
すこし高台にたつ
うちのアパートからは、
ベランダに身を乗りだしたところから
富士山がみえます。
近頃の
澄んだ空気の朝などは、
くっきりとその
白い山の姿がみえる。
岩手育ちのわたしが
生まれてはじめて富士山をみた記憶は
小学生の頃
当時、群馬に住んでいた祖父母のアパートの窓
からだった。
大好きな祖父が、
「ほら里ちゃん、あすこに富士山がみえる」
と、指をさした。
とおくの遠くのほうに
しゅるりととんがった山の姿を
みえるようなみえないような
霞みの中にみた。
みた、ような気がする。
「朝とか、もっと空気の澄んだ日は
もっともっときれいにみえる」
と、祖父はいった。
わたしは、
静岡にあるはずの富士という山が、
なぜ
群馬のアパートの窓から見えるなんてことがあるのか、
理解できなかった。
だってすごい距離だ、
たとえ日本一高い山だ
としても。
その後、
飛行機に乗ったり、
電車で多摩川をこえるとき、
坂道を駆け下るとき、
洗濯物を干すとき、
橋を渡るとき、
富士山を目にするたび
息をのむ。
距離とかもうよくわからない。
富士山だ、と。
なんてこといいながら
わたしはこの山へ登ったことがない。
山小屋に泊まり
この頂上でみる星はうんときれいだ、
ときく。
むろん朝、太陽が昇るのも。
いつか登ろう
と
おもっている。
ふゆ
星はやたらきれいにみえるのと
同じように、
つめたい空気と澄んだ空気は
確かに無縁ではないようで、
しかしその理屈はわたしには
わからないけど。
ひにひに、
富士山はその白さを
増しておるのであります。
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