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  日々、ミカンのこと                 

satomi yamada

家跡 

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ちょうど4ヶ月ぶりに
この町へかえった

10年暮らしたあの町へかえった。

9歳でここへ来て
19になるむすめ、
飛行機にのってとんでいった
17年ぶりに、父親と暮らす。
遠い異国で、暫くくらす。

この町でうまれたむすこ
1歳と半をゆうに過ぎ、

坂のぼり、
彼うまれた家に歩いてゆくと
ちょうどその家を壊しているところであった。
大家さんはすこし涙ぐみ
もう二階はないよ、みていって、といった。

もう
柱と梁と屋根と壁ばかりになった家
ばりばりとその木板をはがれ、
ばらばらとかたちをうしなってゆくところであった。
むすこ わたし
暫くことば無くそれをみつめ、
玄関の小さなドアチャイムのボタンとその壁に手のひらをあてた

あの
大好きであった東向きの窓
もうガラス窓もなく枠のみで
彼、生まれし部屋
ふたりで眠りし部屋あのうつくしい
窓からのひかり、けしき
窓の外のもみじの木、木漏れ日、すべては
なかったかのように
穴だけをあけている。

ああ
いとおしいわがいえよ
わがむすこうまれし
むすこうみしあのいえよ

二階上がればむすめの部屋 
その階段もみるみるなくなりしを、
しばしみる。

ここには
なにもなくなるのだ。
いやもう、なにもないのだ。

ほんのかけらでも拾ってゆかんと
手をのばしかけども、
いや、わがこころのなか
むすこむすめわたしのなかに
よろこびもかなしみもすいもあまいもすべて
あざやかやわらかに
あるじゃあないかと
物に、たよるのをやめる。

むすこは
道に咲く花をほしがり 
つと摘んでやれど
次のなにか、どんぐりや棒切れ木の実ねこじゃらしなどをみれば
ひらり、なんの執着もなくそれを
手のひらからはなす。
何でもにぎりしめポケットに入れ歩くわたしは
そのあまりにさらりと次へゆき迷いなき潔さに
おどろくのである。

しかし
おもえばきっと
それでよいのだ。

こわれゆく家を見送り
また
偶然にもこのときに立ち会えた必然のようなものに
ことばなくつつまれる。

わたし 
わたしは
ともすれば
生きる
また
にんげん
にんげんであること
そのあまりにざんこくさやふじょうり
ときにとほうにくれ
あまりのつらさに
ふきとばされそうになるのである。  

いや
わたしがわたしをふいてけしてしまいたくなる
こともある
それが
よいわるい
わたしにはわかりかねている
ただ

生きておれば 
また
よろこびもあるのである
涙こぼすことも 
ふるえることも
あるのである
ああ
生きておってよかった だの 
わたしはいましあわせだ
しあわせものだ
など、まじりけなくおもうことも 
やってくるのである。

つなわたり
つなわたりの
この生、人生なのである。

ひらり、
この先へ
とんでゆけたらとおもう


齒くいしばるのは
もう
ええんじやないのかえ

わたしはわたしの肩をたたく
わたしはわたしのあたま、なでる


/
於 cibo.葉山. 霜降



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