
大阪につづき
4月14日木曜日、四万十市
止心庵さんにて。
朝
緑ひかる細い山道を上り
ご挨拶をすると
それはそれは隅々にわたり
美しく、清め整え、しつらえて
お支度してくださっていて
それにもう初めから感激す。
ここに
近くからも遠くからも
集い、この場と時を共有してくだすった方々、
まことにありがとうございました。
ここに住み暮らすようになって
程なくまる二年
その間、またそれに至るまでに
出会い、支えてくれている大切な方々
今のわたしを
勇気づけ、またこうふくたらしめてくれている
大事なご縁、この場、ひとびと、それらのいとおしい気配に
胸いっぱいにして
おりました
健児くんの歌ってくれた
「茶の間」も
素晴らしかった
すべてのこと
また
止心庵、そして美佳さん
お庭の蛙たち、木々花々、鳥たち、
当日お手伝いしてくれたじゅんじゅんさんとゆうきちゃん
ここでも音せかいを、心強くご一緒してくれた木原健児くん、
見守ってくれた木原佐知子ちゃん、
足運んでくだすったおひとりおひとりに
しみじみ深く
感謝して。
この日に朗読したことば
文章のひとつをここに
記しておく
(冒頭の写真は、じゅんじゅんさんが撮ってくだすった)
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春分の日
熱が出た
春分の日、といえば
私の大切な友人夫婦の結婚記念日である
だから
というわけではないが
春分の日
わたしはこの日を
毎年 大事におもっていて
大切に過ごす
かつてひとは
春分の日
山にのぼり
日を迎え、日を見送ったのだそうだと
なにかで読んで
そうか
今年はどこか手近な山へでものぼるかと
むすことふたりぶんの弁当をこしらえ
さあ
そろそろ
でかけようかというころ
ふいに
ぞくぞくと寒気がして
おや
熱でもあるのかしらと
体温計を小脇にはさんでみると
まださほど高くはなく
なに微熱くらいである
けれどもこの寒気
一向ひいてゆく気配なく
怪しげにその存在を増してゆく
やや
これは
とおもい
ひとまず何故か二階へゆく
動けなくなる前にと
干していた洗濯物をとりこんで
この寒さをなんとかしのぐため
押入れから掛ふとんを引っ張りだす
それ
がばりとかぶって
畳にまるくなる
ぞくぞくする
とにかく寒い
おそろしいほどに寒いです
階下では山登りを心待ちにしたむすこ
ごきげんに遊び
暫くしずかである
が
ややして
むすこ鼻歌をうたいながら
階段をのぼってやってくる
あれ?
どこ?
ここなの?
と、むすこ
部屋中央の布団をのぞく
そこにはまるまった母親がいる
怪しげに震えて
言葉にならぬことばを
ぶつぶつとくりかえす
怪しげな母親が居る
どうしたの?
お山いかないの?
お山いこうよ
出発しようよ
おそくなっちゃうよ
けれど母
いやわたし
さむいさむいさむいさむいの
とだけようやく云う
次第に歯が がちがち言い始める
寒いので
ぶるぶるぶるぶる震えだす
寒いので
身体がぐねぐねして身悶える
寒いだけなのかよくわからない
息遣いが常軌逸して荒々しくなる
これはむすこにしか見せられない
身体のなかになにかが駆けまわっているので
これは
なんだ野生のイノシシとかそういう
動物なのか
動物がのりうつっているのか
と
本気でおもうほど
変な具合に身体が動く
そして
妙な
吠え声みたいなものが
でている
わたしの口から
身体から
そんな
おかしな具合の母をみてむすこ
わらいだす
さも愉快そうに
けらけらわらって足をばたばたする
たのしそうである
そりゃそうだ
おかしいものね
けれどこのたのしそうなようす
わたしには救いである
むすこ
笑いながらいとおもしろそうに
布団へはいってくる
お山いけない?
うん、ちょっと今はいけない
おべんとうは?
うん、今はちょっとたべられない
おなかすいたの?
たべてくる?
ううん、まだへいき
ここにいる
熱が身体をはしる
自分を自分でコントロールができない
勝手にふるえて
勝手に低いうなり声のよう
獣みたいに吠えていて
身体が勝手に動く
おそろしいほどに歯が痛い
それにともなって頭がずきずきする
割れそうだ
ふと
ああわたし
これは
死ぬのかもしれない
朦朧とそうおもう
でもそれは
悪い感じはしない
これといった後悔もないし
わたしは今至極しあわせである
さて
もしかするとあちらへいくのかもしれない
すうっと
そのときが来たのかも知れない
ふふふ
獣のようになりながら朦朧
そんなことをおもう
ただこのむすこ
この顔をこんなふうにして
間近で
匂いをかいでぎゅっとすることも
できないかもしれないのか
そうおもうと
ああよくみておこう
と
まじまじとむすこをみる
うみ
名前を呼んでみる
うーみ
その声音をきいて次第にむすこ
あれ?
とおもったのらしい
だいじょうぶ?と
いいはじめる
そうして
うみくんなおしちゃうけんね
といって
なでなでして
ぽんっ
となにか元気玉のようなものをくれたりする
そうやって暫くの後
わたしは気絶するように眠り
むすこもいつのまにか
隣でねむっている
目が覚める
あら
ひとは簡単には死なないらしい
熱はいよいよ上がりきったようで
そうなるともう
たいしたことはない
その後、
一晩で熱はさがり
その間
むすこは
わたしと一緒にやたらとたくさん
眠ってくれた
親孝行
春分の日
お山はのぼれなかったけれど
熱がでて
身体もいよいよ
春への支度がととのったのかなと
おもっている
ありがたいことだ
春は
いろんなものが
でてくる
それを
すなおにだしてやればいいんだなと
熱がでても
事故っても
人との間にかなしみが噴出して一寸泣くことがあっても
それでも
どこか長閑に
安心していられる
そのことに
それから
こうして生きていることに
それから
おもしろいむすこにも
謝謝
ありがとう
感謝感謝だ
感謝ついでに記しておくと
この熱はおそらく
このごろやたらと痛かった歯の神経が
いよいよ最期をむかえたときだったのらしい
その熱の下がった後
歯の痛みはうずくような感じに変わり
歯医者さんへゆくと
先生いはく
神経は死んでしまった
とのこと
まだ生きている神経を抜くのにはどうしても
抵抗があり
ようすをみていた
けれどもう限界
とうとう死んでしまったという
そうか
30 年以上共に生きてくれた歯よ
これまでほんとうにありがとう
ともに
実にいろんなものを食べました
そして
丁寧に治療してくださる先生よ
ありがとう
となんだか妙にしんみりと
感謝に満ち満ちて
その神経の死骸をとりのぞいてもらった
ああ
歯の最期をあんなふうに
しっかり味わえてよかった
ああ身体って
すごいものである
ああ愛おしいものである
そんな
春分の日であった
謝謝
「熱 春分」 於 止心庵
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この日、
手洗い場に活けられたキンポウゲ
その照りひかる黄色が
心にしずかに残っている
この上なき
ここ
土佐でのうたいはじめとなりました。
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