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  日々、ミカンのこと                 

nalu

ハルジオン 

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夕暮れてからの
うす暗がりのなか
道端のハルジオンが
うつくしくて、
息をのむ。

ハルジオンなら
娘は
庭先の貧乏草をそろそろ抜いてはどうかと
わたしにいう
あちこちでよくみる
珍しくもなんともない野の草である。

先日ふと帰り道
いつもの道端に、そこだけひかるように
楚々として優美な花の一群が咲いていた。
街灯と月明かりにほの白くひかる存在を
初めてみたような気がして一寸
足をとめ、
まじまじとその花を見る。

あれ、ハルジオン
ハルジオンか。

あんまりにそれが昼間の姿とは見違えてみえたので
翌日、
もう一度それがハルジオンであるかどうか
確かめに行ったくらいである。

まぎれもないその花であった。

夜の姿は魔法をかけたように
なる、こともある。

こうなると、やはりまだ庭のこの花は抜けない。
いや、
ハルジオンに限らず
なかなかわたしは草が抜けないし刈れない。

だって此の先、
これがどんな花を咲かせるかしれないし、
だいたい
このように旺盛に生きる草を
とくに明確な理由もなしに一斉に刈ることはできない。

そんな権利がわたしにあるのだろうか、と
おもってしまう。

わたしからみれば、
窓の外の庭の草ぼうぼうは
野性味あふれる
うつくしい緑にみえる。
空っぽに剥げ散らかした姿より
よっぽどこのほうがきれいにみえてしまう。

それがわたしだけ、なのはうすうす
いや濃厚にわかっている。
ご近所の方々はもう熱心に草という草を刈る。抜く。
袋に詰めてごみの日に捨てる。

あれ、土に還るのになあとおもう。
なにもそんなに急がなくたって、
土が微生物が菌たちが、
土へとかえしてくれるのになあとおもう。

わたしの庭だけ、枯れ葉が散らばっている。
それが人々の目にどう映るのか、
わかるんだけど、
せめてここだけはわたしの自由にしたい、いまのところは。

とはいえここは借家なので
寛大な大家さんからいよいよ
草刈り令がどうかくだらないように、
静かに祈りながら
いる。


雨の降るごと
留守から帰るごとに
庭の草々はのびる

連休の旅からかえったら、
庭に
見知らぬ花が咲いて居た。

小さな
かいらしい薄桃色の花である。
父曰く、
ニワゼキショウ
だという。

どれどれとよくみれば、
先日草刈り鎌を手に
庭に出てはみたけれど
刈り切れずにそのままにした草が花を咲かせたのである。

ああやっぱり
やたらと引っこ抜かなくってよかったと
その小さな花をみておもう。

あちこち
にょきにょきと唐突に生える
ハルジオンも
もうすこしこのままにしておく。


雨がふる
上がるころにはまたきっと
蕗の葉も大きくなっている




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