
我が家のハムスター氏が旅へでた。
これまでも氏は、いつだりどこだり旅へでた。
アパートの2階、冷蔵庫の下から洗濯機、でんわ台の下
隅から隅まで。
ときに食料と毛布をたずさえ、キャンプもした。
縄張りに侵入する人間の足は噛んでやったりもする。
引っ越した先でその領域は拡大
畳の上、台所、長い廊下を走り回った。
そうしてひととおりの旅に満足がいくと、
巣に戻ってまるまる。
次の旅へ出たければ、かごをがじがじかじる。
二度三度、
いつまでたっても巣穴がもぬけの殻、
ということがあって、
そのときには二度、
娘の黄色い長靴の中に落っこちていたし、
一度は風呂場の隅に発見された。
いずれにしても救出された直後はごはんを
がつがつ食べた。
しかし今度の旅はそれらとはちがう。
身体はここにある。
中身だけが、すっぽりといない。
とたん身体は軽くなるのだと
毛の生えた身体をてのひらにのせたまま、
朦朧とした意識と
薄暗がりの中、
その境目だけははっきりと伝わった。
ぱたりと、
こちらの幕は閉じ、
ぬくもりを残したまま飛び出した氏は
、どこへ。
娘は、氏の夢をみたといって
何年ぶりかに布団を濡らして目を覚ました。
ハム氏はたぶん、
距離も、かたちも、まるで次元の超えたところへ
いったのだろうとおもう。
触れられぬほど遠いところにいるひとのところにも、
たとえば同時に何か所にでも、
ゆける。
目に見えぬものは、世界全体にとけている。
そういうところへ、
そういうものに、なったのだとおもう。
二人暮らし、というたびに
「ママ、ふたりと一匹でしょ」
と必ず訂正を入れてきた娘。
視界を横切るねずみいろの毛むくじゃら、
おしりをぶりぶりして駆け回るものの
いない部屋。
空っぽの巣籠。
残ったたくさんのひまわり。
冬用に買いだめた綿。
好物のアーモンド。
言い出せばきりがない。
亡骸は娘が学校からかえったら
土へかえす。
ここにもうハム氏はいない。
氏を探すなら、空をみよ。
これから、寒くなる。
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