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  日々、ミカンのこと                 

satomi yamada

こころのなか 

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kokoronnaka


ママ、かみさまは心のなかにいるとおもう?


唐突に春ごたつのむこう側から娘がいう。
うん
ひとりひとりの心の中にいるとおもう
と、わたしはこたえる。
うん
深くうなずいて
ママ、ガリレオはひとつ間違っていたよね?
と、娘はいう。

どして?
と私が訊くに娘、
だってガリレオは「神はどこにもいない」
と言ったもの。

これは先日、
娘と観に出掛けた
シュタイナー学園に通う中学3年生にあたる生徒たちの演じた
「ガリレオ」の劇中で
ガリレオ=ガリレイの台詞のことを言っている。

当時の、
地球を中心として
太陽とほかの天体星々がまわっている
という常識をくつがえし、
いや、地球が太陽のまわりをまわっているのだ
と唱えたガリレオは強い弾圧を受け、
それを取り消すまで
牢屋へ閉じ込められた。

なぜ
ガリレオの主張が正しくとも許されなかったのか、
それは国の掲げる宗教の教えを根底からゆるがすことになるためで
つまり
この地球はすべての中心であり特別、だからその天に神がいる
という考えを
真っ向から否定することになってしまうためである。

このタブーとなる真実をみつけたガリレオは劇中で
「神などどこにもいないのだ」
と小さく叫ぶ。

この言葉が、
娘のこころにずっと残っていたらしい。

むすめはいう
自分の胸のところに両手をあてて
「ママ、かみさまは心の中にいるんだよね」

わたしもそう、おもって、生きている。
かみさまはいる、とおもう人の、心のなか
ひとりひとり、のなかにいる。

だからそれは一つではないし、
きっと
決まりも、強制力も、絶対性もなく
きっと自由なものだ。
そこにはほんとのところ
お布施も、教本も、教祖様さえ
いらないのかもしれない。

その存在に話しかけ、なぐさめられ、勇気づけられて
助けられながら、守られながら、
わたしは生きている。

わたしの中、
と、
ずっとずっと高いところ
見えないところ
それはつながっていて、ひとつ。

わたしの良心をみつめ、
生きてゆく様を見守り、
よりよきほうへ、導いてくれる。

これはなにかを読んだのでも、
誰かからそう教わったのでもなく、
日々を生きてゆくなかの
実感として、そうおもう。

むすめもきっと
そうなんだろう


わたしは毎朝、
今は亡き祖父父母の写真の前で
手を合わせる。
そうして今日も一日、
わたしがまっすぐ生きられるように祈る。

わたし
ひとり、ひとりが
天高くのびる、
一本の
光の柱であるように。

この世界にとって
よりよきもので
あれるように。


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