
十一月十五日
於 / 山の裾 しつ
「土と草と風と人 自給的暮らしへ」
おかもとよりたかさん
お話会
-
この日、
午後のひとときを共にしてくだすったみなさま
真にありがとうございました。
この奇跡のように
あたたかな、希望に満ちた時空に
声を迎えてくだすった
おかもとよりたかさん
あやさん
佳織ちゃん
ともやくん
ほんとうにありがとうございました
〇
ひらひらと風にゆれる白暖簾
この日のために拵えてくれた、
杉葉で包まれた山の厠
日々、ふたりの手でなしえる
「しつ」
空間すべて
庭の木々、花、ぴよたち
とおりぬけてゆく風
ゆれる木枝とその音
天井に住むちいさきものたち
うつくしい創造の過程
また、いつのときも完璧なるせかい
はるばる遠路
おいでてくだすった
よりたかさん、あやさんの
それはそれは透き通るうつくしい瞳
また
よりたかさんの
まっすぐで明快、シンプルなお話に
自身のあゆみ
大切なことを
ひとつひとつ確認するように頷き
また
はっと息をのむ気づき在り
それらすべてが
やはらかな希望となる
にんげん
わたしたちの
あるいて佳いせかい
あるいて佳いみち
それは
窮屈や我慢、自他の破壊に満ちたものとは真逆の
こっち
後半のトークセッションがまた
素晴らしく
普段、訊くことのなかった
ふたりの根底に流れる水音
のようなものを
語らせる問いを
よりたかさんが引き出され
また
そのこたえを
ふたりの絶妙なバランスを
しずかに
むねいっぱいに
涙しながら聴く
うんうん
うんうん
頷いている
からだ
こころのなかに
まるく
あかるい
ひかり
ふるえて灯る
そんなさいわいに満つ
時空間
でありました
この
はじめに
声
ひびかせていただけたこと
それはそれは
しあわせなことでした
お集まりくだすったすべてのかた
心をよせてくだすったすべてのかた
敬愛するすべてに
感謝いたします
〇
ありがとうございました
帰り道
とっぷりと日の暮れた
夜の山道を
むすこの迎えに走る我が町までの道々
ほほには
あたたかな涙ながれ
あとからあとから
涙があふれた
しあわせとは
いきるとは
にんげんとは
わたしとは
これ
このふるえ
このよろこび
この
あたたかさ
なのである
と
謝
〇

この夏至のあたりから
唄う
ということに於いて
(おそらくそのほかすべてのことに於いて)
自らあくせく動き、決めてゆく
というリズムからすこし
離れてみている
風をいれ
ひなたぼっこするように
夏をしずかにすごした
(その間、何度もなんども熱をだしていたけど)
するとあるころから
ふわっと
あたらしい風がふいてくる
ひかる羽根のごとく
ふわふわと
てのひらに着地するように
それを
うけとる
霜月、十五日
四万十町に於いて
「土と草と風と人 自給的暮らしへ」
おかもとよりたかさん お話会
こちらでの場開きのように
唄う機会をいただきました
場をひらいてくださるのは
ゆまはれ / 佳織ちゃんと、
荒井智哉くん
ふたりの織り成す空間は日々、
素晴らしい感覚感性とリズムで進化し続け
毎度、お邪魔するたびに
こころからふるえ、感激する
それはそれは
うつくしい
ところ
四年前、葉山より移り住むことを念頭に
この地を訪れ
初めて佳織ちゃんの暮らしを垣間見たとき
わたしは
ひとが
こんなにもうつくしい暮らしの営みを
このせかいに
なすことができうる
ということに
ふるえた
その後も、此処へくるたびに
ことばをこえて涙がでた
それは
あたたかく歓喜した
わたしの細胞すべて
魂が
共振してふるえたからではなかったか
土や草木、身の回りにあるものから
暮らしのものを創造する
それは息をのむほどに
うつくしく
また
深いところがやすらぎ
いつかすべては
土へと還る
そのやはらかでゆたかな
いのちの営み
そんな
敬愛してやまぬ
おふたりと、おかもとさんの
トークセッションも在り〼
いつかお話を伺ってみたいとおもっていた
おかもとよりたかさん
はるばる高知、四万十までやって来なさる
そこへ唄を添えてはくれまいかと
感極まるお声がけ
しずかにふるえ、よろこび舞うて参ります
其の環、時空に声をなすこと
なせること
生きる喜びである
こんなうれしいことって
あるかしら
長くなりましたが
以下、ゆまはれ 佳織ちゃんからのご案内文です
…………
2023. 11 / 15 (水)
「土と草と風と人 自給的暮らしへ」
岡本よりたか さん お話会
於 : 山の裾 しつ
自給的暮らしを実現するための第一歩について
お話してくださいます
わたしたちの暮らしの場と
よりたかさんのお話
そして敬愛する唄うひと
nalu
もこの会の場で声を響かせてくれます
そして、此処に集う人たちと
どの様な共鳴が起きるのか
はじまる前から
とってもとっても楽しみな会
この場を公に開くのは
初めての試みかもしれません
詳細は
__yumahare__.
プロフィールのリンク
またはこちら → 〇
からご覧ください
…………
この貴重でしあわせな機会
ともに
のびのびと
御一緒できましたなら
さいわいです
〇

十月
まるで旅するように
駆け抜けた
その宝物のごと様々を
記録しておく
〇
Kasper 翌日、
新月
むすめむすこ、父母とともに
飛行機で高知へ飛ぶ
このエアーチケットは
父が 「まかせろ」 と云って
みんな分を出してくれたのだが
(母談)
私たちが富士山側の窓辺になることを
優先して座席を手配してくれた
(結果、父はひとり通路側であった)
おかげさまで
富士山は
雲の隙間から夢のように顔を出し
青に雪の冠を被り
それは
この人生一番うつくしい姿であった
我らは大はしゃぎで
父を席に呼び、せめて一寸
窓からこの富士を拝んでもらう
/
到着翌々日
むすこの七五三を祝う
こちらへ暮らしてから
とても親しく
敬愛するこの町の
加茂八幡宮に参拝
御祈祷をしていただく
浜辺近く、緑に護られ
真直ぐにのびた参道をあるき、
いつも集落のお祭りに来てくださる
太夫さん(神職のことをこの辺りではこう呼ぶ)が
祈りのことばを捧げるとき
美しく調えられた祭壇のむこうから
風がくる
何度も
なんども
この土地
八百万神々からの
祝福のごとき風
その風 清々しくうけながら
隣にちょこんと座る
数え五歳
羽織り袴を着た むすこを観る
ここ
わたしの傍らへ生まれ来て
ここまですくすくと
育ってくれしこと
それ当たり前でなく
奇跡のようなことに
胸いっぱいとなり
こみあげる
その後ろ
むすめ、我が父母、居てくれることの
有難さ
この日は実にばたばたと
着付けからみなの食事、一日の進行滞りなく
おこなえることに心血注ぎすぎて
むすこの晴れ姿とか、
この眼ひらき
わたしはちゃんとみて抱きしめたりしたのだろうかと
後になってからおもう
おもうが
いま思い返しても
涙ぐむような
実に佳き七五三の儀
一日であった
謝
〇
その四日後には運動会
ひと月も前から
「明日はうんどうかい?」
と、訊いてきたむすこ
待ちに待った本番の日
いつの間に練習したのか
歯の高い一本下駄ですいすい、
かけっこ、腕のフォームも
たくましい
(ちょっと前まで、両腕をのばしてぱたぱた走っていたのに)
リレーでは疾走
観覧席、こちらににこにこしながら
トラックから外れ失走…
そのハプニングに爆笑しつつ、
ダンス姿に泣いてしまい
むすめのときを思い出す
(むすめの行事はたいてい、ほぼ涙で目の前がみえなかった)
ああ
時はあっという間にかけぬけて
子はすくすく
みるみるうちに大きくなってゆく
それはきらきらひかる
眩しすぎて
愛おしくて
なみだがでる
これまでの日々の重なりがいっぺんに
記憶、わたしのなかをかけぬける
先生方の日々の努力、創意工夫、ユーモアを
競技ひとつひとつから感じ受け
これにも深く、感謝
〇
父母の滞在
十日ほど
その間
父に泣いて怒ったりもしたし
みんなに泣いて謝ったりもした
わたしは皆より
あきらめがわるい
生きているかぎり
ひとはひとである
こころをもった
にんげんである
その尊厳、たましいは
尊きひかりのようなもの
歳のせい
老化のせいにして
優しさ、思いやりの心を
わすれてほしくなかった
しょうがないなんて
わたしはおもえない
父は心根のやさしい
あたたかなひとだ
その尊さをなくしたくない
だから
父母とむすめ、むすこ
ともに
川へゆき
海へゆき
星を見上げ
雨にふれ
波にふれ
風にふれる
わたしのあいする
このうつくしいせかいを
たくさん
たくさん
あびてほしい
土の
海の育む
たべもの
いのちを
食してほしい
とはいえ
御猪口のごとき器のため
あちこちで
イライラもしたし
疲れ果てもしたし
寝不足になったりしたけど
まるごとふくめ
この時間は愛おしく
しあわせなものだった
はるばる来てくれて
ありがとう
この一連を企てくれたむすめ
ほんとうにありがとう
むすめはこっそりと云う
これでもね
じいじ、一時よりすごく佳くなったんだよ
笑うし、いい顔するようになった
コロナで閉塞された都会のなかで数年間
父の中の不安、おそれが
静かな檻のように父を包み込み
父の情緒、やはらかなものをこわばらせていった
無論コロナだけでない
ありとあらゆることが複合的にある
けれどこれ
このすべては
よりよい方向への道すがら
経過の途中である
だから
しょうがないなんておもわない
父は滞在最期の朝
わたしを呼び
凛とひかる目で
十日間、なにもかもをありがとう
と云った
云ってくれた
父、父なりに
わたしのリクエストに精一杯
応えてくれたことを
のちに
ひとつひとつ
おもいだす
最終日
空港に父母を送る道すがら、
かつて
三十年ほど前に、束の間
住み暮らした高知市内の社宅跡に
立ち寄った
私が中学生の頃
その一年半をここで
暮らした
ちょうど父母、今のわたしよりちょっと歳上くらいのことか
懐かしいスーパーに車を停め、
(このとき、後ろをぶっつけて凹んだがもはや気にしない)
みなで懐かしい道を辿る
時折、モーニングを食べに行った喫茶店
(今は違う店になっている)
ゆるやかな小川の曲線
初めて髪を切った美容室
家の前の石垣
(ここで巨大なカエルが春を前に出てきたことがあったっけ。
母はカエルに話しかけながら草むらへ帰してやっていた)
ああ
なつかしい
ああ
いとおしい
いっぺんが
それぞれのなかに
よみがえる
そうそう、
むすこが云っていた
みんなで手をつないで円くなればいい
というのをやりわすれていたので
ここで円くなる
残念ながら本人は保育所で不在だが
むすこは円の真ん中にいる
ということにして
(そもそも、これは
むすこが駄々をこねすぎて、みんなが険悪になった折、
どうすればみんながニコニコしあわせでいられるか、と
息子に問うたときのこたえである)
トキはながれ
ヒトはとしをとる
あたらしいいのちはうまれ
川のように
すべてはめぐり
変化してゆく
それは
きっと
まるごと
うつくしいこと
しゅくふくに
みちたこと
飛行機の時刻には
やや
ぎりぎりとなりはしたが
父の心配、軽い反対を振り切って
ここへ
立ち寄ってよかった
父は颯爽とあるき
母もうれしそうで
むすめは父とわたしが手をつなぐように
さっと促し
わたしたちは
円となる
謝謝
〇
父母見送りと入れ替わりに
むすめの学生時代、寮の先輩であり
素敵な友人が
やってくる
今は
沖縄の大学で美術を学んでいるが
来春から
高知へ来て
絵を描く傍ら、林業がしたい
という
彼女のことは
なぜか
寮の見学にて
初めて出会った時から
まあ、これは、すてきな子
と感じていて
だからこうして
来たこともない土地に
何故か惹かれ、まして林業、山のことがしたい
というのだから
一言でいって
うれしい
御縁と云うのは実に
摩訶不思議で、素晴らしいものだなとおもう
そして
わずかながら私にできる限りのことは
協力したいとおもう
彼女の描く絵はすばらしい
彼女の感性、ことば、生きる姿勢もまた
同じように
山のこと
わたしも正直
ずっと気になっている
たとえば
数十年前の植林後、間伐もされず
ぎゅうぎゅうづめ
真っ暗に荒れ果てた山
各地で頻発する土砂崩れ
木を切って
コンクリでかためる
それで安心
それが善だとおもってそれを選ぶ
果たしてそうだろうか
地中に張り巡らされる木の根が果たす
役割は大きい
彼ら、森が
すこやかにのびのびと生きられるよう
ひとが敬意をもって
適切に手を入れていく
その所作、ノウハウを
わたしも知りたいとおもう
彼女滞在の五日間
この4年ばかりで出会った
この土地
山森にかかわる友人たち
またそこから繋げてもらった方を訪ねた
ともに山を歩き
それぞれのしごと
そこから観る 山の今
を拝聴する
貴重な機会であった
愉しいときであった
また
しみじみあらためて
ここで出会うひとひとの
素晴らしさを
かみしめる
有難いこと
それぞれが
こころやすく
まっすぐ
やはらかに
つながって
このせかいにいきている
ひつような
ちょうどいい距離があって
それぞれが
それぞれに
のびのび
たましいの
よろこび
たのしむことに
いのちを
もやし
まっとうする
そんなせかいを
わたしは
みる

十月、葉山
新月
トンボ返りしてから
満月
までの来客続きからひと息
遅れ
遅ればせながらようやく
記憶ふりかえり
記録する
/
十月十四日
Gallery Kasper
久方ぶりの葉山
懐かしいバス停を下りて向かう
何度も歩いた道であるのに
あれこれ忘れており新鮮
己の記憶喪失ぶりにおどろく
重たい扉をひらくと
懐かしき Kasper 主 青木氏 (まおちん)の顔
初めまして 彫刻家 土屋氏の姿
Yusuke Tsuciya solo Exhibition
`Two`
素晴らしい展覧会だった
頭ではわかっているつもりでいるが
生身の身体が作品と向かい合う
というのは
写真や情報をみるのとは
まったく
異なる
見る をこえた
対話 がある
ひとつ、ひとつ
作品を拝見、向かい合うに
ことばではない領域
ふるえ、うごき、ふれられ
しずかに涙する
やはらかな境界をとかして
交錯する
記憶、感覚、わたし
たいせつに護られた
聖域 との対話
その
心地よさにたゆたいながら
「彫刻」 というものを透して土屋氏の
なされることと
「こえ」というものを透してわたしの
なすこと
どこかやはらかく重なるものを
感じたりする
ここへ結んでくだすった
青木氏に、あらためて深く感謝
そして
あの場へお集まりくだすった方々
心より感謝申し上げます
懐かしい、葉山での日々
その深い根が、ゆたかでやさしいものであったこと
すべての出来事が栄養となり
いま の わたし
を育んでいること
その縁と感謝の深さに
くるまれるような
すいこむような
トキと場、
愛おしい顔との再会、初めましてのご縁
でありました
謝謝
最前列で聴いてくれていた
むすこと同じ歳
誕生日も一日違いの少女
ハンナ
場がむすばれ、ふと目をあけると
母の膝枕にすうすう眠っていたのが
うれしかった
そのあと随分長いこと
深く眠っておりました
こういうのって
ご褒美

とにも
ありがとう
ありがとう
が
いっぱいの
一日
その間
むすこを
はらぺこあおむし展に連れて行ってくれていた
むすめ
友人の青ちゃん
まことにありがとう
〇
帰りの飛行機から
みた
富士山が
これまでみたなかで
いちばん
うつくしかった

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