新しく年の明けて早々
一月八日
鎌倉山にて唄う
場、機会をいただいた。
HIMMEL
SHIDHE さん
これまでも大阪、葉山、鎌倉山にて音の場を
ご一緒させていただいたことのある
葉山時代から、もしかしたらもっともっと昔からの
佳き、深きご縁のある方、ご家族。
この度は鎌倉山、
HIMMEL のあたらしいアトリエにて
それはそれはうつくしい、魔法のような空間を
しつらえてくださる
ひと足、踏み入れ呼吸をするだけで
解けてゆく
ご一緒するのは
Kenji Kihara さん
親友、Sunshine to you! 木原佐知子ちゃん
(冒頭の写真も彼女が撮ってくれたもの)
のパートナーでもある彼、
Kenji KIhara の創り出す音、空間は
その人柄、声音と等しくやはらかく、心地よく、
なんとも彼独特の世界を描き、包み込む。
以下、
HIMMEL shidhe さんによる言葉
告知文を引用させていただく。
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2022.01.08
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うみとなる
nalu + Kenji Kihara + HIMMEL
13:00- / 17:00-
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naluのうたとことば
Kenji Kiharaの音
HIMMEL の空間
あるひびきが
ただよっていく
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うまれるなみに
わたしたちは
ひとつとなる
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2022
はじまり
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歌い手 nalu(yamada satomi)さん
音楽家 Kenji Kiharaさん
わたしたち HIMMELとの
パフォーマンスライブを開催いたします
nalu は風のようなひと
野性の植物のように
まっすぐな美しさと強さをもった
私たちにとってはじまりの人
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7年前、わたしたちが
葉山に移り住んで、彼女に出会い
nalu の歌声に導かれるように
新しい物語がはじまった
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こちらと向こう側の境界線を
往き来するような声と響き
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透きとおるその唄のようなものは
波となり 深い記憶にふれて
私たちのたましいを揺らす
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2020年 葉山から
彼女は高知へ
わたしたちは鎌倉山へ
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高知の大きな海の側に移ったnaluから
どんな響きがうまれてくるのか
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今回、ふたり友人でもある
音楽家の Kenji Kiharaさんが
naluの響きに寄り添うように
音を奏でてくれます
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Kenji Kiharaさんが奏でる音は
空間の質が変わっていく
透明に、より細かくなっていく
素晴らしい音楽家です
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以前に、HIMMEL の展示のための音楽
"Tone "もつくってくれました
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おふたりとのコラボレーションは
わたしも、待ち望んでいたもの
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わたしSIDHEも、音を奏でたり
夕方の会では、
空間に映像を映していきます
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2022のはじまり
この特別な時間をご一緒しましょう
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2022年 1月8日(土)
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うみとなる
nalu + Kenji Kihara + HIMMEL
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昼の会 13:00-15:00
夜の会 17:00-19:00
※終了時間は、前後いたします
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定員: 各会 15名
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料金:
昼の会 5,500円
夜の会 6,000円
(1ドリンクつき)
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※当日の混雑を控えるために
事前のお振込とさせていただきます
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場所: 鎌倉山 HIMMEL
※鎌倉駅からバスで約20分
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お申込みは
下記の項目をご記載の上
himmelschule@gmail.comまで
メールにてお申込みくださいね
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こちらのアドレスから返信いたしますので
メールを受信できるようにお願いいたします
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1.「うみとなる」と件名にいれてください
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2.お名前
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3. 人数
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4.電話番号
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(以上、引用)
より あたらしくなってゆく
より 自由になってゆく
より すなおになってゆく
そこにはもう
ほんとうのことしかない
わたし、わたしたちの
みなもとへと
この場、この機会をいただけたこと
深く、感謝して
心よりお待ちしております。

りゅうりゅう
と、その龍はこたえる。
お水をたくさんのみなさい
と、いうことなのでその日から
わたしはつとめて水を飲むことにしている。
朝、沸かして水筒につめるのも
これまで永らくお茶であったが、
お白湯。
そういえば、娘は
日本の美味しいお水がのみたい
と云ってかえってきた。
ちょうど六甲山の湧水を沢山汲んできたばかり
だったのでそれを、
ごくごくのんだ。
ごくごくごくごくのんで
あっという間に空にした。
残念ながら家の水道水は浄水器を通しても
さほどおいしくない。
日本の、美味しいお水がのみたいなあ
と云う娘に
なに、水を買うような習慣美学はうちにはありません、と
ケチなことを云ったものだ。
娘は白湯をのんでいる。
水の美味しい処へ出かけると、
わたしが
この焙じ茶美味しいよ
といってすすめてもかまわず
コップの水をごくごくのんでいる。
そういうことだったか
先日、奈良からお客さまがあった。
彼女の水筒の中は水だった。
このひとはお水をごくごくのんでいるな
とおもったら、
ふとお風呂上がりにある方の
インスタライブの話をしてくれて、
夜、ふたりでそれを観た。
その方が云う
どの人にもたいてい一匹
龍がいる
共にいる
だから
その子に名前をつけてよんでみてください
または
その龍自ら名乗ってくれたりします
と。
そして
今、せかい中に満ちる沢山の龍たちのする
お役割、お仕事の助けとなるように
つとめてお水をのんでください
と。
それをきいて
ああ、だからこの子たち
わたしの周りの若き
感性、アンテナの優れた彼女たちは
やたらとお水をのんでいたのか、と。
そして
わたしも以来、つとめてお水
この頃は寒いので正しくは白湯
をのんでいる。
すなおなものである
いや、鵜呑みしてそうするではなく
それが、なんだか腑に落ちたからである
そして
そうしてみるとそれが気持ちいいなと感じる。
そういえばかつては
白湯ばかりのんでいたこともあった。
出会う人やともにするその習慣によって
己の毎日、その当たり前も変化し固定化し
いつの間にかそのことに
疑問も抱かなくなるものだ。
無論
お茶が、悪いわけでない。
友人いはく
お茶や珈琲はお愉しみみたいなもの
なるほどなるほど。
普段、わたしはどなたかの発信や映像、
SNSの類いもほとんど観ずに暮らしている。
そんな隙間がないからともいえるが
まあ
自らと、そのまわりの
海や山や木々、風、身体感覚そのものや
それらとやりとり
するだけで日々は完結しているともいえる。
けれど時折、
こんなふうにして外からの風が舞いこむ。
その
必要なとき、必要なことがやってくる
そういうことの有り難さと
おもしろさ、このせかいのおかしみを
感じている。
そういえば
奈良からの友人はこの年夏至の頃
奈良を訪れたときに再会、お世話になり、
奈良の奥、
奥熊野といわれるあたりを共にめぐったのであった。
そのとき訪れたのも
まさに
龍ばかりの旅
だったなや。
日々、
わたしたちはひとつだ
なにもかもとびこえ、
なにもかもひとつだ
冬至へ向け
佳き日々、一日一日を
最大限あるいてゆけますように
つと見上げれば白い月
沈みゆく今日の日のひかり、
空には悠々とたゆたう
龍たちが居る

ここは
おひさまのひかりが
つよい
夏はそれにより
どうしたらよいかわからなくなるほど
あつい一寸もあるが
秋夏入り混じる日々をゆき
いつのまにかの冬
その光
そのひかりのありがたさを
しみじみと感じ、受け取りながら暮らしている。
うちには目覚まし時計はなく
目が覚めた時が起きるとき
であるので、
息子は自然と太陽の上る頃に目を覚ます
裏の節子さんが日々決まって6時半に庭の洗濯機を回し始めるので
ああ、こんなにまだ暗いのに朝かいな
そろそろ起きなくてはなと思いながらも
ぬくぬくの布団にぬくぬくの息子
そのこうふくから抜け出せずにいる。
ゆえに、わたしも大概
お日様と同じに起きる
むろん冬には遅くなる
朝日が部屋を橙色に染める
そのきれいな光を家中に取り込むべく
カーテンをあける
この瞬間が好きである
温い息子を抱え便所に連れていきながら
今日のぼりたてのおひさまに挨拶をする
おはよぉおおーーーーーー
と、
両手広げて身体にひかりを浴び、膨らます
いつのまにか息子も
おーーーーー
と隣で言っている
二階は東向きの窓からまともに朝日がさし
ひかり満ち満ちているのに構わず
たいてい娘は眠り続ける
若いってすごいな
ちょっと別の生き物だな
と思う
思いながらも二階に行ってカーテンをあける
息子
姉のぬくぬく布団にふたたび潜り込み
しばらく遊ぶ
その間に
わたし
朝の所作、支度を順にとりおこなう
湯を沸かす
飯を炊く
今は亡き祖父母におはようを云う
神棚らしきものの水を取り替える
スワイショウを153する
真ん中、せかい、わたしに宣言、感謝、問いかけをする
地球歴を動かす
笛を吹く
朝飯の支度
しながら息子に果物
着物を取り替える
朝ごはんを食べて
保育園に息子を届ける
‥‥‥
などと順序入れ替わりながら続くが
わたしは朝のこれらひととおりのときが
深く好きである
この頃は
娘が出かけて不在のため
また少々趣も違ってくるが
それはそれでよく
どの日どの朝もうつくしく、ありがたい
窓からは
海
青々と波
海面に照りひかる
もうひとつの太陽
そのせいか
洗濯物もよく乾く
波音
風音
通りを走る車の音
カラカラ手押し車を引くヨネさんキミさんヨシコさんの歩む音
鳥の声
空横切ってゆく翼の音
波の音
波の音
青い
さまざまの
横縞の青い海の線
こちらへ寄せ
寄せては返す
波の線
たおやかな
太陽ととも
いま
生きている
一年で最も日が短く
暗く
闇の、濃くなるこの季節こそ
わたしの太陽
わたしのなかのお天道様
ひかり、
灯火を
赤々と燃やす
また
その火の鮮やかに、ここにあることを
意識し
それ
いとおしみ
天の太陽と呼応させ
やすらかに
ここに居よう
今日の日を
余すことなく
生ききろう
夕暮れには
外へ出て
お日様を見送る
ありがとう
また会おうと手を振って
暮れてゆく空の色
ひかりの粒、一番星
それらに深くお礼を言って
温かい飯を食い
温かな湯に入って
それぞれの
今日の日に
静かに幕をおろして、眠る
眠るのです。

いつからなのか数ヶ月、
とんとここからはなれ
ことばからもはなれておりました
そのあいだ
夏の終わりに娘、
ひゅるりとこちらへ還って来
海の遥か彼方へこえを
想いを飛ばさずともよくなった。
むすめとむすこ、わたし
束の間の三人暮らしを営んでいる。
それぞれに、
雑に四捨五入してしまえば二十ばかりずつ歳が離れているゆえからか
でこぼこもして風変わり
なんだか有り難くも面白い。
かくも初孫とは特別に愛おしいものであるのか、
頑なに時節を気にしてこれまで一度もここへ来なかった父が、
母とともに先日、こちらを訪ね一週間ばかり滞在してくれた。
小さい頃、
父親が怖くて苦手であった
そんなこともすっかり忘れていたけれど
ここへ来て、
子どもらしくだだをこねる息子に向かい
物凄く怖い顔をしている父を見て
そのことを思い出し、
そりゃそうだ、とおもう。
そりゃそうだ、は
かつてのわたしに同感するのである。
むすこはあんなに怖い顔の爺さんに
じいじ、じいじ
といって怯まず懐いて追いかけ回し、
わたしはそれを有り難く、
そしてひやひやしながら眺める。
ここ数年、
あまり行き来もないうちに
父の顔は驚くほど険しくなっていた。
そして実にせっかちである。
それが年齢のせいなのか、
外へ自由に出られないという風潮時節も相まってなのか、そして
かつてのように、なのか、それをも増して、なのかもはやわからない。
わからないけれども、
父には、笑っていてほしい。
笑わずともせめて、
穏やかな、心安らかな顔で日々を生き
今に、居てほしい。
父の奥底、ひかる魂のため、
その傍らに暮らす母のためにも。
この滞在中に誕生日を迎えた父にふと、
このあたらしき一年の抱負を訊ねる。
迷惑をかけず、元気に
健康でいたい。
という父の宣言祈りのなかに、
わたしから
「にこにこしていてほしい」
という注文をひとつ、加えさせてもらった。
そしてそれは、その父の姿は
わたしの鏡でも、あるのだろうとおもう。
娘が帰国する前、
それよりずっと前
たとえば一年前の今頃のわたしは
今より遥かに余裕がなく
心にも精神にも体力的にも余白がなく、
いつも怖い顔をしていたとおもう。
息子は
それを
毎日いつも、みていたのだとおもう。
いまだから言える。
いまはこころからやすらかで
へいわのなかにある
それは
あらゆることがおき、
あらゆることがゆすぶられ、
わたしのなかの
あらゆるものたちが
ふるえ
ふるえているからかもしれない。
でも気をつけよう
いつでもその境界線は淡やかにそこにある
意識を向け、
背骨に問うて
こちら側へいる
それを選ぶ
父にはわらっていてほしい
母にはたのしんでいてほしい
娘にはあんしんしていてほしい
息子にはのびやかであってほしい
わたしにもおなじ
すべてのひと
すべてのもの
すべてのことが
おだやかにやすらいで
ふくふくとあってほしい
いまの
しゅくふくのなかに
あること
そのことに
気がついていてほしい
それはとおくかなわぬことでなく
たりないのでもなく
ここに
いま
みられるもの
くうきのなかにちらばって
いつもわたしたちをくるみとりかこむ
そんなものたちで
このせかい
わたしたちは
みちている
みちみちている
謝謝
ありがとう
そう、
ありがとう、だ.。
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