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  日々、ミカンのこと                 

nalu

父に 

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いつからなのか数ヶ月、
とんとここからはなれ
ことばからもはなれておりました

そのあいだ
夏の終わりに娘、
ひゅるりとこちらへ還って来
海の遥か彼方へこえを
想いを飛ばさずともよくなった。

むすめとむすこ、わたし
束の間の三人暮らしを営んでいる。

それぞれに、
雑に四捨五入してしまえば二十ばかりずつ歳が離れているゆえからか
でこぼこもして風変わり
なんだか有り難くも面白い。


かくも初孫とは特別に愛おしいものであるのか、
頑なに時節を気にしてこれまで一度もここへ来なかった父が、
母とともに先日、こちらを訪ね一週間ばかり滞在してくれた。

小さい頃、
父親が怖くて苦手であった
そんなこともすっかり忘れていたけれど
ここへ来て、
子どもらしくだだをこねる息子に向かい
物凄く怖い顔をしている父を見て
そのことを思い出し、
そりゃそうだ、とおもう。
そりゃそうだ、は
かつてのわたしに同感するのである。


むすこはあんなに怖い顔の爺さんに
じいじ、じいじ
といって怯まず懐いて追いかけ回し、
わたしはそれを有り難く、
そしてひやひやしながら眺める。

ここ数年、
あまり行き来もないうちに
父の顔は驚くほど険しくなっていた。
そして実にせっかちである。
それが年齢のせいなのか、
外へ自由に出られないという風潮時節も相まってなのか、そして
かつてのように、なのか、それをも増して、なのかもはやわからない。
わからないけれども、
父には、笑っていてほしい。
笑わずともせめて、
穏やかな、心安らかな顔で日々を生き
今に、居てほしい。

父の奥底、ひかる魂のため、
その傍らに暮らす母のためにも。

この滞在中に誕生日を迎えた父にふと、
このあたらしき一年の抱負を訊ねる。

迷惑をかけず、元気に
健康でいたい。

という父の宣言祈りのなかに、
わたしから
「にこにこしていてほしい」

という注文をひとつ、加えさせてもらった。

そしてそれは、その父の姿は
わたしの鏡でも、あるのだろうとおもう。

娘が帰国する前、
それよりずっと前
たとえば一年前の今頃のわたしは
今より遥かに余裕がなく
心にも精神にも体力的にも余白がなく、
いつも怖い顔をしていたとおもう。

息子は
それを
毎日いつも、みていたのだとおもう。

いまだから言える。

いまはこころからやすらかで
へいわのなかにある
それは
あらゆることがおき、
あらゆることがゆすぶられ、
わたしのなかの
あらゆるものたちが 
ふるえ
ふるえているからかもしれない。

でも気をつけよう
いつでもその境界線は淡やかにそこにある
意識を向け、
背骨に問うて
こちら側へいる
それを選ぶ


父にはわらっていてほしい
母にはたのしんでいてほしい
娘にはあんしんしていてほしい
息子にはのびやかであってほしい
わたしにもおなじ
すべてのひと
すべてのもの
すべてのことが
おだやかにやすらいで
ふくふくとあってほしい

いまの
しゅくふくのなかに
あること
そのことに
気がついていてほしい

それはとおくかなわぬことでなく
たりないのでもなく
ここに
いま
みられるもの
くうきのなかにちらばって
いつもわたしたちをくるみとりかこむ
そんなものたちで
このせかい
わたしたちは
みちている

みちみちている

謝謝
ありがとう
そう、
ありがとう、だ.。










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