日々、ミカンのこと                 

satomi yamada

野性 その2 

未分類 |

DSCF3864.jpg

以前ここに
携帯電話やめてテレパシィ
についてかいた。

その後、思いがけず立ち上りたる
その他のことについて
今日はひとつかいてみる。

時計である

わたしはそも、
腕時計をしないたちであったので
日頃の時間把握には
ケイタイに頼りきって暮らしていた。
外出先でもあれをぱかっとひらけば
時が知れる。

毎朝にはめざまし時計のかわりにあれが
鳥のさえずりでもってわたしを
起こしてくれていた。

ケイタイを解約して翌日、
突然
携帯電話機から時間表示がなくなった。
さらさらと砂を流すがごとく
忽然と時計機能が消え去ったのである。

うそーん
と、おもう。
いまだに信じない人もいるけれど
しかし
これはほんとのことである。

つまり、
このケイタイはみえない電波でもって
時を認知、表示、していたのだね。
自立していたのでなく
つながり
操られていた、といえば
おおげさか。

とにかくこれで
目覚まし時計として使うことはできなくなった。
わたしのまわりには他に
それらしき機能をもつものは存在しない。
のでまあいいか、
目が覚めた時に起きればいいや
とおもってねむる。
娘は自分の目覚まし時計で
勝手に起きてくれるであろう。

さて
翌日より、
6時すこし前
ときに必要ならば5時などに
自然と
目は
覚めるのである。
これにはおどろいた。

当初、わたしの部屋には
大きな文字盤の壁時計があって
それが寝床から
目を覚ましてちょうど真正面に掛けてあった。

だから目を覚まして時計をみる
あ、ちゃんと起きられた
あと5分ねむろう、なんてことができた。
しかしある日、
娘が部屋に壁掛け時計がほしい
という。

どういうの?
と訊けば
わたしの部屋のそれとほとんど変わらぬものを望んでいる。
ならば、とわたしの時計をあげた。
これでもう
目が覚めた時に時計はなくなった。

歩いて隣の部屋にゆかねば
時間を知ることはできない。
頼りは日のひかりと、己の野性
鳥のこえのみである。

ちなみにケイタイを手放したのは
昨冬のことである。
つまり
明るくなるのはずいぶんと遅かったため
薄暗がりのなかで起きた。
それがすこうしずつ、日が昇るのが
早くなってゆく。
まったく同じ日はない。
すこしずつ少しずつ
動いてゆく。

わたしの部屋は
東向きに大きく窓があるので、
木枝の向こう
太陽のひかりが
しずかにこぼれてくる。

その景色はほんとうにうつくしい。

以来ずっと
目覚ましは使わない。
頼りは己のなかの野性のみ。

ごくたまに
うんと疲れた日の翌日とか
身体が明らかに休息を求めているときなどに
寝坊はする。

けれどまあ
慌てて身なり構わず
ごはんと弁当を作ればなんとか間に合う
程度のことである。

外出先ではときどき
見知らぬ人に
時間を訊く。

仕事前にひと泳ぎするとき
だれもいない森のなかに入るときなどは
うんと気をつけていれば大丈夫。

腹時計なんて言葉があるけれど
たしかに
この身体の中には
とけいがある。

規則正しくはなく
ときに伸び、縮みしながらも
まわりのもの

太陽やひかり
虫の音やとりのこえ
月や波
風や木々草花の気配
いうなれば
はるか宇宙と
この大地、地球とつながり
小さく微かにやりとりをしながら
ここに
生きているのを感じる。

雨の日や
曇りのうす暗い朝には
飛び起きて
ややあって
となりの部屋へとんでゆく。
するとちゃんと
大丈夫な時間でほっとする。

えらいやん私、

小さくほめたたえながら
今日の日をはじめる。





22:10 |  trackback: -- | comment: -- | edit