
この頃はなるたけ
日に一度は、
海をみにゆく。
みにゆく
というよりも
会いにゆく
目をとじて、みみをすませにゆく
息を、はいて、すいこみにゆく
海とは
黙って
はなしをする
うみはいう
いつでも、どんなときでも、
ともにいるよ
と、こたえる
かなしいときも、やるせないときも、消えてしまいたくなるときも、
うれしいときも、はれやかなときも、感謝するときも、
いつでも、ここに、ともにいるよ
と、こたえる。
ずっとずっと、
ともにいるよ
ここにいるよ
という
それはたとえば海がみえないときも、
寝込んでしまって家からでられないときも、
時間も、場所も距離も、ひとっとびで、おかまいなしで、
ともにいる
ひとつでいる
そういうことだ。
春分がいちねんぐるりの
はじまり
と
先日出かけた「地球暦」を学ぶ場で
おはなしをきいた。
地球暦
は、
太陽を中心としてぐるぐるまわる星
のひとつ、
地球
としてとらえあらわした暦。
太陽のまわりを
水星も、火星も、金星も木星も、土星も、海王星も冥王星も天王星も、地球も
ぐるぐるめぐっている。
とどまることなく、まわる。
同時に、太陽も動く。
銀河を動いてゆく太陽を追いかけて、われら星々は螺旋を描いて
銀河をめぐる。
めぐり、つづけている。
おなじところには二度といないのは
時間も等しく、この星のたどる軌跡もおなじなのだ。
毎日、暦のなかの
地球と一緒に
水星と火星と金星の位置を示すピンも動かす。
円周の外側、
木星と土星は月に一度、ほかの3つはもっとゆっくり
動かしてゆく。
そうか、いまこの地球は
宇宙の、銀河の中の
このへんをうごいているんだな
と、おもう。
すこうしずつ、そのことを
身体の中に実感してゆく。
昨年はあるきっかけで娘たちと
二十四節気を追いかけながら一年をすごした。
それから月のめぐり。
こういうことを確認しながら日々をおくることの
愉しさを
ゆたかさを
しみじみ、感じ入りながらすすむ
この春である。
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