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  日々、ミカンのこと                 

nalu

at birth 

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庭に、ある日
す、す

水仙が芽を出し
まっすぐな葉をのばす。

みれば、
あちこち
昨年水仙が咲いていたところに
同じ姿がある。

当たり前といったら
当たり前なんだれど

誇らしく
うれしく
それを眺めている。

うつくしいなあ
恰好がいいなあ


さてわたしはむかし、
といっても
娘がまだ小さいころ、
ご縁があって
ある雑誌に関わらせていただいていた。


そのころに書いたりしたページを
読んで気に留めてくだすっていたという方から
ある日、
お手紙をいただいた。

それ以来、気にかけて
この文章も読んでいてくださるという
とても奇特な
ありがたい方である。

彼女は、
「その人のうまれた時間」を
絵に刻むというクリエイションをされる方で、
私のうまれた時刻を作品にしたい、と
これまた奇特なことを
おっしゃって、

私は母に電話して、
私の生まれたという時間を訊ね、
わすれないようにそれを手帳の片隅に書き留め、

正直にいうと内心、
おこがましいような気持ちと
そしてせっかくなら
私の娘がうまれた時刻のほうが
重要で大切だけれどな、
とほんのすこし思いながら

その時刻をお伝えする手紙を書いて
投函する。

そうして後日、
展示の終えたその作品を
ご丁寧に贈ってくださった。


わたしは、
娘のいるひとりのおんなで、
つまり母親で
もういい加減にいい大人なので、
なんというか
あらためて自分の存在をことさらに大事におもうような場面は
あまりなく暮らしている。

そんな日々にふと、
この絵が届いて
そこにはわたしの
うまれた時刻が刻んであり、
つまり
わたしがこの世界のひかりを直に浴びた瞬間
あちらから生まれ来たぴかぴかの、
あのとき
が、刻んである。


想像をしていたよりも
それは
静かに、深く感動的だった。

それは確かに
わたしにとって
大事なはじまりだったのだなと
この自分の存在の根源的なところを
肯定するような、
慈しむような、
そんな
気持ちを味わわせていただいた

のです。


自分自身が平和でなければ
世界の平和などない

とか、

自分自身を愛することなしに
世界を愛することなどできない

などいうことばをたびたび耳にはするけれど
その一片が
ふとわかったような
気がする。

自分自身を愛することと
自分のエゴにおぼれることは
たぶん、
そもそものところが
きっと違う。


わがたましいをいたましむことなかれ
(我が魂を痛ましむることなかれ)


と、毎朝唱える祝詞のなかにもある。

貴重なおもいと
貴重な機会
貴重な作品を
ほんとうに
ありがとうございました。

大事にいたします


深々と
感謝をこめ
かしこ



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