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  日々、ミカンのこと                 

nalu

箸置き三つ 

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きょうはひさしぶりにないた
大泣きした。

一日雨降りで、一歩も外に出ないまま過ごした。
昨夜はすっかり夜なべして、
朝は夜明け前からむすこ目を覚ましたもので
寝不足で、
ふらふらして
なにかというとこころがいともかんたんに折れた。

夕飯にとあとは揚げるだけ、
の豚かつを携えてようすをみにきてくれた
ご近所さんは
そんなわたしの顔をみて、
うみを抱いてくるり、散歩したのち、
あとは冷奴にしたらええ、と
お豆腐まで届けてくれた。

そんな、
有り難い夕飯を食べ終えて、
ふと
洗い物をしていると
むすこがこえをだしてよぶ。

みれば、
ちいさなちゃぶ台の上に
先程、がさごそ食器棚の抽斗から出してきた
不揃いの箸が三善、箸置き三つ、
ころがりながら置いてある。

箸置き
は、以前日々食卓で使っており、
けれどこちらへ越してきてからは
ごはん時、
むすこの豪快かつ俊敏な動き、
手を身を伸ばしくるテリトリーが拡大し、
それに追われるのに手一杯で、
いつの間にか
箸置きなんぞ使わなくなっていた。
それが、わたしたちの日常の風景習慣となった

と、おもっていた。

久しぶりに並ぶ箸置き三つ。
それを前にむすこは
いつになく丁寧にてのひらを合わせ、
深々お辞儀する。
嬉しそうに、なのか
目をひからせて、こちらをみる。

励ましているのか
ほら
ひかりをみせているのか

わたしは、
むせび泣いている
泣いてやまない。

あらゆる景色が、
あらゆる事事が、
想いが、
記憶が、
通り過ぎたものが、
あらゆる方向から
なみのように溢れかえり
いま、を包んで零れる
こぼれあふれて
なきふるえる。

大切ななにかに、
いま、
手が触れそうな気がする
目を
ひらいてみていたいとおもう。
みてみたいとおもう。
しっかり、
刻めるように。

しかし、これ以上泣いていては
むすこ
心配しておろおろするため
わらうことにする。

ありがとうをいって、
わたしもてのひらを合わせ、
ともに、
このちゃぶ台をかこむ。

玩具のバナナを
不揃いの箸ではさんで
ありがたくいただく。

押し寄せる涙のなみは横に、
置いておく。

むすこ、すと席を立って、
彼のちいさなお台所の木の蛇口から
ちいちゃなカップふたつに
なにかを注ぎ入れて踵を返し、
ひとつ、わたしにくれる。
かちゃりと乾杯して、
うまそうにのむ。
ともに飲む。

いつの間にか
目にはみえないものがみえ、
あそんでいる
ごっこ遊び、というやつを
むすこはするようになった。

寒露

数日前からこの町は
金木犀の香りがする。



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