴がこぼれてくる。
波おおらかに盛りあがる
白波を抱えわになって、はじける
あわになってそこらじゅう平らかにひろがる
ぷちぷちと音がする
水に金色、銀色の、
ひかりなめらかにゆれ、うごきつづける
なまぬるい風、やってきて
やわくつよく身をあらってゆく
向こうの雲から雨、海に
斜を描いて注ぐのがみえる
あんまりきれいで、なみだがでる
すべての色、刻々とかわってゆく
雲、空、ひかり、刻々とうごいてゆく
なんとほんとうで
うそがみじんもなく
こんなにうつくしいことを
何がみようとみまいと
惜しげもなく
一度きりにこう
繰り広げる姿からはもう
離れられなくなる。
かえって夕ご飯をつくらなけりゃ、
雨ひどくなるまえにかえらなけりゃ、
となんどもおもうのだが
うごけない
わたしは
ともすればすぐに
人間であることが耐えきれなくなるような
あちらへいってしまいたくなるような性質があって
だからそれはつまり世間で言うところの
あれなんだろうけれど
名前とか、処方とかそういうものに頼る気は毛頭ない。
だってそれではなんの解決にも助けにもならない。
きっと少なからず、誰しもにやってくる波のようなもので
だからわたしはこれを、ともにして生きなけりゃならない。
生き繋ぐには
うみとか
やまとか
草花とか
風とか雲とか
すっくとたつ木の姿だとかが
わたしには
必要で必須
そういう人間も
こうして
こういう
まじりっけなしの
ほんとうを、
こうまで
堂々、目の前にすると
ここに生きることを
いまを生きていることを
幸せだと
心とからだ、その底からおもう。
ありがとう
あいしています
うみへのそれは
ずっとずっと言っていても
わたしには足らない
人は所詮
失敗とかおかしみとか、情けなさをくりかえして
生きているのだ。
おろかなことも
はずかしくなるようなことも
それが今の精一杯
出し惜しみなくやってさえいることなら
それはみなひかりになっていく。
そうあれたらいい
だからためらわず
すがりもしない
きょうもありがとう
またあした
を心から何度もいってふりかえり
ペダルをふんで
かえる
我が娘、待つ家に
かえるのだ

蝉の声が夜には
虫の声にかわる。
そのはざまを意識したことはないけれど
いつのまにか交差し
入れ替わっている。
秋、こくこくと夏に入り、うごいてゆく
この八月は
存分に休息をとる期間とした。
海にいって海にまじって、
蝉の声を浴びながら昼寝をして
星をみて、夜光虫をみて
盆踊りを踊って、おもうまま
夏休みを過ごした。
冷房がそも苦手で、
その機能をもたぬ我が家ではあんまりに暑いかしらと
夏の間おやすみをしていた
feeling voice, a small meditation
9月より再開をいたします。
以前、友人の小川くんが自身の tumblr でこんな
うれしくありがたいことを書いてくれた。
→ ●
おかげさまで
おもいがけず、たくさんの方にお越しいただいて
いくつもの深く、密度のある交感をもてました。
わたし自身、ひとりではゆきつかないような
不思議な感覚へとうごいてゆくことが多々あり、
毎度毎度、
言葉にはできないような喜びがあります。
これまではるばると
お越しいただいた方々、
ほんとうにありがとうございました。
しずやかに
わたしなりのペースでつづけてまいります。
今後ともどうぞ
よろしくお願いいたします。
詳細はこちらから → ●
うみから
ひかりから
草木から
雲から
宇宙から
とうめいなエネルギーをうけとって
たくわえたこの身体で
このさき
いったいどこへ
ゆきますのやら
わたしにもわからない
深呼吸して
ちからをぬいて
ただ
どこまでも
おおきなものにつれていってもらう
この身を
おまかせするのみです

処暑をこえ
とたんに朝晩が涼しくなった。
朝がこう涼しいと
起きてすぐの海へいくのをためらってしまう
天気予報もあたらない。
雨の予報をきいて
見送っているうちにじりじりお日様が空気をあたためる
そのころには日差しと人手に怖気づいて
ああ、あのとき泳ぎに行けばよかった、と
日をすごす。
明日の朝こそ
起きたらまよわず海へいく
この夏はもう
とりつかれたように海へゆく
海へは基本 ひとりでゆく
うみにまじれば
わたしは海の一部となり
海はわたしの一部となる
このまま今年も浮かぶの専門かと思われたけれど
いよいよマスクとシュノーケルを買ってひとたび
海の師 と勝手に思い慕っている方に導いてもらいつつ
海に潜った。
もぐる、といえどわたしは顔を水につけているだけである。
師は、魚のように泳ぐ。
人間を久しぶりに
うつくしい、とおもう。
もう、なんにもこわくない
うつくしいものを目の前に
ただただ夢中である
それにだって、息が、できるのだから
マスクとこの筒っていうのはすばらしい。
魚がゆく
群れで行く
単独でゆく
ひかるのも
あおいのも
ほそながいのも
おおきいのも
こまかいのも
うつくしくおよいでゆく
水のなかがこんなにも
愉しいものだなんて知らなった
自由なものだなんて知らなかった
以来愉しみは
浮かぶだけではなくなった。
むろん浮かぶことの幸いも替えがたく
浮かぶついでにすこしずつ
潜る練習もする。
ほんのわずかずつだけど、
水面へもどるとき見上げる空の気配と模様、ひかりに
ほれぼれとする。
昨年までは
くらげを恐れて
泳ぐのはお盆までときめていたけれど、
このごろはくらげもこわくない。
ちっとのひりひりよりも、すこしでも多く海にまじりたいとおもう。
冬になったらどうしよう
いまのうち
いまのうちにと
海へかよう
七一年目の八月も
あと
のこりわずか
いのりまじる
まじりいのる
うかびいのる
いのりうかぶ
いのりとばす
くうにみずに
とけてゆく

隣の庭に
白百合が咲いた
今の家に越して2度目の夏
この界隈にはこの季節、
道端やあちこちに白百合が咲く。
すっとのびて
ラッパのようなうつくしい
白
野性の韮の花もちょんちょん
伸びてきて
つぼみがささやかに膨らんでいる。
娘の部屋の窓から
白いむくげが風にゆれて
ぽたぽたと道に
その花が落ちる。
立秋をむかえ
夏もそのピーク
ただなかにいる。
海にいって浮かぶたびに
じわじわ
黒くなってゆく。
小さいころから方々の海のある町に暮らしてきたけれど
こんなにも海に通い
海にまじった夏はない。
ああ夏や
さて、
大阪の EDANE さんより
八月の展示 NEXT DOOR のテーマが
「オイリュトミー」
ルドルフ・シュタイナー へのオマージュ展
であるということと
その展示中に流す音をつくってはくれまいかしら
というお話をいただいた。
なんとも奇特な、
そしてうれしくありがたいことである。
早速、録音をしてお送りをした。
窓全開の我が家で録音をして
だから
蝉、鳥、虫、猫、飛行機、近所のおばちゃんの声、
郵便屋さんの音など
夏の、ここのあらゆる音が一緒である。
なるたけここを
からっぽにして
頭や意識とは離れ
なってくる音をそのまま
声とした。
結びには娘と
シュタイナー学校でお誕生日に唄ったうたを
輪唱する。
自分のなか、大事な部分をとおって
かたちになったものは、
なにかに似せてつくったものでもないし
どこかでみたことがあるものでもない
誰かにとってこれがいいのかどうなのか
もはやわたしにはわからなくて
どぎまぎしながら発送する。
幸い、気に入っていただけたようで
ありがたく
ほっとしている。
んなことより
この展示
このテーマに
実にすばらしい方々が参加していて
そこはおそらく想像をとびぬけていると
おもう。
そこにこの音が流れていることを想像すると
ちょっともうよくわからない。
これは
ほんとうのことだろうか、と。
お近くへ行かれる方
ぜひ足を運びその扉をあけてみてください。
ひそやかな隠れ部屋のような
不思議な魅力をもつ場所に
みえるもの
みえないもの
かたちあるもの
かたちなきもの
ひっそりと息をしてひかり、
生きている。
交感しあう。
・・・・・・
EDANE NEXT DOOR
EURYTHMY
hommage to RUDOLF STEINER
2016/8/5(fri) ~ 8/28(sun)
12:00am ~ 6:00pm
/EXHIBITOR
林 青那 Aona Hayashi
吉田 次朗 Jiro Yoshida
WELT
EDANE
大阪市住之江区浜口西1-2-8-B 210
06-6569-9460
http://edane.net
・・・・・・・・・・・・・・
なるものはなる
ならないものはならない
なるときになる
なるようになる
そしていま、いまは
ここで
たったの一度きり
夏のなかをゆく
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