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  日々、ミカンのこと                 

nalu

めめのこえ 

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私はよく、ものもらいができる。
高校の入学式、大学の入学式の日も
新しく会う人々と景色に、片目瞼を腫らかして
はじめまして、をした。

この頃は
少しでも睡眠が削れたり、忙しくしていると
瞼が大声をあげてくる。
おーいおい、休んでくれよ、眠ってくれよ、
と言っているのは百も知っているのだが
往々にしてこういうとき、
休んでいられない事情にさらされているものだから
大声を耳元で聴き続けうなずきながらにして、
つっぱしるしかない。

つい先日もそれはやってきて、
ひとつここは
自然療法で治してみるかと本を広げ、
枇杷の葉を探してぐるりを歩いて2枚ほど失敬してきたものでもって
すって、
小麦粉とねって、
目に張り付けて、眼帯をした。

するとたちどころに痛みはなくなる
のだけれども、
普段視力の大半を頼り切っている左目を隠しているものだから
まるで世界がよくみえない。
しかも私はウインクが片目しかできない、
つまり右目だけは閉じられるが、
左だけ閉じようとしても右目も自動的に閉じてしまうという父親譲りの
変な具合の身体事情を持っているため、
眼帯の中の左目は開いたまんまで
だから右目の映す世の中と同時に、左目のおかれた状況
つまりガーゼを目前にした暗闇がみえる。

パソコンを前にしてさて仕事をしようとするのだけれども、
打ち込む画面文字にうっすらとガーゼ繊維の格子模様が重なってきて
やりにくくて仕方なかった。
加えて口内炎たくさん、がんがん頭痛、おでこに湿疹、と
面白いぐらいに次々身体は訴えかけてくるものだから、
一向はかどらず、
だから余計に眠る暇もなく、
めんめはなかなか回復してくれない。

枇杷の葉は見事に痛みを止めてくれるのだけれども
根本が片付かないわけだから快方にも向かわず、
わずらわしくて眼帯をとれば
根底から目がはがれちゃうんじゃないかと思うほど痛い。
もしかしてこれものもらいどころじゃないんじゃないだろーかと
すこし怖くなってきてとうとう、
お医者に行った。

お医者さんはぱちぱち、光をあてながら
どれどれ、と痛むところを診てくれて
おそらくものもらいね、とおっしゃって目薬をさしてくれた。

医薬の力とは強力なもので
目薬ふたつと飲み薬でたちどころに目は叫ぶのをやめた。
あるいは、叫び声がきこえなくなった。

そんなことより、
そのとき視力を測ってくれたのだけれど
目が数年前よりうんと良くなっていた。
具体的に記してみると
0.3くらいであった右目が0.8に、
0.9くらいで世界を見ていたはずの左目が1.5にまで回復していた。
こんなことって!

なによりもそれがうれしくて、
ああきっとこれは今の環境に身を置くようになったおかげだいな
とおもう。
見上ぐれば山あり、少し歩けば海へでる
このありがたさにしみじみ、喜んでいる。

今回、いよいよ酷くなる頭痛は
痛み止めの力を借りて止めるに至ったのだけれど、
それらは威力があまりに強いゆえにすこしこわくもあって
あまり乱用したくない。
できればそういうお力なしに、
たとえば枇杷の葉で叫びをとめてやれるような、
できれば叫び声をあげなくてもよいように
落ち着いたふうに過ごせたらと、
しずかにおもうのである。


それから
戦争は、絶対にしたくない。
絶対にしない国なのだと、誇りをもっていたい。

戦争をしていい理由、
その正当な理由など、
それで本当に解決することなど、
この世にはないのだと
私はおもう。


この頃の
頭に血の上った発言をしなさるお偉方、

ひとつ
空をみあげ、
深呼吸をして、
過去の叫び声に耳をすまして
行動をえらんでゆくことを願う。






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