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  日々、ミカンのこと                 

nalu

a story of Nov. 

うたう、 |

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土用もあけて
立冬

どういうわけか
町のいたるところに春がいる
桜がちょぽちょぽ咲いて
狂い咲きかねえなんて眺めていたら、
あれ
一本の木に限ったことでない

木蓮の紫、
雪柳の白
山吹の黄色
桃色の梅まで咲いている。

そういえば蓬も新芽をだしていた。

台風の風と塩害で葉っぱが一掃され
吹き飛ばされて
そのあとぐっと冷えて
またあたたかくなったので
春だと勘違いしたのかしら
ともおもうけどこれは、
この町に限ったことなのかしら

こんなにあちこちに
あらゆる花が春めいていると
不思議な気持ちがする。

次の春は迎えられないから
いま
みせてくれているのか

なんてことをふと
おもったりもするのだけど、
大げさな、とか
いやあなたは長生きしそうですよ、
とか言われそうなので
あれだ。

でも、
ひとはひとしく
いつそのおしまいがやってくるとは限らない
ということは
ほんとうのことであるとおもう

だから
今日の夕日を最期かもしれないと思って
大事に眺め、
目が覚めてみえる景色をうつくしいと
しみじみ噛み締め、
いちにち
いちにちに
こころをこめていることだとおもう。

そうしたらきっと
後悔なんてあまりないだろう
そのようにおもって
生きている。


さて
十一月
小さなものがたりとうたの会の
お知らせです。

・・・・・・・・・・・

2018.11.28 (wed)
a story of Nov.
ちいさなものがたりとうたのかい

Rudolf Steiner
「ルドルフ・シュタイナーの言葉」

am 10:00 ~ 13:00頃
at cibo (葉山・上山口)  → 
10名
place & food charge 2,200en (昼食と飲み物、お菓子つき) + donation

food / フーヤン (ハタナカイクヨ) → 
dessert and drink / 西來みとな(cibo)

(*満席となりました。ありがとうございます。)


になって、
めにはみえない音、声、ものがたりに
みみと
こころ
からだをほどいて
ひらく。

11月のものがたりは
「ルドルフ・シュタイナー」
このひとの残した、いくつもの言葉

娘と生きること、その成長をきっかけに
教育の一片をとおして出会うことになった
R.シュタイナー。

その折々で耳にし、ふれる言葉たちは
いくつも
いくつも
わたしのなかをふるわせて
大事なことを確認する。

いつのまにかこの、うたの会のはじまりとむすびにはいつも、
シュタイナーのことばを
口にしている。

あれ、でも実はここで初めての題材となる
彼の残したことばたちを
この輪で、共有してみたいとおもう。

いくつかのおとやうた
朗読のあとは、
母音を手がかりに
ご自身の声で
内面に、深く潜り
自分自身をととのえてゆくような
声のワークもおこないます。

わたしとせかいがひとつであるような感覚を
共振、共有してみたいとおもうのです。

おしまいには
「フーヤン」こと
料理人・ハタナカイクヨさんによる
この日のためのとくべつなおひるごはんと
cibo の主 みとなさん手製・季節のデザートとお茶を
しみじみいただきながら、
シェアリング

ようこそおいでください

* お食事のご用意がありますので
  ご予約を11月24日(土)までにいただけるとありがたいです。
  satomikan_y@yahoo.co.jp

・・・・・・・・・・・・

十二月は
この会をおやすみといたしますので
こたびが年内、ここでは最後の輪となる予定です。

前回ciboさんの帰り道、
明らかに誰も採らなそうにしている柿の木をみつけて
その持ち主らしき職場の方にお話して
(驚いて怪訝な顔をしていらっしゃったけれど)
柿をいくつももいで、いただいた。

まだすこし青いので数日おひさまにあてて
夕焼け色になってから、
皮を剥いてぶらさげて、干し柿にした。

今年はこの町で育った柿で干し柿をつくりたいと
おもっていたので
とてもうれしい。

おいしく出来ますように

冬へとまいります
吐く息しろく、
すこやかに

こころより
お待ちしております。






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