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  日々、ミカンのこと                 

satomi yamada

運がいい 

うたう、 |

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わたし、とっても運がいいんです

とえみさんはいう。
それがあまりに清々しくて
チャーミングで、
わたしはいっぺんにそのひとをだいすきになってしまった。

そうして
ああわたしもだ、とわたしはおもう。

わたしも生まれてこのかた
ずうっと、運がいい。
ひとからしたら
たとえば
たいしたお金持ちでもなくて
所謂、シングルマザーで
嘘つきを必死で信じてあげく
逃げられたりして
いったいあなたのどこがだい?と
まったくうなずいてはもらえないかもしれないけれど
いや
わたしはすごーく運がいいんだ

わたしはおもう

だってここまで、
運だけではしってきたようなものだから

この先もきっと
どんなことがあっても
きっとそうだろうと
自信満々にそうおもう。

ようは、このささやかなひとりぶんの人生の主人公さえ
幸福だと思っていれば
それはまぎれもなく
幸福なのだ

たとえその道の途中で
どんなことがあっても

そういうことだ

そう、
冒頭でかいた
えみさん
とは、KURAKURA さんの白倉えみさんである。

KURAKURA
とは
葉山を海沿いに進んでいった秋谷
というところ
月に通常4日間しかひらかない
store house で
ここは
言葉に尽くせぬくらい
すばらしいところです

えみさんは
陶芸家
祥充さんは
木工作家

ふたりの手のつくりだすものの
気配
それはもう もの ではなくって
生きてる
その
魅力も当然としてさることながら
そもそもその手の持ち主の
暮らす家
暮らし方
そのひと自身の
佇まい
言葉
動作
生きる上で大事にしているものの
なにもかも
全部だからもう
言葉でおいつかないのだけれど

それがもう
この
ご夫婦の住まいでもあるこの古い一軒の家に
足を踏み入れて
そこで息をして
生き生きとひっそりと慎ましくも愛らしくある
その
ひとつひとつを眺めるだけで
正直にいって
なみだがでてきてとまらなくなる

こんなにやさしく
こんなにあいらしく
こんなにあたたかく
こんなにほがらかに
せつないくらいに
生きるひとたちがこの世界にはいて
そのことと
そこに当然よりそって生きる
めにはみえないものたちの
あまりにたくさんのおなじように
やさしく
あいらしく
あたたかく
ほがらかに
せつないくらいに
その気配が満ちている
それに
包まれてしまうから
なみだがでる

うれしくて
かんげきして
ほっとして
こうふくで
ふるえて
ふるえて
とまらず
なみだがでる

そういう場所にはじめてであったとき
(そういえば草舟の矢谷さんがおしえてくれたのだった)
それは去年の冬で
娘と一緒におとずれて
もう
店じまいの時間だというのに
ささっとみてお暇するなんてことができず
ねっこがはえて
うごけなくって
そのうえ
えみさん手製のお菓子をいただきながら
お喋りをした

そのときに
唄をうたうんですってね

いわれて
どんな?
ときかれてもうすぐにでも唄いだしたい気持ちをぐぐっとこらえて
初めての方にそれはあんまりにずうずうしいだろうからと
こらえて
かえってきた

ああ
ここで唄えたらどんなにか
うれしくて
すてきだろう

口には出さずに
身体中でおもった

それが
どういうわけだったのか

その後
とんとんと
あれ?
どうしてだったのか思い出せないけれど
なんと
ここで
この春 5月に
唄えるようなはこびとなった。

ああわたしは
なんてほんとうに
運が
いいんだろう

かみさまに
感謝する

長くなってしまったので
その詳細は
次にかくことにする




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