
昔、小学生の頃
三陸の北の端のちいさな町に住んでいて
学校の近くにある
書道教室にかよっていた。
ちっとも巧くはなかったけれど
土曜日に学校から重たい習字セットをぶらさげてそこへ寄り
ひとまずそこのお台所で、お弁当を食べるのが
すきだった。
母の結んでくれる明太子のおむすびが
一番すきだった。
それから、墨の、正しくいえば墨汁の
匂いがすきだった。
中学生になって
一緒にお弁当をたべた友達はばらばらとやめてしまって
ひとりでいって、
独りで習字をかいた。
広い教室のむこうのほうに
同級生のようちゃんがいて
前より大きくなった身体で筆をにぎり、半紙にむかっているのを
少し離れてときどき眺めた。
ときどきふっと目が合うと
かるく会釈をしてくれた
わたしはどんな顔をしてどんなふうだったのか
覚えていない。
というかみえてないか。
小学生のころはあんなに
普通に遊んだりお喋りしていたのに
いつのまにか男女はすっとはなればなれになって
透明の壁があるみたいになったのを
わたしは
みなより幼かったので
ああつまらないな、とおもっていた。
あのころ
ほんのりとすきだった
ようちゃんは
もういない。
わたしは中学の途中で引っ越して
だからそれはずいぶん後になってから
人づてに耳にしたことだけれど
わたしがおとなとこどもの狭間を漂うころ
(それは今もかわらないかもしれないけれど)
ようちゃんはこの世界のひとではなくなった。
実感はないのに
実感がないから
その不在がうそのようで
その不在がこたえた
今も時折
くうに
その名をよんでみる
かんけいないはずの猫がにゃーと返事をしたりする。
物質として
その身体は存在しないけれど
この世界
空気全体にとけているようにも
おもうのだ
いまもひとかけら
ともに
いきているようにも
おもう
それはいつか
わたしがいなくなってからあとも
きっとそうなのだと
わたしはおもう
みえるもの
みえないものが
時空をこえ
同時に存在している
一直線にではなく
まじりあって
ゆきつもどりつして
どれもなくならずに
ありつづける
そういう世界にいる
ひとりであって
ひとりでない
なにもかもと
ともにいるのだ
そうじゃないだろうか。
| h o m e |