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  日々、ミカンのこと                 

nalu

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20220120105647dae.jpg


一月の旅、ライブの余韻
そのつづきである

冒頭の写真は
HIMMELの’ula さんが撮って下すったもの。
昼の会は
お日様の光 満ち満ちて
お庭の木々植物、そして雪だるま
白いひかりの中にいるような
やはらかな午後だった

また
夜の会は
蝋燭の灯りゆらめき
闇の中にすっぽりと包まれて
SHIDHE さんの声や音も交じり合い
まるで
銀河ステーションの中にいるような
一寸も紛れる
不思議な夜だった

特別な一日であった

この夜の部の終わりのほう
蝋燭の微かな灯りを頼りに読んだ言葉たちも
ここへ残しておく。


ーーーーーーーーーーーーーーー


雨が降って
家に帰ると
外に干していったはずの洗濯物が
取り込まれている

庭からそれ見上げて
ほっとする
そして
えみさんの家の方を向いて
お辞儀をする

ほっとする

急な嵐となった日も
思ったより帰りの遅くなった日も
そんな風にして
助けてもらう

二階の部屋には
丁寧に洗濯物のハンガーやタオルが
かけてある
それを見てまた

ありがとうを
二階の窓から飛ばす

聞こえなくても
見えなくてもいい
会った時そのことを暫く忘れていてもいい

それくらいに
安心していられるのは
どう言うわけか

そんな風
家族みたいに
いやそれ以上に
深いところで助けてもらう
私がここで
息子と暮らしていることそれ全てを
そのまま包むようにして
暮らす
隣近所の人たちがいる

それぞれ高齢で
人生の様々を経てきているからか
ごく普通からはみ出した
少しくらいの変なことや
時におかしなこと
余裕なさすぎて失礼なことさえも
おおらかに流し
笑ってくれる

ここから見渡せる
海みたいに

それがどんなにありがたいことかと
時にしみじみ
涙ぐむ

息子はヨネさんの家に上がり込んで
フカフカの回転椅子に腰掛けて
ヨネさんとテレビを見ていたりする
だから私も
ちょっとした家の用事を済ませてから迎えにゆく

お仏壇のバナナを勝手にとって帰ってきたときは
さすがに叱って謝りに行くと
うちの子はもっと悪いことようけしたし、
ここらの子も散々そんなことしよったけんど
みぃんなええ子に育ちゆう
ほなからそない叱らんでも
安心しい
大丈夫やからと
バナナトマト息子の好物を持たせてくれる

どこまで甘えとんねん
と言うくらいに
ご近所さんには甘えている
私がである

そやって支えてもらいながら
生きている
息子もすくすく育っている
いつの間にか
土地の言葉を話すようになった

格好つけなくても
構えなくても
緊張しなくても
いい子ちゃんでなくっても
へいき

波の音がする
波の線が見渡せる
少しだけ高台の
小さな集落に
私たちは暮らしている

きゅうりをもらったり
大根もらったり
枝豆配ったり
草刈り機借りたり
一緒に夕日を見たりしながら

ここへきてよかったと
心の底からおもう

はるなつあきふゆ
春夏秋冬
はるなつあきふゆ
春夏秋冬

それぞれの
うつくしいものを
うつくしいと
うれしいことを
うれしいと
愛おしいことを
愛おしいと


でいられることの幸福を
しみじみ思い
感じ入るのである

空が青い
月が眩しい
風が強い
水面が滑らかである

蛇がいた
虫が飛んだ
鳥がなく
猫が歩いてゆく

笑いながら手をひらひらふる
畑の人参を引っこ抜く
朝顔を見にゆく
台所に漬物が置いてある

朝、保育園へ息子を送っていく
たいてい時間ギリギリなのであるが
最初の角を曲がるとき
大家である長谷さんが犬の散歩へ出かけるところである
息子の座席の窓を開けてやると
長谷さん、いってきまーす
と言って息子、手を振る
いつもは少々硬派な長谷さんも
顔の横で愛らしく手を振っている

坂を下る
下りながらこの全てのことが愛おしく
ありがたくてならず
涙ぐみながら
ハンドルをきる

今日も保育園は少しばかり
遅刻である

私は今住み暮らすこの街を
気がつけば泣いてしまうくらい
愛している

ジュテーム
ウオ アイ ニー
サランヘヨ

生きているって
素晴らしいなとおもう
死者も聖者も私たちもみなおなじ
ここに
いま
ひとつになる

ここに
いま
ひとつである


ーーーーーーーーーーーーーーー

      2022.1.8 HIMMEL うみとなる night time




この企画の打ち合わせを
三人でおこなった最初のとき、

一本の映画を見るような
時間にしたい

と、SHIDHEさんがいった。
全てのものごと、ここに居合わせてくれた人々
全てが作用し、混ざり合って
なんだか気がつけば
そんなトキとなったような気がする

そのことにも心から
感謝申し上げます。  


この日の二日後
娘は成人式を迎え
彼女の希望により
この町、葉山での式に参列した

朝、着物を着付けてもらった晴れ姿を見て
想像してたより感激してしまい
我、泣いていることに驚くと
ママはいつもそうだったでしょ
と、娘に笑いながら云われる

私の時は大した感激も支度もなく
なんとなく成人式を通り過ぎていたもので
こんなふうにして
あらためてこの晴れの日を迎えられたことに
また深々と
感謝、感激す

なにもかも
なにもかもに
ありがとう
ありがとうございました。




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謝謝 

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20220120105630186.jpg


数日間の
久しぶりの葉山、鎌倉滞在を終え
帰ってきた。
出発前日に大雪が降り、世界は真っ白
久方ぶりの富士山へもご挨拶ができて
まだその夢から覚めないような
佳き
こうふくな日々であった

一月八日
鎌倉山、HIMMEL での唄の場へお越しいただいた方々
本当にありがとうございました。

前日の雪でバスの運行も停まってしまい、
不自由な中を遥々、
どなたも欠けずにいらして下すったこと
懐かしいお顔
初めましての方
うつくしい場へ暫し集い
あの時を共有して下すったことに
心より深く
ふかくふかく
御礼申し上げます。

ほんとうに貴重な
しあわせなことでした
私にとって
この上ないことです

あの場をひらき整え、しつらえて下すった
HIMMEL のSHIDHEさん、'ula さん
そして野衣くん。
会場のお手伝いを細やかにして下すった
nonaさん、木原佐知子ちゃん、マイコちゃん。
駆けつけて下すったみなさま。
打ち上げのケータリングをしてくれた
野菜料理めい さん。
(ヴィーガン韓国料理、美味しかったぁ)
そして
ライブをご一緒してくれた
Kenji Kihara さん。
けんちゃんの音が
あの場にフワーっと漂いはじめるだけで
心から安心して、いられることができました。
このすべてを用意してくれた
HIMMEL 、SHIDHEさん。
なにもかもに
本当にありがとう。
ありがとうございました。

御礼、その余韻は尽きないけれど

あの日
声にのせて読み上げた言葉たちを
ちょっと長いけど、
ここに
残しておく。


ーーーーーーーーーーー


里美ちゃん
は、私と同じ名前の友人で
この街、鎌倉に住んでいる。
住んでいた。

里美ちゃん
とは、共通の友人を介して知り合って
その友人は彼女のことを
鎌倉の里美ちゃん
と呼び、
二人の里美ちゃんは私にとって、姉妹みたいやわあと
その人は言っていた、ことを今思い出す。

里美ちゃんとは
ばったりと出会う。
ある日はまだ小学生くらいだった娘と一緒に行った
鎌倉文学館で。
ある絵本作家さんの展示を見に出かけた先だった。
あの頃、確か、里美ちゃんは二人目の子が産まれて間もなくて
まだ小さい赤ん坊の女の子を抱っこしていた
ような気がする。

私の娘と、里美ちゃんの長男は、同じ歳だ。
二人とも、今年成人式を迎える。

またある日は
鎌倉駅のすぐ側で。
私は確か、息子がお腹の中にいて
久しぶりに再会した里美ちゃんと、互いの近況報告を
立ち話して
その後、数回重ねて会った。
里美ちゃんと待ち合わせして会ったのは
その時の二回、ほどだったか。

彼女の夫の営むバレエスタジオで
空いている日にスペースを借りて一緒に何かしよう
と、話した。
私が唄をうたって、何か朗読して、
みんなで声を出すようなことをしたいなというと、
私も読みたいな、と里美ちゃんは言って
二人で何を読もうか、
と相談したのは暖かな室内、外は吐く息白い
冬だった。

私のお腹はぱんぱんに膨らんで
息子が出てくる頃になって、
産まれたら、なるたけ早く、
そんな輪を、場を、もちたい、と話して別れた。
あの時、二人でホットチョコレートを飲んだっけ。
そのお店はもうなくなったよ、と先日娘にきいた。

私が自宅でこの大きなお腹の中にいる子
この子を産むこと、
そして、私が婚姻していない上
住まいも別々、事実私は一人暮らしで
そういう環境関係のまま出産を迎えること
そういったことを確か、
里美ちゃんはうつくしい眉根をちょっと寄せて
心配してくれた。

私は
よくわからない空元気のような
大丈夫、を言いながら
里美ちゃんの大きな、いつでも潤んでいるような
綺麗な目を見ながら、
こうして心配してくれることに
小さく救われるような
なんとも言葉にし難い気持ちになった。

そして、
何につけ楽観的な私は
産まれてすぐにでも
その場
里美ちゃんと二人で試みる
女性たち、母たちの集う小さな歌や言葉の場を
開けるだろうと思っていた。

里美ちゃんは
産後は想像以上に余裕もないから
無理はしないように、といってくれた。
大丈夫、もっとゆっくりだっていいんだから、と。

里美ちゃんはタフだねえ
そう笑いながら、見上げるように里美ちゃんは言った。

忘れていたけど
産後の赤子との日々は、そんな生やさしいものではない。

余裕もなく
慌ただしく、
毎日必死で、試行錯誤
時間も日にちもよくわからない
そうこうしてのち
息子とのびやかに生きるべく
私は葉山を離れ
四国へと居を移した。

それから一年半ほど経った。

里美ちゃんが倒れました
意識がありません
今夜持つかどうかわかりません

知る

私はおろおろしてから二階に上がり
波の音を頼りに
祝詞をあげる
その声の向こうに
里美ちゃんが見える
里美ちゃんへと続く、光が見える

そこでやりとりをする
そうしながら私は

ただ闇雲に帰ってきて
とだけは言えなかった

里美ちゃんに尋ねる

里美ちゃんは?
里美ちゃんの魂が
今ここを旅立ってゆくことを望み
それがあなたにとっての最大のお祝いであるのならば
私は最大限
それを祝福する

でももしも
それが今でなく
ここへ帰ってきたいと思ってくれるなら
帰ってきて
それに何か必要なら
私は最大限それをする

里美ちゃんの魂にひかりを送る

そのことを、
あのときどれだけ多くの人が試みて
いただろう

里美ちゃんは
愛する家族に見守られながら
その後の十日ばかりの間、奇跡的に命をこの世界にとどめ
そうして
クリスマスイブの日の夕方
ここから天へと還られた

この地上、肉体を離れて
あたらしい、次のところへと
進んで行った。


人が亡くなることは
決して悲しいことではない
その魂にとって、それは、その時とは
天から言祝ぎを告げられるように
祝福に満ちたことだ

少し前にある人がいうのを聞いた

聴きながら私は
ごく自然にそれに同意し、頷いた。

はずであった

のだけれども
こんなふうに
勝手に
震えていて、涙が出ていて、言葉が出ない
と言うことが私に起こるのだ、と知った。

ましてご家族
子どもたちの心の中は
如何程かと思う
それを思うとき
それは


悲しくないわけがない
そんなこと、わかってる

だけれども
だけれども
私は
里美ちゃんに
おめでとう、と言う

里美ちゃんおめでとう
あたらしい世界へ
行ってらっしゃい

そしてこの世界の隅々にまで
細かな細かなひかりの粒となって
里美ちゃんが満ちている
満ち満ちていて
話しかければ
すぐそこに
彼女の答えるのを感じることができる

だから
泣きながらでもいう
里美ちゃん
おめでとう
あなたに出会えてうれしい

あなたは
今もこれからも
この世界に美しく存在していることを
私は知っているよ

ありがとう
おめでとう
さようならは言わないよ


夕飯の後
息子を膝に乗せ、絵本など読み終えてふと
息子にいう

あのね
あのね
いつかね
いつかの時にね
かかが、私が、いなくなって
触ったり、
抱っこしたり、
ぎゅーってしたり、
匂いを嗅いだり、
声を聞いたり
てて繋いだり
することが、いつかできなくなっても
かかは、私は、
いつでもずうっと
ここにいるからね
うみの、すぐそばにいるからね
だいすきはどこまでも消えない
だから心配しないで
それだけはずっと、覚えていてね
わかっていてね


二歳と10ヶ月の息子に言う
言いながら
頬には涙が垂れていて
息子は
それを見て
たた、とティシューを持ってきて
その涙を拭いてくれる
そして
ぎゅーっと
私にしがみつく
包み合う

この身体
この命
いつか必ず
終わりはくる

そしてそれは決して
悲しいことではない

だって全てはめぐり
つながりあっている
前も後ろもなく
過去も未来もなく
入れ替わり自由自在に
今だけがある

ここ
この瞬間に
私は
どんな顔をしているだろう


この瞬間に
私は
どんな風でいよう

何もかもから
今を
私を
選択する

選び
続けて
いるのだ

ひかり
ひかり
ひかり
真っ暗闇を抱いた
内包した
ひかり

ひかり
ひかり
ひかる
ここ
この
私と
あなた

私と
あなた
私たちは

いつでも
どんな時も
離れず
また
遠く離れていても
見えなくても
さわれなくても
ひとつだ

そして
触れること
見えること
聞こえること
抱きしめられること

その素晴らしさ
味わっておこう

思う


その素晴らしさ
味わっておこう
と思う


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

        2022.1.8 HIMMEL うみとなる






      
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