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nalu

旅のような跡 / 神無月 

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十月
まるで旅するように
駆け抜けた

その宝物のごと様々を
記録しておく



Kasper 翌日、
新月
むすめむすこ、父母とともに
飛行機で高知へ飛ぶ

このエアーチケットは
父が 「まかせろ」 と云って
みんな分を出してくれたのだが
(母談)
私たちが富士山側の窓辺になることを
優先して座席を手配してくれた
(結果、父はひとり通路側であった)

おかげさまで
富士山は
雲の隙間から夢のように顔を出し
青に雪の冠を被り
それは
この人生一番うつくしい姿であった

我らは大はしゃぎで
父を席に呼び、せめて一寸
窓からこの富士を拝んでもらう


/

到着翌々日
むすこの七五三を祝う

こちらへ暮らしてから
とても親しく
敬愛するこの町の
加茂八幡宮に参拝
御祈祷をしていただく

浜辺近く、緑に護られ
真直ぐにのびた参道をあるき、
いつも集落のお祭りに来てくださる
太夫さん(神職のことをこの辺りではこう呼ぶ)が
祈りのことばを捧げるとき
美しく調えられた祭壇のむこうから
風がくる

何度も
なんども

この土地
八百万神々からの
祝福のごとき風

その風 清々しくうけながら
隣にちょこんと座る
数え五歳
羽織り袴を着た むすこを観る

ここ
わたしの傍らへ生まれ来て
ここまですくすくと
育ってくれしこと
それ当たり前でなく
奇跡のようなことに
胸いっぱいとなり
こみあげる

その後ろ
むすめ、我が父母、居てくれることの
有難さ

この日は実にばたばたと
着付けからみなの食事、一日の進行滞りなく
おこなえることに心血注ぎすぎて
むすこの晴れ姿とか、
この眼ひらき
わたしはちゃんとみて抱きしめたりしたのだろうかと
後になってからおもう

おもうが
いま思い返しても
涙ぐむような
実に佳き七五三の儀
一日であった







その四日後には運動会

ひと月も前から
「明日はうんどうかい?」
と、訊いてきたむすこ
待ちに待った本番の日

いつの間に練習したのか
歯の高い一本下駄ですいすい、
かけっこ、腕のフォームも
たくましい
(ちょっと前まで、両腕をのばしてぱたぱた走っていたのに)
リレーでは疾走
観覧席、こちらににこにこしながら
トラックから外れ失走…
そのハプニングに爆笑しつつ、
ダンス姿に泣いてしまい

むすめのときを思い出す
(むすめの行事はたいてい、ほぼ涙で目の前がみえなかった)

ああ
時はあっという間にかけぬけて
子はすくすく
みるみるうちに大きくなってゆく

それはきらきらひかる
眩しすぎて
愛おしくて
なみだがでる

これまでの日々の重なりがいっぺんに
記憶、わたしのなかをかけぬける

先生方の日々の努力、創意工夫、ユーモアを
競技ひとつひとつから感じ受け
これにも深く、感謝





父母の滞在
十日ほど

その間
父に泣いて怒ったりもしたし
みんなに泣いて謝ったりもした

わたしは皆より
あきらめがわるい

生きているかぎり
ひとはひとである
こころをもった
にんげんである
その尊厳、たましいは
尊きひかりのようなもの

歳のせい
老化のせいにして
優しさ、思いやりの心を
わすれてほしくなかった

しょうがないなんて
わたしはおもえない

父は心根のやさしい
あたたかなひとだ
その尊さをなくしたくない

だから


父母とむすめ、むすこ
ともに
川へゆき
海へゆき
星を見上げ
雨にふれ
波にふれ
風にふれる

わたしのあいする
このうつくしいせかいを
たくさん
たくさん
あびてほしい

土の
海の育む
たべもの
いのちを
食してほしい

とはいえ
御猪口のごとき器のため
あちこちで
イライラもしたし
疲れ果てもしたし
寝不足になったりしたけど

まるごとふくめ
この時間は愛おしく
しあわせなものだった

はるばる来てくれて
ありがとう
この一連を企てくれたむすめ
ほんとうにありがとう


むすめはこっそりと云う
これでもね
じいじ、一時よりすごく佳くなったんだよ
笑うし、いい顔するようになった

コロナで閉塞された都会のなかで数年間
父の中の不安、おそれが
静かな檻のように父を包み込み
父の情緒、やはらかなものをこわばらせていった
無論コロナだけでない
ありとあらゆることが複合的にある

けれどこれ
このすべては
よりよい方向への道すがら
経過の途中である
だから
しょうがないなんておもわない

父は滞在最期の朝
わたしを呼び
凛とひかる目で
十日間、なにもかもをありがとう
と云った
云ってくれた

父、父なりに
わたしのリクエストに精一杯
応えてくれたことを
のちに
ひとつひとつ
おもいだす

最終日
空港に父母を送る道すがら、
かつて
三十年ほど前に、束の間
住み暮らした高知市内の社宅跡に
立ち寄った

私が中学生の頃
その一年半をここで
暮らした
ちょうど父母、今のわたしよりちょっと歳上くらいのことか

懐かしいスーパーに車を停め、
(このとき、後ろをぶっつけて凹んだがもはや気にしない)
みなで懐かしい道を辿る
時折、モーニングを食べに行った喫茶店
(今は違う店になっている)
ゆるやかな小川の曲線
初めて髪を切った美容室
家の前の石垣
(ここで巨大なカエルが春を前に出てきたことがあったっけ。
母はカエルに話しかけながら草むらへ帰してやっていた)

ああ
なつかしい
ああ
いとおしい
いっぺんが
それぞれのなかに
よみがえる

そうそう、
むすこが云っていた
みんなで手をつないで円くなればいい
というのをやりわすれていたので
ここで円くなる

残念ながら本人は保育所で不在だが
むすこは円の真ん中にいる
ということにして

(そもそも、これは
むすこが駄々をこねすぎて、みんなが険悪になった折、
どうすればみんながニコニコしあわせでいられるか、と
息子に問うたときのこたえである)

トキはながれ
ヒトはとしをとる
あたらしいいのちはうまれ
川のように
すべてはめぐり
変化してゆく

それは
きっと
まるごと
うつくしいこと

しゅくふくに
みちたこと


飛行機の時刻には
やや
ぎりぎりとなりはしたが
父の心配、軽い反対を振り切って
ここへ
立ち寄ってよかった

父は颯爽とあるき
母もうれしそうで
むすめは父とわたしが手をつなぐように
さっと促し
わたしたちは
円となる

謝謝





父母見送りと入れ替わりに
むすめの学生時代、寮の先輩であり
素敵な友人が
やってくる

今は
沖縄の大学で美術を学んでいるが
来春から
高知へ来て
絵を描く傍ら、林業がしたい
という

彼女のことは
なぜか
寮の見学にて
初めて出会った時から
まあ、これは、すてきな子
と感じていて

だからこうして
来たこともない土地に
何故か惹かれ、まして林業、山のことがしたい
というのだから
一言でいって
うれしい
御縁と云うのは実に
摩訶不思議で、素晴らしいものだなとおもう

そして
わずかながら私にできる限りのことは
協力したいとおもう

彼女の描く絵はすばらしい
彼女の感性、ことば、生きる姿勢もまた
同じように

山のこと
わたしも正直
ずっと気になっている

たとえば
数十年前の植林後、間伐もされず
ぎゅうぎゅうづめ
真っ暗に荒れ果てた山
各地で頻発する土砂崩れ

木を切って
コンクリでかためる
それで安心
それが善だとおもってそれを選ぶ
果たしてそうだろうか
地中に張り巡らされる木の根が果たす
役割は大きい

彼ら、森が
すこやかにのびのびと生きられるよう
ひとが敬意をもって
適切に手を入れていく

その所作、ノウハウを
わたしも知りたいとおもう

彼女滞在の五日間
この4年ばかりで出会った
この土地
山森にかかわる友人たち
またそこから繋げてもらった方を訪ねた

ともに山を歩き
それぞれのしごと
そこから観る 山の今
を拝聴する

貴重な機会であった
愉しいときであった

また
しみじみあらためて
ここで出会うひとひとの
素晴らしさを
かみしめる

有難いこと

それぞれが
こころやすく
まっすぐ
やはらかに
つながって
このせかいにいきている

ひつような
ちょうどいい距離があって
それぞれが
それぞれに
のびのび
たましいの
よろこび
たのしむことに
いのちを
もやし
まっとうする

そんなせかいを
わたしは
みる

















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