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  日々、ミカンのこと                 

satomi yamada

辺野古へ 

おきなわ |

2014.-8 henoko satomi 005


2014.-8 henoko satomi 011




辺野古へ
行ってきました。

何故、いくのか、行ったのか。
自問自答しながら出発を迎えたけれど
それはきっと単純で
工事をとめたかったから。
海を、埋め、傷つけてほしくなかったから
それを、何としても
止めたいから。


たった7日間の滞在ではそれは叶わず、
その無力さ、力の小さきをふらふらと背負いながら
いつもの町へ帰ってきてしまった。

滞在中、多くの人に会いました。

ゲート前で抗議の声をあげる座り込みの人は
300をゆうに超える日もあり、
那覇から県民を運ぶバスが出る日もあって
その数は今も増え続けている
とききます。

とはいえ、実質の抵抗となるには
まだまだ足りない。

先頭に立って、大声で、ゲート前で立ち向かう人。
沖縄の日差しはとても強いのです。
半袖でいる人も少ないくらい。
(つまりみなさん日よけのために長袖を着てらっしゃいます)
サングラスをしないと、
照り返しで目がやられてしまいます。

サングラスと、日よけのタオルや手ぬぐい、深い帽子は
一見、
そのひとりひとりの顔、表情がよく見えません。
ゲート前にいると、坂をのぼる車が撒く排気ガスで
息が苦しくなる。
それを、毎日まいにち、身体に吸い込んで座るおじいやおばあがいる。

多くの人は
サングラスや帽子に加えてマスクまでしたら、
あまりに過激に見えてしまって誤解を生むからと
それをしません。
これは一部の過激な人の運動では決してないのだと
皆に知ってもらうため。
排気ガス、
日差しと暑さのなかの抗議行動。
膝や腰が痛むのをひきずって、毎日来る人
入院する奥さんのお見舞いをしながら来る人
孫や子どもを連れて通う人
ゆっくりゆっくり歩き、話す、おじいさん
県内外の大学生、
私以外にも女ひとりで県外から来る人もたくさんいました。
身体をはってカヌーで海へ漕ぎ出す人
毎日抗議船に乗り込むおばあさん、
(この方は10年前は泳げなかったそうで、
海を守りたい一心でカヌーに乗り、海に潜って抗議活動をしたのだそう
人がこの海の素晴らしさを体感することから
LOVEで現状を
変えようとする女性たち。

テントに座り込む皆の前に立ち、
日の光を浴び続けるその人は
唇にやけどを負っていました。
痛くて、
辛いものも、熱いものも
口にできないのです。

それでも毎日毎日、ゲート前に立ちます。
彼がいると、みな頑張れるから。
彼は先頭に立つ、大事なひとだから。

朝から晩まで交代で続く座り込みの先頭に立つため、
彼は家に帰れません。
彼の寝床、食事、身体を皆が心配します。
それでも彼は自分のことなどそっちのけで
いつも周りを気遣ってばかりいます。
そうしてそこに
立ち続けているのです。

サングラスをはずしたその人の眼は、
とても、とても優しい。
だって彼は、そこへ集まる人々はただ、
目の前の海を
取り返しのつかない破壊から
守りたいだけ。
ただ平和を
望んでいるだけなのだ。

基地のあるところには、
戦闘機が、輸送機が、
大きな音と低い地鳴りをたてて
とびまわる。
兵士たちからの頻繁な暴行に、婦女が、幼い子どもたちが、
怯えて暮らす。
実弾を山に打ち込み、
山は形を変え、大きくへこむ。
弾薬庫には、
いつか破裂して誰かを傷つけるための
弾薬がぎっしり詰まっている。
どこかの空に、人々の上に、ばらまくために。

そこに平和はない。
ないでしょう?

海は今もまだぎりぎりそこに、あるのです。
青翠に、ひかり、透明で、ずっと底までみえる。
そこには、300年もゆうに生きるというハマ珊瑚や
ウミガメや、魚たちや、ジュゴンがいる。
生きている。

ほんとうに美しいところなのです。
楽園のように。
そこを埋めて、ほんとうに良いと、おもっているのか?

土砂やがれきを入れて、埋めて、
戦争のための基地を、滑走路を、新たにつくる。
ゆくゆくはそこを、巨大な軍港にする。
そこに正しさは、正当性は本当にあるのか。

それをどうかやめてくれと
生活を、日々の暮らしを、身体を犠牲にして
声をあげ、立ち上がる人々を
威嚇して排除する。
そこに、人の心はあるのか。
それが人間のすることなのか。
この国の、する、ことなのか。

威嚇の力は驚くほど圧倒的で
辺野古・大浦湾の沖合には、
海上保安庁の大きな巡視船が11隻以上並んでいる。
その先端には砲弾をつけて
朝も昼も夜もずっと海に浮かぶ。
いつもは尖閣諸島などで使われる船が、
ただこの海を埋めないでと願う
武器をもたぬ人々に機関砲を向け、こちらをじっと見ている。
これはどういう、ことだろう。
国はいったい、何を守っているのか。

平和丸をはじめとする小さな抗議の船が3隻。
カヌーが10前後。
彼らは非暴力で抗議を行う。

これに対するのは、
海上保安庁の大型、中型の巡視船が13隻
ゴムボートが約20隻
警戒船役30隻
(8月17日 琉球新報の号外より)

彼らがこの圧倒的力と
莫大なお金(税金ですよね)を投じて向かうのは、
武器を持たぬ、市民たち。
これ以上、沖縄の海を、島を、人々の心を、
生き物たちを、豊かさを、
壊さないでくれと願う、普通の心を持った、普通の人たち。
沖縄の人がこれまで
戦前、戦中、戦後と
どれほどの苦汁をなめさせられてきたのか、
お金と基地に翻弄され
日本という国によって苦しめられてきたのか、
私たちは知りきらないとおもう。

こんな国はいやだ。
恥ずかしくてたまらない、
あんまりに愚かで、哀しい。

わたしは沖縄を解き放ちたい。
そこへ行くたびにおもう。
彼らは平和的な、温かな、まっすぐな人たちなのだ。

絶対に汚させない。
その方法を、行く前も、7日間も、帰ってからも
ずっと考えている。
わたしは絶対に認めない。
わたしたちはそれを、止められる。
あたらしい世を、つくることができる。

だから
声をあげよう
新しい服を一枚買うのをやめにして
そこへ、いこう。


滞在中、不思議なことに
沖縄本島の中でも辺野古近辺だけ局地的に
何度も何度も大雨が降り、いくつも雷がとどろいた。
そして
17日、ジュゴンが久しぶりに姿を現した。

空も海も、ジュゴンも、きっと同じ気持ち。
応援してくれている。
だから
私たち人間も力を、精一杯尽くそう。


新しい時代がくる。
それをつくるのは私たち
ひとりひとりなのだ。

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