
3月11日、
100人いたら100様に
けれどもきっとどの一人一人にとっても
足を、心を、とめる日となった。
あれから2年
730回
夜がきて朝がきて夜がきて、また朝がきても
あの日のことは事実で、きえることはない。
私たちの、
私の、立つ大地、この国は
一体、どこへいこうとしているんだろう。
ふたたび覆いをかけ、目隠しをして
また一方で
踏みつける力、力によってことをなそうとする
ことに、私は、yes とはいえない。
ひとつ、ひとつ小さなさまざまが
いきいきと息をする、自由な世界を
切望する。
そして私は、どうかその一つとなろう。
3月11日、
下校した娘と約束どおり
海へ行った。
穏やかな波が、よせて、かえしていた。
太陽がそれをてらす。
娘と防波堤に腰かけて、それをみていた。
てのひらを合わせて、めをとじた。
そんなことで何も変わらない、ことは、ないのだろう。
目に見えぬ何かが、しずかに、世界に、ちいさくも広がる。
それから娘の、
この頃よく夕日をみるという場所へ連れて行ってもらった。
こっちこっち、と
岩場をぴょんぴょんはねては
先を行く。
ふと、橙色の太陽に
向かい合わせで岩に腰掛け、
娘は言った。
「神様ってママ、だれだとおもう?」
誰?
それはむつかしい、と私が頭をひねっていると
ぽつぽつと、娘
「太陽だとおもう」。
どこにいても、
どんなひとにも、ものにも、同じように光はさす。
そして海へ向かってそれをみれば、
ひとりひとりにまっすぐ、海に照り返した
光の道がのびる。
同時にだれをも真ん中にして
それは魔法みたいに、ひとしい。
だから、神様は太陽だと思うの
と彼女はいうのだ。
かみさま
なにかの教本でそれを習ったのでもなく
誰かの云った言葉からでもなく
ただひとりの個が、
個として世界に立ち、みつめた答えが
今の、彼女のこれなのだとおもうと
それはあまりに尊いようで、私は泣いてしまった。
胸が一杯になって、泣いてしまった。
年月が娘を
このように成長させたこと
また一方で
そんな存在を一瞬で失ってしまった人がいる。
あの日を境にして。
この、一瞬一瞬は宝物のように尊い。
このほかにも、いくつか胸を打つ言葉を
彼女はそのときいったような気がする。
私たちは手をつないで、
家へ帰り、
夕飯をこしらえて食べた。
そして眠って、
3月はまたすすんでゆく。
桜のつぼみがほころび始めて、
コブシは白い、蝋燭の灯りのようだ。
残されたもののつくる世界が
もっともっと、美しくあるように。
柔らかで優しく、のびやかであるように。
| h o m e |