
この季節は
(去年もだったけど)
どーーーーんと
いっかいかなりそこの方までいくんだ
いっかい
なーーんにもわかんなくなるとこまでいっちゃう
いみとか
りゆうとか
そういう
しがみつきたいもの
そういうものがいっぺんくずれるんだ
ああ
なーんにもないんだな
ほんとうは
っていうとこにいく
ただいきて
ただしんで
ただかえっていく
だけなんだ
それはむなしくもあるんだけど
でもそれでも
いきて
いくのよね
おわりは、こちらの決めることじゃない。
それだけはしってる
すごく
しんぷるで
ざんこくで
でも
たくさん
あいもある
それもほんとう
それをちゃんと
みてもいい
ちゃんとかんじてもいい
んだな
やさしいのもひかりなのも
ほんとうなんだ
なーと
春めいてくるこの道端でおもう
わかってはいるけどさ
ほんとうに
せかいは
じぶん
次第なんだ
せかいは
きっと
ひとのかずだけ
ある
昨日からここは
鶯がなきはじめた

わたしが ここに いきているいみ
わたしが ここに うまれてきたいみ
いみ なんて ないよ と うみはいうんだ
いみ なんて あとから いくらでもつけられる
それは ほんと とは すこしちがってる
ただ うまれて
ただ いきて
ただ いつか かえってゆく
だけ だとしたら
わたしは なにを
なにを よりどころとして
なにを して
なにに いきたら
なにに きょうのひをささげたら
いきを したらいいんだろう
わたし は にんげん
このせかいに
この よに いきていること そのものが
ただ こわくてこわくて
ただ もうさびしくて
もう きえてしまいたいと
おもう
それでも
それでも
わらって
あるいて
たべて
ねむって
おきて
わらって
はしって
ごはんをつくって
うみみて
ゆうやけみて
きょうのひをいきているうちに
ほんとうに
わらったり
ほんとうに
なにか
ふれたりすることが
あるんだと
わたしはしんじる
はる
このきせつはとかく
そこへそこへ
いちどおりてゆく
そのらせんはきっとまた
しずかにまた
うえへうえへ
のびてゆくから
きっとだいじょうぶ
だいじょうぶだって
しってる

ゆきがふると
身をふるわせて
それをなるたけ家の中から
眺めるものだけど
ゆきのなかを
がっこうからかえってきたむすめは
傘もささないで
ふるゆきのなかを
頬をあかくして
めをまるくして
うれしそうに
くるくるまわったりして
そこにいつまでも立っていた
わたしもずいぶんといまだに
子どもじみているとおもっていたけれど
ああ
ほんもののこどもとは
こういうのなんだなとおもう
まどのそとがとても
眩しく
うつくしくみえた
さてさて二月
a story of Feb.
のおしらせです。
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2017.1.27 (mon)
a story of Feb.
小さなものがたりとうたの会
長田 弘
「 人はかつて樹だった 」
am 10:00 ~
at cibo (葉山・上山口) → ●
place charge 1,000en (お茶とお菓子つき) + donation
わ
になって、
めにはみえない音、声、ものがたりに
みみと
こころ
からだをほどいて
ひらく。
二月の物語は
長田 弘さんの詩集
「人はかつて樹だった」
昨年の一月にも長田さんの詩を読んでいて
その頃
町の図書館で手に取ってひらいたこの詩集を
その場で立ったまま
読んで、
目の前が水でいっぱいになって文字がよくみえなくて
あごから水が
したたり落ちていたのを
覚えている。
いつかまた長田さんを
と、
そのときにはこれを
と、おもっていた一冊です。
いくつかのおとやうた
朗読のあとは、
母音を手がかりに
ご自身の声で
内面に、深く潜り
自分自身をととのえてゆくような
声のワークもおこないます。
わたしとせかいがひとつであるような感覚を
共振、共有してみたいとおもうのです。
おしまいには
cibo の主 みとなさんお手製の
美味しいお菓子とお茶を
しみじみいただきながら、
シェアリング
ようこそおいでください
* お菓子のご用意がありますので
可能な限り事前にご予約をいただけるとありがたいです。
satomikan_y@yahoo.co.jp
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あるいていてふと
沈丁花や
オオイヌフグリを
みつける
空気はつめたいけど
はるは
かくじつに
ここへうごいてきている
いや
ここが春へと
動いていっている
二月のお菓子はどんなかな
たーのしみ
ときは雨水から
啓蟄へむかうころ
お待ちしております

むすめ
15歳となる
そういえば
一見、おとななみにおおきくなった
わけで
それはつまり
こんなわたしが 母 というものになって
15年
ということになる。
ちっともすばらしい母でないので
とりあえず謝る
そして
そんなわたしの傍らに
誰よりも近くにこれまで
そう、15年間
ともにいてくれて
ありがとう
ここへきてくれて
ありがとう
と伝える
わたしのことばは
いつもまあ同じようなことで
だからむすめには
ちっともぴんとこないのじゃないかとおもうのだけど
いつか
わたしがいなくなったときにふと
思い出して
すこしでもそれが
なにか、心をささえたり
あたためるものだといいなとおもう
ほんのすこしでも
おもうというか願う
ねがうというか祈る
それよりもっと
おもうのは
ねがうのは
いのることは
きみが
きみらしく
いちばんにのぞむことを
えらんで
そして
なにからもほんとうのいみで
自由
であってほしい
ということ
いつでも
どこでも
これからさき
もっともっと
このせかいにたったひとり
一度きりの
この人生なのだから
おもいきり
やったらんと
もったいないがな
びくびくも
きょろきょろも
おそれも
不安も
ためらいも
おさえることも
なんにも
必要ないんだよ
あふれるまんまに
そこにそう
すなおにそのままあればいい
その自由を
誰しもがきっと
もっている
そうそれは
わたし
もおなじなんだ
さあ、
お誕生日
おめでとう
あいしているから
おもいきり
生きなさい
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