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  日々、ミカンのこと                 

satomi yamada

炭酸水 

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ishi


この春に仕込んだ梅ジュースが
飴色に出来上がったのは、
今年は黒糖を使ったからである。

ふと無性にそれを入れた
しゅわしゅわしたやつが飲みたくなって、
買い物先でふと、炭酸水を探した。

数年前までは、サントリーのガラス瓶に入った
SODA水を見かけたものだけれど
今やその棚には、
ペットボトル入りのそれが並ぶばかりである。

わたしは常々、
ペットボトルを避けて通って暮らしている。
娘が道中、
水筒のお茶がなくなった、のどが乾いたといっても
彼女がちいさな時分から
よほどの緊急事態でもない限り
わざわざ紙パック入りのそれを探して、
そこから水筒へ移し替える。

ペットボトルはリサイクルしてエコ、
なんて謳い文句を聞くけれど
あれをリサイクルするにはまた、うんとコストもエネルギーも使うのだ。
そもそも、かれらはこの石油エネルギー枯渇の時代に
その石油からうまれている。
わざわざどうして。

たとえば職場の、PTAの、町内会の、
集まりや会議ごとにはたびたび
人数分のペットボトル入り飲み物が用意されてそれが
親切で気の利いたことのようにふるまわれるけれど、
わたしはその光景をみるたびに
めまいを覚える。
コップを持ち寄ってお茶を沸かすか、
せめて大きいの買ってみんなで分けましょうよ、と
言ってみたりもする。

ちいさな、こんな小さな積み重ねが世界をつくっている
と、
わたしは信じているからである。

けちけちばばあ、とゆわれてもよい。
わたしは何より、資源やエネルギーを無駄に使う人間の営みの様が
どうにもはずかしく、あほくさくみえてしかたないのである。


さて、
このけちけちばばあは
その、ペットボトルに入った炭酸水の前で考える。
何分も考える。
悩んで悩んで、その日は結局買わずに帰る。

わたしがひとつ、何かを選ぶ。
たとえば服を、たとえばニンジンを、たとえば石鹸を、シャンプーを、お醤油を。
それは小さな行為だけれど、
それはわたしの意思で生きる、ことだ。

たとえばデモ行進や署名やことばと並んで、
わたしはわたしの、この大地の上に立ち、それを踏みつける足跡を
極力、小さなものとしたい。
このちいさくも誇り高き、選択と行動によって。

そんなことをえんえん考え、家に帰る。
でもやっぱり、しゅわしゅわが飲みたい。

その数日後、また買い物先で棚の前に立つ。

考える考える。
うでぐみをして、考える。
目の前に500mlペットボトルのしゅわしゅわ水、
89円。
その傍らに瓶入りのそれよりやや少量のしゅわしゅわ水、
105円。

わたしの一本ごときのソーダ水購入の、
ペットボトルボイコット運動は果たして、
いかほどの影響をおよぼすのかしら、
など弱気な気持も邪魔をする。

そもそも、じゃあしゅわしゅわ水、あきらめたらどうかしら
などの声も聞こえる。

首をいくつかふって、
なんども順繰りにかごに入れたり出したり、
お店屋さんにおかしな光景。
そうしてうなずいて、
わたしは瓶入りの、すこしすくなくて、すこし高いほうをお会計に持って行った。

どうかこのひとかけらが、世界をつくるように。
どっちでもええがな、あほでんがな、と
笑いたい人はわらえばよい。
みみっちいかもしれない、
けれど、気高き志。

こんなふうにして、日々
ちいさな葛藤をくりかえして、
わたしは生きている。

そんな市民をよそに、出現
押し通そうとされている、
特定秘密保護法案
断固、わたしは異議をとなえます。

まもりたい、まもるべきものへの
大きな砦であるこの法案が
決して通ることのないように。

いろんなこえ、
いろんなひと、
いろんなきもち、
いろんなせんたくが、
のびのびと許される
自由な世の中であるように。

わたしたちは、
現在の国の横暴を、拒否します。





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