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  日々、ミカンのこと                 

nalu

だいこん舎、ふたたび 

うたう、 |



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長野のかえり、
叶うならば福井に寄り
だいこん舎さんで唄えないだろうか

おもうた

だいこん舎さん
は、昨年
親友である ひら さんの展示会の折
初めて訪れ、唄の輪をかこませていただいた。
それはそれは
やはらかな
繭に包まれるような
しあわせなときであった

お蕎麦も至極美味しくて
息子と二日続けてそれをいただいた
それでもまだ食べ足りぬほどだった

またゆきたいなあ

ひら さんのおはからいと
だいこん舎さんのご快諾のおかげさまで
なんと
開催のはこびとなりました

まあ

お昼間と夕暮れ時の二回、
「だいこん舎」さん、併設お隣の美しい日本家屋
「洗心亭」にて
くるうり 唄の環を、かこみます。
お昼の会は、嬉しい絶品お蕎麦つき。


ことば、ことばでないもの
こえ、おと
木々のこすれ、鳥の囀り、風のとおりぬけてゆく
この一寸のなにもかもとひとつになる
このうえない
ここにしかなし得ないものを


………………


「ものかたりと小さな唄の環」

2022. 5. 20 (fri)

立夏、小満、蕎麦、丹生郡に於いて生るもの

昼の会 11:00〜12:30頃  ¥2,500+お蕎麦1オーダー
夜の会 18:00〜19:30頃  ¥2,500

場所/ だいこん舎 洗心亭 
福井県丹生郡越前町小曽原 120-3-20
soba-daikonya.com

ご予約・お問い合わせ
hn.hin1029@gmail.com

…………………

一年振りの美しい地、福井
山、川、田畑、海、木々、風、ゆれる
やはらかな美しいひとびと、
そして
だいこん舎のとびきり美味いお蕎麦よ
ふくふく、愉しみにしてまいります

この貴重なひととき
ご一緒できますれば
さいわいです

心より
お待ちしております。
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長野へ 

うたう、 |


20220502111057028.jpg



五月
長野、佐久を訪れることとなった

佐久には
いとおしい方々が多く居る

浦和で幾度か唄う場と機会をくだすった
älva home のおふたり
数年前より拠点を佐久へと移しておられる。

このたび
屋号を新たにし、
また
こつこつと改装して場を調えていたという
森の小屋
こちらでの期間限定の施術
その場びらきとして
森に住み暮らすいきものたちへの
ご挨拶として
唄い、声の場をもってほしいと
お声がけいただいた。

なんと
嬉しく、有り難いことだろう
わん

こちらはご招待制ということで
ご案内は控えるが
とても愉しみに
愉しみに伺おうとおもう。

屋号もあらたに
活動をしてゆく
いとおしいいとおしい
また
心から敬愛するおふたり
和美ちゃん、正観くん
のこれからも御注目
愉しみでなりません

ひふみゆ
https://hifumiyu.com/


ご縁って
不思議
ご縁
は、わたしのなによりこの上なき
誇りであり
財産だとおもっている

謝謝
16:32 |  trackback: -- | comment: -- | edit

謝謝、止心庵 

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大阪につづき
4月14日木曜日、四万十市
止心庵さんにて。


緑ひかる細い山道を上り
ご挨拶をすると
それはそれは隅々にわたり
美しく、清め整え、しつらえて
お支度してくださっていて
それにもう初めから感激す。

ここに
近くからも遠くからも
集い、この場と時を共有してくだすった方々、
まことにありがとうございました。

ここに住み暮らすようになって
程なくまる二年
その間、またそれに至るまでに
出会い、支えてくれている大切な方々
今のわたしを
勇気づけ、またこうふくたらしめてくれている
大事なご縁、この場、ひとびと、それらのいとおしい気配に
胸いっぱいにして
おりました

健児くんの歌ってくれた
「茶の間」も
素晴らしかった

すべてのこと
また
止心庵、そして美佳さん
お庭の蛙たち、木々花々、鳥たち、
当日お手伝いしてくれたじゅんじゅんさんとゆうきちゃん
ここでも音せかいを、心強くご一緒してくれた木原健児くん、
見守ってくれた木原佐知子ちゃん、
足運んでくだすったおひとりおひとりに

しみじみ深く
感謝して。

この日に朗読したことば
文章のひとつをここに
記しておく

(冒頭の写真は、じゅんじゅんさんが撮ってくだすった)


ーーーーーーーーーー


春分の日
熱が出た

春分の日、といえば
私の大切な友人夫婦の結婚記念日である
だから
というわけではないが

春分の日
わたしはこの日を
毎年 大事におもっていて
大切に過ごす

かつてひとは
春分の日
山にのぼり
日を迎え、日を見送ったのだそうだと
なにかで読んで
そうか
今年はどこか手近な山へでものぼるかと
むすことふたりぶんの弁当をこしらえ
さあ
そろそろ
でかけようかというころ

ふいに
ぞくぞくと寒気がして
おや
熱でもあるのかしらと
体温計を小脇にはさんでみると
まださほど高くはなく
なに微熱くらいである

けれどもこの寒気
一向ひいてゆく気配なく
怪しげにその存在を増してゆく
やや
これは

とおもい
ひとまず何故か二階へゆく
動けなくなる前にと
干していた洗濯物をとりこんで
この寒さをなんとかしのぐため
押入れから掛ふとんを引っ張りだす

それ
がばりとかぶって
畳にまるくなる
ぞくぞくする
とにかく寒い
おそろしいほどに寒いです

階下では山登りを心待ちにしたむすこ
ごきげんに遊び
暫くしずかである

ややして
むすこ鼻歌をうたいながら
階段をのぼってやってくる

あれ?
どこ?
ここなの?
と、むすこ
部屋中央の布団をのぞく

そこにはまるまった母親がいる
怪しげに震えて
言葉にならぬことばを
ぶつぶつとくりかえす
怪しげな母親が居る

どうしたの?
お山いかないの?
お山いこうよ
出発しようよ
おそくなっちゃうよ

けれど母
いやわたし
さむいさむいさむいさむいの
とだけようやく云う
次第に歯が がちがち言い始める
寒いので
ぶるぶるぶるぶる震えだす
寒いので
身体がぐねぐねして身悶える
寒いだけなのかよくわからない
息遣いが常軌逸して荒々しくなる
これはむすこにしか見せられない
身体のなかになにかが駆けまわっているので
これは
なんだ野生のイノシシとかそういう
動物なのか
動物がのりうつっているのか

本気でおもうほど
変な具合に身体が動く
そして
妙な
吠え声みたいなものが
でている
わたしの口から
身体から

そんな
おかしな具合の母をみてむすこ
わらいだす
さも愉快そうに
けらけらわらって足をばたばたする

たのしそうである
そりゃそうだ
おかしいものね

けれどこのたのしそうなようす
わたしには救いである

むすこ
笑いながらいとおもしろそうに
布団へはいってくる

お山いけない?
うん、ちょっと今はいけない
おべんとうは?
うん、今はちょっとたべられない
おなかすいたの?
たべてくる?
ううん、まだへいき
ここにいる

熱が身体をはしる
自分を自分でコントロールができない
勝手にふるえて
勝手に低いうなり声のよう
獣みたいに吠えていて
身体が勝手に動く
おそろしいほどに歯が痛い
それにともなって頭がずきずきする
割れそうだ


ふと
ああわたし
これは
死ぬのかもしれない

朦朧とそうおもう
でもそれは
悪い感じはしない
これといった後悔もないし
わたしは今至極しあわせである

さて
もしかするとあちらへいくのかもしれない
すうっと
そのときが来たのかも知れない
ふふふ
獣のようになりながら朦朧
そんなことをおもう

ただこのむすこ
この顔をこんなふうにして
間近で
匂いをかいでぎゅっとすることも
できないかもしれないのか
そうおもうと

ああよくみておこう

まじまじとむすこをみる

うみ
名前を呼んでみる
うーみ

その声音をきいて次第にむすこ
あれ?
とおもったのらしい

だいじょうぶ?と
いいはじめる
そうして
うみくんなおしちゃうけんね
といって
なでなでして
ぽんっ
となにか元気玉のようなものをくれたりする

そうやって暫くの後
わたしは気絶するように眠り
むすこもいつのまにか
隣でねむっている

目が覚める
あら
ひとは簡単には死なないらしい
熱はいよいよ上がりきったようで
そうなるともう
たいしたことはない

その後、
一晩で熱はさがり
その間
むすこは
わたしと一緒にやたらとたくさん
眠ってくれた
親孝行

春分の日
お山はのぼれなかったけれど
熱がでて
身体もいよいよ
春への支度がととのったのかなと
おもっている
ありがたいことだ

春は
いろんなものが
でてくる
それを
すなおにだしてやればいいんだなと
熱がでても
事故っても
人との間にかなしみが噴出して一寸泣くことがあっても
それでも
どこか長閑に
安心していられる

そのことに
それから
こうして生きていることに
それから
おもしろいむすこにも
謝謝
ありがとう
感謝感謝だ

感謝ついでに記しておくと
この熱はおそらく
このごろやたらと痛かった歯の神経が
いよいよ最期をむかえたときだったのらしい
その熱の下がった後
歯の痛みはうずくような感じに変わり

歯医者さんへゆくと
先生いはく
神経は死んでしまった
とのこと

まだ生きている神経を抜くのにはどうしても
抵抗があり
ようすをみていた
けれどもう限界
とうとう死んでしまったという

そうか
30 年以上共に生きてくれた歯よ
これまでほんとうにありがとう
ともに
実にいろんなものを食べました

そして
丁寧に治療してくださる先生よ
ありがとう
となんだか妙にしんみりと
感謝に満ち満ちて
その神経の死骸をとりのぞいてもらった

ああ
歯の最期をあんなふうに
しっかり味わえてよかった
ああ身体って
すごいものである
ああ愛おしいものである

そんな
春分の日であった

謝謝

          「熱 春分」 於 止心庵


ーーーーーーーーーー


この日、
手洗い場に活けられたキンポウゲ
その照りひかる黄色が
心にしずかに残っている

この上なき
ここ
土佐でのうたいはじめとなりました。





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謝謝、sewing 

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2022年
4月11日月曜日
数年ぶりに訪れたソーイングテーブルコーヒー
桜の花弁がひらひらと
風にのって
舞い踊り
新緑の原っぱに
ふりそそいでいた

懐かしいかお
はじめましてのかお
かわらず、
月日とともにますます
愛らしさを深めゆくこの場所に
足運び、集ってくだすった方々
まことにありがとうございました。

木々ゆれたゆたう庭の
うららかな春
薄曇りから青空
夕暮れてゆく色、ひかり、
すべてが終わる頃には月が
ぽっかりと照り浮かび
蝋燭のあかりをたよりに
言葉を交わし、手を振り、家路につく

しあわせなときでした
ここへ来られるきっかけをくれた
すべての方々
けんちゃん、さっちん、
そして
あたたかく迎え美味しい珈琲を淹れてくだすった
たまけんさん、えみさん
ありがとうございました。

この日の記録、朗読したことば、
ひとつの文章をここに記します

----------------


記憶力のおぼつかないわたし
ではあるが

Sewing Table Coffee

この場所のことを初めて知ったのは
ボタンとリボン という一冊のちいさな本で
ここに くりひろげられる世界の
あまりに
寛いで 愛らしく 子どものときもっていた
あの特有のきらきらしたもの
それでいて
おとなであるゆえの やはらかく おおらかな
そうだな
懐を、ぱっとひらいて碧空のしたで
原っぱの上を裸足で
スカートをひらひらさせて踊り、駆けているような
そうして
ぱっとねころんで
木々のゆれるのや草花の気配
ここにある鼓動、
このせかい全体を しずかに
見上げているようなかんじ
そう
想像 よりひとつ上の
天国みたいなところだ

その頃いくつだったのか
もう思い出せないけれども
いまより
ずっと若かったわたしは
そうおもった

なんて素敵なところがあるんだろ
なんて素敵なひとたちがいるんだろ
なんて面白い生き方があるんだろ
なんて面白いせかいが
このせかいのなかにあるんだろ

そう
わくわくしながら程なく
わたしは
このなかの一頁の写真に憧れるように
ウクレレを買った

でも後 その写真にうつっているのは
ウクレレではなく
バンジョーやミニギターであったことを知るのだが
そんなこまかなことはどうでもよい

そうなのだ
そしてその前だったのか後だったのか

その本を一体どこでわたしは手にしたのだったか
わすれてしまったけれど
とにかくわたしは唄を
どうしても唄いたいのだという衝動が抑えきれず
こぼれんばかりになったので
それをあるひとに唐突に打ち明け
バンドを組み
人前で唄をうたうようになった

そして数年後
それはほんとうに夢みたいだ
夢なのじゃないか
となんどもおもったのだが
それは夢ではなく
その憧れの場所
Sewing Table Coffee

唄をうたった
それはそれは
夢みたいな夜だった

アルプス
そうだ
山のかたちを模したケーキを在る方が焼いてくれて
それをみなで
半分泣きながら食べたのだった
むろん
うれしくて
こころと身体からそれが
あふれこぼれふるえながら

あれが
数えてみれば
おそらく 8 年前
そうか
あれから 8 年が経ったのである

その間に
さまざまなことが訪れ
さまざまな思い、出来事がそれぞれにわきおこり
泣いたり
嘆き哀しんだり
ひるひるに弱り果てたりもして
それでも
それぞれに生き

懸命に生きて
このせかいにとどまり

うみをみて
まいにちのようにうみをみて
自転車をこぎ

泣いたり
わらったり
たべたり
ねむったり
うたったり
寛いだり
緊張したり
浜辺をあるいたり
しながら
月日は流れ

そうするうち
あのときあんなにも
この世の生き方さえわからなくなるような
哀しみや
くるしみや
七転八倒
歯を食いしばって生きながらえたことさえも
ああ
なんだ
それぞれに生きていただけなのだ

ただそれぞれに
それぞれを懸命に生きていただけなのだ

そして
わたしには
それらがあってくれたからこそ
今があるのだと
あのときのすべてを
いとおしくおもうような
いや
ちょっとおかしかったなくらいに
ふふっと
わらいながら
ありがとうをいって
涙ぐんでいるような

そんな
心境って
やってくるものなのである

ああ
おもしろい
ああ
おかしい
ああ
生きているって
へんてこりんでかわいくて
ちょっときついとこもふくめて
なんて
すばらしいんだろう

おもう

ああ生きているって
すてきだなって
おもう

ありがとうって
あのひとにも
おもう

そのまわりのたいせつなひとたちが
いま
ふくふくとやはらかく
ユーモアのなかで
寛いでたのしくやっているといいなとおもう

そして
わたしは
いまも
うたを
うたっている
うたえている

こうして
こんな
すばらしいひとたちと
こうして
こんな
すばらしいばしょで
こうして
こんな
すばらしいせかいにくるまれて
うたを
うたっている

だいすきな
うたを
だいすきっていうか
なんというか

生きている
その
てっぺんのよろこびが
ここに
いま
こうして
うたを うたうとき

わたしのまわり
わたしの真中
わたしの身体
たましい
いちばん大事なところが
ふるえ
ふるえて
あふれあふれて
せかいのなにもかもと
ふるえあって
ひとつになる

どうもありがとう
どうもありがとう
どうもありがとう

なみとなって
ひろがっていく
うみとなって
そこにある
なみとなって
このせかいに
ゆるやかしずやかに
この波紋の輪は
ひろがり
およんでゆく

なみとなって
うみとなって
なみとなって
うみとなって
なみとなって
うずとなって
うみとなって
みずとなって
かぜとなって

きせつをめぐり
めぐりめぐって
このこえは

このせかい
このほしぼし
このだいちをふるえ
ゆらめかす
ちいさな
かすかな
たしかな
なみ
となる

うみとなる


「大阪 枚方 星ヶ丘 洋裁学校内
Sewing Table Coffee」

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息子は大阪の駅のホームで見た
南海線・ラピート
の姿に大興奮
その後、帰ってからも
自作のラピートの唄を繰り返している

ライブ後に連れて行ってもらい食べたお好み焼きも、
ニューアストリアのカツサンドも、
やろくの洋食も、
なんもかも美味しかった
 
車で横切りながら見上げた
太陽の塔も
美しく格好がよかった

嗚呼大阪、
深々
心より、感謝して。



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