日々、ミカンのこと                 

satomi yamada

望み 

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わたしはどこか
おくのほうで、
わたしなんかは
わたしじしんののぞみなんかは
のぞんじゃいけないようなきがしていた

だから
きみののぞみはなんですか
ととわれても
いっしょうけんめいかんがえても
よく
わからなかった

みえなかった
とおくでぼんやりするだけで
それは
どこか
いけないことのようなきがしていた

それよりもっと
のぞむべきものがある
かなえるべきものがある
そんなふうに
おもっていた

こじんてきなのぞみなぞなくても
じゅうぶん
わたしは
しあわせにやってる
だから

そんなふうに

だけどこのところ
やけにおもうのだ
それはちょっとちがうのじゃないかなと
おもうのだ

しめいと
のぞみは
きっとちがうのだ
そして
そのどちらをも
ねがっていいのだ
いいのかもしれない

そんなはなしを
おなじように
このよをただよう仲間と
はなした

かのじょはいう
わたしたちは
にんげんとしてこの
地上に生まれてきたのだから
それはきっと
感情を経験するために
ここを選んだのだから
だから
使命だけをたんたんとこなし
追及するだけでない
生き方をしていいのだとおもうよ
そのために
この身体と
わたしたちが
ここにあるのだとおもうよ

いった
きっとその両方を
わたしたちはきっとできる


それは欲張りなのかもしれない

おもっていたのは
わたしが
自分自身で
わたしの
可能性を
とじこめていただけ
なのかもしれない

ほんとうはもっと
ばかみたいにひろい
うちゅうみたいに
むげんにその
かのうせいは
ひろがっている
やさしく
こうだいに
どこまでも
じゆうに
きっとひろがっている

だから

わたしのなかには
一番最初のこえを
のぞみを
まずはじめに
ひっこめたり
ひていしたりする
長年の癖がある

はたからみたらそんなのさもないように
さもじゆうにみえるかもしれないけれど
あるんだ
これが

自分でもだからまだ
一番最初のこえを
ちゃんとそのまま聴き、掬うのが
おぼつかない

つづいて
脳から
あたまから
常識とやらから
積年の癖から
こえはどんどん
聴こえてくるから
どれが最初のこえだったか
わからなくなってしまう

でも
だから

わたしは
わたしの
さいしょのこえをきく
そしてそれを
そのまま
なんのはんだんもくださず
おくさず
おそれず
ためらわず
そのまんまを
すくい
あげて
ことあげする
ことを
こころみてみようとおもう

きっとじょじょに
きっと
すっきりと
それが
できるようになるはずだ

クリアになっていく

せかいも
わたしじしんも

そうか
わたしじしんのハンドルは
わたしが
にぎって
いいんだ

わかった

えんりょしなくていい
だれに
なにに

ためらわなくていい
なにを
どうして

こわがらなくていい
なにも
なにもかも

せかいをしんらいするだけで
よかった

その
せかい
には
わたし
もふくまれる
だから

わたしは
わたしの
おくそこののぞみに
まっすぐ
むじゃきに
こたえてあげようとおもう

それはずっと
ゆるされていた
それは
どのひとにもひとしく
おなじなのだ

あわいをただようような
その
さかいめが
まじりあう
おわりと
はじまりが
ゆるやかに
こうさするような
あわいのただなかで

そんなことを
みょうにはっきりと
自覚する

そらは
たかく
きんもくせいの
かおりがする





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